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第47話 馬車の乗り心地

翌朝、アオイたちは出発の準備を進めていた。


エルフの男も手伝ってくれたおかげで、荷物の積み込みは思ったより早く終わった。


「それじゃ、お世話になったわね」


「いえ。どうか道中、お気をつけて」


そう言うと、男はミラの前にしゃがみ込んだ。


「あなたは、他の奴隷より幸運に恵まれました」


ミラは小さく頷いた。


「頑張るのですよ」


「はい」


ミラは男の顔を見て、しっかりと答えた。


アオイは二人のやり取りを見守っていたが、別れの挨拶が終わると御者台に座るカレンへ声をかけた。


「それじゃ、お願いね」


「ええ、任せて」


アオイはミラを馬車に乗せると、自分もその後に続いた。


カレンが手綱を握り、馬車がゆっくりと動き出す。


「街の中は危ないから、練習は外に出てからしてもらうからね」


「はーい」


アオイは素直に返事をすると、窓の外へ目を向けた。


過ぎ行く街並みを眺めていると、やがて建物が少なくなり、街の門が見えてきた。


門番に軽く挨拶をして街を出る。


帝都へと続く街道が、緩やかな起伏を描きながら遠くまで伸びていた。


アオイはしばらく景色を楽しんでいた。


だが、そんな余裕があったのも、街を出てしばらくの間だけだった。


揺れる。


ひたすら揺れる。


しかも、座っているのはクッションも何もない、ただの板だ。


車輪が石を踏むたびに跳ね、轍に入れば馬車全体が大きく傾く。


街の中やその周辺ではそれほど気にならなかったが、街道を進むにつれて揺れがひどくなってきた。


「み、ミラ。平気?」


向かいに座るミラに声をかけると、不思議そうに首を傾げられた。


「はい。どうかしましたか?」


「いや、随分揺れるなって……」


ミラはもう一度首を傾げた。


揺れていないわけではない。身体は馬車の動きに合わせて左右に揺れている。


ただ、ミラにとってはこれが当たり前なのだろう。


「ちょっと、カレン!」


アオイは御者台に向かって声を上げた。


「なに?」


「馬車って、こんなに揺れるの!?」


「こんなにって……まだ街が近いからマシな方よ?」


「えぇっ!?」


「あんた、普段どんな移動してきたのよ」


「飛んでたから」


「はぁ? 飛んでたって……あの噂、本当だったの!?」


カレンは驚いたように振り返った。


「でも残念ながら、私も……多分、ミラも飛べないわよ」


アオイがミラを見ると、ミラは目を大きく見開いて、こくこくと頷いていた。


「……そうよね」


アオイは再び硬い座席に目を落とした。


その間にも馬車が石を踏み、身体が大きく跳ね上がった。


「いたっ!」


しばらく我慢していたアオイだったが、とうとうため息をついた。


「はぁ……ちょっと、止まれるところで止めてもらっていい?」


「いいけど、どうするつもり?」


「このままじゃ、お尻が割れちゃうわ」


「みんな割れてるわよ」


「違う!」


「はいはい」


カレンは呆れたように返事をすると、馬車を止められそうな場所を探し始めた。


やがて馬車が街道の端に寄り、ゆっくりと止まった。


アオイとミラが馬車から降りると、カレンも御者台から降りてきた。


「で、どうするの?」


馬の首を撫でながら、カレンが尋ねてくる。


「さて、どうするかな……」


アオイは馬車を眺めながら、少し考えた。


「まずはこれよね」


車輪に手を触れると、その下の土がうねうねと動き始めた。


土は車輪に沿って這い上がり、表面にまとわりついていく。


やがて車輪全体を覆うように広がると、アオイは指で押して硬さを確かめた。


「んー、こんなものかな?」


「なにこれ? 魔法?」


「なんちゃってゴム?」


「ゴム?」


「気にしないで」


アオイは他の車輪にも同じ加工を施しながら、次に何ができるかを考えた。


「あとは……サスペンション的なものは……このままじゃできないか」


馬車の下を覗き込む。


「野営なりで馬を外したときにやるかな」


「さっきから何を言ってるのよ……」


カレンの疑問をよそに、アオイは再び馬車を眺めた。


「他にできそうなことと言えば……」


地面に手をつくと、土の一部が盛り上がり、ひと塊になってアオイの手の上へ浮かび上がった。


その土の塊を持ったまま、アオイは馬車の中へ戻っていく。


「今度は何するつもり?」


カレンが後ろから覗き込んだ。


アオイは答えず、反対の手で座席代わりの板に触れた。


バキバキッ!


大きな音を立てて、板が外れる。


「ちょっと! いきなり壊してどうするのよ!」


「直すわよ」


「そういう問題じゃ……」


カレンが何か言いかけたが、アオイは気にせず作業を続けた。


手の上に浮かべていた土の塊が形を変え、細長く伸びていく。


それがくるくると巻かれ、バネの形になると、アオイは板の下に取り付けた。


同じものをいくつか作り、座席を支えられるように配置していく。


最後に板を元の位置へ戻すと、その上に腰を下ろした。


ぐっ、と板が沈み、ゆっくりと戻る。


アオイは何度か身体を上下に動かし、座り心地を確かめた。


「うんうん。これならマシかな?」


先ほどまでの硬い板とは違い、座席全体がバネで支えられる形になっていた。


「ミラ、ちょっと来て」


アオイが声をかけると、ミラが馬車の中に入ってきた。


アオイは今作ったばかりの座席を、ぽんぽんと叩いた。


「座ってみて」


「はい」


ミラは言われるままに腰を下ろした。


「……あれ?」


座っているのは、先ほどまでと変わらない木の板だ。


だが、腰を下ろした瞬間、板がわずかに沈み込んだ。


下から何かに支えられているような、不思議な感触がする。


ミラは身体を少し動かしてみた。


板がその動きに合わせて沈み、また元に戻る。


今まで感じたことのない座り心地に、ミラは不思議そうな顔をした。


「どう? 嫌じゃない?」


「嫌ではないです。なんだか不思議な感じです」


「そうよね。あとは動いてみてどうかよね」


アオイは御者台に向かって声をかけた。


「カレン、ありがと。終わったわ」


「そう?」


カレンはまだ何をしていたのかよく分かっていない様子だったが、御者台に戻ると手綱を握った。


馬車がゆっくりと動き出す。


そして、車輪が街道の石を踏んだ。


「……あれ?」


変化は劇的だった。


揺れないわけではない。


大きな石を踏めば馬車は傾くし、轍に入れば身体も揺れる。


だが、先ほどまでのように硬い板から直接突き上げられるような衝撃はなくなっていた。


車輪を覆った柔らかな素材が小さな凹凸を吸収し、座席の下に取り付けたバネが身体に伝わる衝撃を和らげている。


「凄いじゃない、これ!」


アオイは座席の上で何度か身体を動かしてみた。


「ね、ミラ!」


「はい! 全然違います!」


ミラも嬉しそうに座席を確かめている。


その声に、カレンが御者台から振り返った。


そこにいたのは、満足そうに頷いているアオイと、目をきらきらさせているミラだった。


「ねぇ。そっち、座り心地良さそうね」


御者台からカレンが声をかけてきた。


「いいわよ」


アオイは満足そうに答えた。


それを聞いたカレンは、再び馬車を街道の端に寄せて止めた。


「どしたの?」


「どしたのじゃないわよ! 私の席もやりなさいよ!」


「えー、普通って言ってたじゃない」


「あんた、忘れてるの? 御者の練習するんだよ」


「あ、それもそうか」


アオイは今気がついたというように頷いた。


「じゃあ、こっちもやっておかないとね」


御者台に上がると、先ほどと同じように座席の板を外し、その下にバネを取り付けていく。


作業はすぐに終わった。


「はい、できたわよ」


カレンが腰を下ろすと、座席がふわりと沈み込んだ。


「……へぇ。確かにこれは違うわね」


何度か腰を動かして座り心地を確かめるカレンを見て、アオイは得意そうに笑った。


「でしょ?」


「まったく……自分のことしか考えてないんだから」


「ちゃんとやったじゃない」


「言われてからね!」


そんなやり取りを交わしながら、アオイは再び馬車の中へ戻っていった。


しばらくすると、カレンが後ろを振り返った。


「それじゃ、そろそろ交代してみる?」


「えっ、もう?」


「練習したいんでしょ?」


「そうだったわね」


アオイはミラに声をかけ、御者台へと移動した。


「まずは隣に座って。手綱の持ち方から教えるから」


カレンに言われたとおりに手綱を握る。


「そんなに強く握らなくていいわよ。馬の口に繋がってるんだから」


「そうなの?」


「そうよ。力任せに引っ張ったら馬が嫌がるわ」


アオイは慌てて手の力を緩めた。


「それで、どうすればいいの?」


「基本は馬に任せておけばいいの。道を外れそうになったら軽く誘導して。止まりたいときは、こう」


カレンが手本を見せると、馬はゆっくりと歩みを緩めた。


「へぇ、賢いのね」


「ちゃんと慣れている馬だからね。あんたが余計なことをしなければ、普通に歩いてくれるわよ」


「余計なことって何よ」


「それを今から教えるの」


カレンはそう言って笑った。


しばらくして、アオイが手綱を任されることになった。


「じゃあ、進ませてみて」


「えっと……進んで?」


馬は動かない。


「言葉だけじゃ分からないわよ。軽く合図して」


教わったとおりに合図すると、馬はゆっくりと歩き始めた。


「おおっ、動いた!」


「そりゃ動くわよ」


アオイは嬉しそうに手綱を握った。


ところが、少し進んだところで馬車が右に寄り始めた。


「あれ? ちょっと、そっちじゃないわよ」


「左に誘導して」


「左ね」


アオイが手綱を引く。


すると、馬は今度は左へ寄り始めた。


「ちょっと! そっちでもない!」


「引きすぎ! もっと軽く!」


「難しいわね、これ!」


「だから練習するんでしょ!」


馬はそんな二人のやり取りなど気にも留めず、のんびりと歩いていた。


昼頃になると、街道脇の開けた場所で休憩を取ることになった。


カレンが馬に水を飲ませている間、アオイは御者台に座ったまま、手綱を眺めていた。


「思ったより難しいのね」


「まあ、最初はそんなものよ。慣れれば大して考えなくてもできるようになるわ」


「魔法なら思ったとおりに動くのに」


「馬は魔法じゃないんだから」


「そうよねぇ」


アオイは納得したように頷いた。


馬を見つめていると、ふと何かを思いついた。


「ねえ、この子に魔法で合図したらどうかしら?」


「やめなさい」


即答だった。


「まだ何もしてないじゃない」


「あんたが何をしでかすか分からないから言ってるのよ」


「失礼ねぇ」


「普通に覚えてちょうだい」


「はーい」


午後もアオイの練習は続いた。


最初は道の端に寄りすぎたり、止めようとして急に手綱を引いたりしていたが、次第に馬の動きに合わせられるようになってきた。


「そうそう、そのくらい。あとは前をよく見て」


「見てるわよ」


「じゃあ、あの轍は避けた方がいいわね」


「えっ?」


ガタンッ!


馬車が大きく揺れた。


「……なるほど」


「今ので分かった?」


「うん。分かったわ」


後ろの座席から、ミラの小さな笑い声が聞こえてきた。


「ミラ、笑った?」


「い、いえ!」


「絶対笑ったでしょ」


「ふふっ」


今度はカレンまで笑い始めた。


「もう!」


それでもアオイは手綱を離さず、馬車を進めていった。


日が傾き始めた頃、カレンが街道の先を指さした。


「あそこなら野営できそうね」


道から少し外れたところに、木々に囲まれた平らな場所があった。


「じゃあ、あそこに止めればいいのね?」


「そう。慌てずに、ゆっくりね」


アオイは馬を誘導し、街道から外れた。


多少ぎこちなさは残っていたものの、馬車は無事に野営地へと入っていく。


「はい、そこで止めて」


教わったとおりに手綱を引くと、馬はゆっくりと足を止めた。


「できた!」


「ええ。最初にしては上出来じゃない?」


カレンに褒められ、アオイは嬉しそうに笑った。


「思ったより楽しいわね、これ」


「そう? じゃあ、明日もお願いしようかしら」


「えー、ずっとは嫌よ」


「なんでよ!」


「景色も見たいし、お昼寝もしたいもの」


カレンは呆れた顔でアオイを見た。


「……ほんと、自由ね。あんた」


「今さらじゃない」


アオイはそう答えると、御者台からひょいと飛び降りた。

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