第48話 野営の夜
「さて、野営の準備をしようか」
アオイがそう言うと、ミラが少し慌てた様子で馬車から降りてきた。
「薪を拾ってきます!」
張り切って林の方へ向かおうとするミラを、カレンが呼び止めた。
「あー、多分、要らないと思うわ」
「え?」
ミラは不思議そうに首を傾げた。
「手伝いいる?」
カレンが尋ねると、アオイは軽く手を振った。
「大丈夫よ」
そう答えながら、近くに立つ一本の木へと歩いていく。
アオイが木に向かって手を伸ばすと、それに呼応するように地面から鋭い刃が現れた。
刃は木の幹を切り倒すと、次々と枝を払い、幹を適当な長さに切り分けていく。
さらに細かく割られた木片が宙に浮き、アオイの足元へと積み重なっていった。
「こんなものかな」
アオイが軽く手をかざすと、積み上がった薪から水分が抜けていく。
わずかな時間の後には、乾燥まで済ませた、ちょうどよい大きさの薪がきれいに積み上がっていた。
「次は……」
アオイは周囲を見渡し、少し離れた平らな場所へと移動した。
そして、足元の地面を軽く踏む。
すると、土がもこもこと盛り上がり、形を変え始めた。
しばらくすると、そこには鍋を載せられるように作られた、簡素なかまどが出来上がっていた。
「うん、これでいいわね」
アオイは出来栄えを確かめると、満足そうに頷いた。
「……凄い……」
ミラは呆然とその光景を見つめていた。
薪を集めるのも、割るのも、乾かすのも、かまどを作るのも。
どれも自分なら時間をかけて行わなければならない仕事だ。
それが、目の前であっという間に終わってしまった。
馬車の乗り心地を変えたときも驚いた。
だが、あのときは何をしているのかさえ、よく分からなかった。
今は違う。
自分がやろうとした仕事が、目の前で次々と片付けられていく。
ミラは改めて実感していた。
自分は、とんでもない人に買われたのだと。
「え、えっと……何かお手伝いできることは……」
ミラが遠慮がちに声をかけた。
アオイは振り返ると、少し考えてから微笑んだ。
「そうね。じゃあ、川からの水汲みと、お湯を沸かすのは任せていい?」
「はい!」
ミラは嬉しそうに返事をした。
「じゃあ、私は何か食べられるものがないか探してくるわ」
カレンは馬車から弓を取り出すと、肩に担いだ。
「気をつけてね」
「ええ。暗くなる前には戻るわ」
そう答えると、カレンは周囲を見渡しながら林の中へと歩いていった。
アオイはその後ろ姿を見送ると、かまどのそばで準備を始めているミラへと目を向けた。
「川まで一緒に行こうか?」
「大丈夫です!」
元気よく答えたミラは、水を汲むための容器を手に、川へと向かっていった。
アオイはその様子をしばらく眺めていたが、特に問題はなさそうだったので、馬車の方へと歩き出した。
「さて、どうしようかな……」
馬車の下を覗き込み、車輪と車軸の位置を確かめる。
昼間に考えていたサスペンションの改造だ。
馬が外されている今なら、車体を持ち上げても問題ない。
ただ、どう取り付けるかが問題だった。
「んー、確かバネで車体を支えるのよね……」
アオイは地面にしゃがみ込むと、手をかざした。
土が盛り上がり、小さな車輪が四つ現れる。
続いて車軸と車体が形作られ、手のひらほどの小さな馬車が出来上がった。
「とりあえず、こんなものかな」
アオイは模型を手に取ると、車輪を指で回してみた。
構造は単純だ。
車軸に車輪が取り付けられ、その上に車体が載っている。
これでは地面からの衝撃がそのまま車体へ伝わってしまう。
「ここにバネを入れればいいんだけど……」
アオイは車軸と車体の間に小さなバネを作り、模型を地面に置いた。
上から指で押してみる。
ぐにゃり。
「……あれ?」
車体が妙な方向に傾いた。
「あー、そっか。支えが必要なのね」
バネを増やし、車軸が横にずれないように支えを作る。
もう一度、指で押してみた。
今度は車体が上下に動いた。
「おお、いい感じ!」
調子に乗って何度か押していると、車体が大きく跳ね、ひっくり返ってしまった。
「……うーん」
アオイは模型を起こすと、バネの硬さを変えてみた。
柔らかすぎれば大きく沈み込み、硬すぎればほとんど動かない。
それに、ただ車体を上下させるだけでは、揺れがいつまでも収まらない。
「そういえば、揺れを抑えるのも必要だったっけ……」
名前は知っている。
だが、具体的にどういう仕組みだったかとなると、よく分からない。
「まあ、今よりマシになればいいか」
何度か作り直しながら、模型を転がして試してみる。
小さな石を並べ、その上を通してみたり、片側の車輪だけを持ち上げたり。
試行錯誤を繰り返しているうちに、どうにか車体の揺れが少なくなる形が見えてきた。
「何やってるんですか?」
いつの間にか戻ってきたミラが、不思議そうに覗き込んでいた。
「あ、ミラ。お湯は?」
「はい。沸かしています」
「そっか。ありがと」
アオイは手元の模型を持ち上げて見せた。
「馬車をもっと揺れないようにできないかなって」
「馬車、ですか?」
「そう。ほら、これ」
模型を地面に置き、小さな石の上を転がす。
車輪が石を乗り越えると、車体がわずかに上下した。
「わあ……」
「ね? これを大きな馬車にも付けてみようかなって」
ミラは感心したように模型を見つめていた。
「アオイ様は、何でもできるんですね」
「そうでもないわよ。結構難しいし」
アオイは模型を持ち上げ、もう一度バネの位置を調整した。
しばらくすると、林の方からカレンが戻ってきた。
その手には、仕留めたばかりのウサギがぶら下がっていた。
「ただいま。今日はこれで我慢してね」
「おかえり。十分じゃない?」
カレンがウサギをかまどのそばに置くと、ミラが興味深そうに近づいてきた。
「あの……私がやってもいいですか?」
「え? 捌けるの?」
「はい!」
ミラは自信ありげに頷いた。
アオイとカレンは顔を見合わせた。
「じゃあ、お願いしようかしら」
「はい!」
ミラは嬉しそうに返事をすると、早速ウサギを受け取った。
水と刃物を用意し、慣れた手つきで作業を始める。
その動きに迷いはなかった。
手早く皮を剥ぎ、内臓を取り除き、肉を切り分けていく。
「……へぇ」
アオイは思わず感心した声を漏らした。
幼い容姿からは想像できないほど、手際がいい。
亜人だからなのか、それともこれまでの生活で身につけた技術なのか。
どちらにせよ、随分と慣れているようだった。
「上手ね、ミラ」
「ありがとうございます!」
褒められたミラは嬉しそうに笑うと、再び作業に集中した。
カレンも手を出さず、その様子を見守っていた。
やがて、切り分けた肉に塩を振り、串に刺して焼き始めた。
脂が火に落ち、香ばしい匂いが漂ってくる。
「いい匂いねぇ」
「もう少しで焼けます」
「楽しみね」
アオイがそう答えると、ミラは嬉しそうに微笑んだ。
やがて焼き上がった肉が三人に配られた。
アオイは一口食べると、満足そうに頷いた。
「美味しいじゃない!」
「本当。上手に焼けてるわね」
カレンも感心したように言った。
「ありがとうございます!」
ミラは嬉しそうに答えると、自分の分の肉に手を伸ばした。
三人は焚き火を囲み、夕食を楽しんだ。
食事を終える頃には、辺りもすっかり暗くなり始めていた。
「さて、もうひと仕事しようかな」
アオイが立ち上がると、カレンが顔を上げた。
「今度は何?」
「馬車の改造。さっき考えてたのを試してみるわ」
「ああ、あの小さい馬車ね」
「そうそう」
アオイは馬車へと近づくと、車体の下へ手を伸ばした。
すると、地面が盛り上がり、馬車を下から支えるように持ち上げた。
「ちょっと、馬車が浮いてるんだけど!」
「大丈夫よ。ちゃんと支えてるから」
アオイは気にせず、車軸の周辺を眺めた。
模型で試した構造を思い出しながら、車軸と車体の接続部分に手を触れる。
木材の一部が形を変え、車軸を支える構造が作り直されていく。
さらに地面から材料を取り出し、バネや支えを組み込んでいった。
「……何をしてるのか全然分からないわ」
カレンが呆れたように呟いた。
「私もよく分かってないわよ」
「はぁ!?」
「大体こんな感じかなって」
「ちょっと! それ、大丈夫なの!?」
「模型ではうまくいったわよ」
「模型って、あの小さいの!?」
「そうよ?」
カレンは何か言いたそうな顔をしたが、結局ため息をついただけだった。
アオイは取り付けた部分を確認すると、馬車を支えていた土を少しずつ下げていった。
車輪が地面に触れ、やがて車体の重みがバネにかかる。
ぐっ、と車体が沈み込んだ。
「おお、ちゃんと動いてる」
アオイは馬車の端に手をかけ、上下に揺らしてみた。
車体がゆっくりと沈み、元の位置へ戻る。
何度か試してみたが、特に問題はなさそうだった。
「うん。とりあえず、こんなものかな」
「……本当に大丈夫なんでしょうね?」
「明日走らせてみないと分からないわね」
「ちょっと!」
「大丈夫よ。何かあれば止めて直せばいいんだから」
カレンは頭を抱えた。
アオイはそんな様子を気にすることもなく、満足そうに馬車を眺めていた。
「さて、あとは……」
ふと、自分の服に目を落とす。
一日中馬車に揺られ、地面に座って作業までしていた。
「身体、洗いたいわね」
「え? 今から?」
カレンが驚いたように尋ねた。
「うん。さっぱりしたいじゃない」
「川で洗うつもり?」
「まさか。もう暗いし、寒いじゃない」
アオイはそう言うと、かまどから少し離れた場所へ歩いていった。
「じゃあ、どうするのよ」
「こうするの」
アオイが地面に手をかざすと、周囲の土が盛り上がり始めた。
土は四方へ広がり、人の背丈より高い壁を作っていく。
やがて、出入り口を残した小さな部屋のようなものが出来上がった。
「何これ……」
「身体を洗うところよ」
アオイは中へ入ると、壁の上部から水が落ちるように通り道を作った。
さらに床に傾斜をつけ、使った水が外へ流れるようにする。
「こんなものかな」
試しに魔法で水を流してみる。
壁の上から温かい水が降り注ぎ、床に落ちた水は溝を伝って流れていった。
「うん。いい感じ」
外で待っていたカレンとミラが、恐る恐る中を覗き込んだ。
「……何なの、これ」
「シャワーよ」
「しゃわー?」
「上からお湯が出て、身体を洗えるの」
アオイは実際に水を流して見せた。
「わっ!」
ミラが驚いて一歩下がった。
「ほら、温かいでしょ?」
アオイが水に手を触れるよう促すと、ミラはそっと指を伸ばした。
「……温かいです」
「でしょ? これなら身体を洗えるわ」
カレンは土で作られた壁と、そこから流れ出るお湯を交互に見つめた。
「……あんた、こんなことまでできるのね」
「できるわよ。そんなに難しくないし」
「難しいとか、そういう問題じゃないと思うんだけど……」
アオイは首を傾げた。
「そう?」
カレンはそれ以上何も言わなかった。
「じゃあ、順番に使おうか。ミラからでいい?」
「えっ、私ですか?」
「うん。お湯が出てくるから、身体を洗えばいいのよ」
「でも、アオイ様が先に……」
「私は後でいいわよ。ゆっくり使ってきて」
ミラは少し戸惑っていたが、やがて小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
アオイはミラを中へ案内すると、お湯の出し方を教えて外に出た。
しばらくして、中から小さな歓声が聞こえてきた。
「……すごいです!」
アオイは思わず笑った。
「気に入ってくれたみたいね」
「そりゃそうでしょ」
カレンは呆れたように答えた。
「野営中に温かいお湯で身体を洗えるなんて、普通は考えられないわよ」
「そうなの?」
「そうなの!」
やがてミラが出てくると、カレンも身体を洗いに入っていった。
最後にアオイもシャワーを浴び、さっぱりしたところで外へ出た。
「はぁ、生き返るわねぇ」
すっかり暗くなった野営地では、焚き火が静かに燃えていた。
カレンとミラはそのそばに座っている。
「さて、寝るところも作らないとね」
アオイは地面に手をかざした。
すると、平らな地面が盛り上がり、壁と屋根が形作られていく。
以前から野営で使っていた、簡易的な住居だ。
中には三人が横になれるだけの広さを確保し、寝床も整えていく。
「はい、完成」
「……もう驚かないわよ」
カレンがそう呟いた。
「何よ、それ」
「一日に何回驚かせるつもりなのよ」
「別に驚かせようとしてるわけじゃないんだけど」
アオイは不思議そうに答えた。
その隣では、ミラが目を輝かせながら出来上がった住居を眺めていた。
「中、入ってもいいですか?」
「もちろん。今日からミラもここで寝るんだから」
「はい!」
ミラは嬉しそうに中へ入っていった。
アオイはその後ろ姿を見送ると、カレンに向かって笑った。
「さて、私たちも寝ましょうか」
「ええ。明日も早いしね」
焚き火の始末を済ませ、二人も住居へと入っていく。
こうして、三人での初めての野営の夜は更けていった。




