第44話 帝国の街角
朝食を終えたアオイたちは、馬車を探すために宿を出た。
「で、どっちに行けばいいの?」
「まずは馬車を扱ってる店を探さないとね。宿の人に聞けばよかったかしら」
カレンは通りを見回した。
「まあ、歩いてれば見つかるんじゃない?」
「……あなたは気楽でいいわね」
「そう?」
アオイは首をかしげた。
大通りには朝から多くの人が行き交っていた。
店先には商品が並べられ、露店からは焼きたてのパンや肉の香ばしい匂いが漂っている。
「あ、あれおいしそう」
アオイが足を止めた。
「……さっき朝ご飯を食べたばかりでしょ?」
「別に今食べなくてもいいじゃない」
そう言いながら、アオイは露店に近づいた。
「これ、三つください」
店主はアオイとカレンを見たあと、その隣にいるミラへ目を向けた。
「……三つ?」
「ええ。三人だから」
「そいつにも食わせるのか?」
「そうよ?」
店主は妙なものを見るような顔をした。
「……変わった客だな」
それ以上は何も言わず、焼き菓子を包んで差し出してくる。
アオイは代金を払い、一つをミラに渡した。
「はい、ミラ」
「……ありがとう、ございます」
ミラは両手で焼き菓子を受け取った。
「おいしそうね。あとで食べようかな」
「……結局、自分も食べるつもりじゃない」
カレンが呆れたように言った。
「だって、おいしそうだったんだもの」
アオイは気にせず歩き出した。
その後も、気になる店を見つけるたびに立ち寄った。
見慣れない果物を売る店。色とりどりの飾り紐を並べた店。小さな木彫りの人形を扱う露店。
アオイは楽しそうだったが、店の者たちの反応は様々だった。
ミラを見るなり顔をしかめる者もいれば、近づくと商品を引っ込める者もいる。
ある店では、ミラが手を伸ばしかけた途端、店主が露骨に嫌な顔をした。
「触らせないでくれよ」
「え?」
アオイが振り返ると、ミラは慌てて手を引っ込めた。
「……すみません」
アオイは店主を見た。
「まだ触ってないじゃない」
「そういう問題じゃないんだよ」
「ふうん。じゃあ、いいわ」
アオイはあっさり店を離れた。
「ちょっと、あの言い方!」
カレンが振り返る。
「何よ?」
「何よ、じゃないわよ。あんな言い方されて、腹が立たないの?」
「買わなかったんだから、別にいいじゃない」
「……そういう問題じゃないと思うけど」
カレンは不満そうだったが、アオイはすでに別の店へ目を向けていた。
その後ろを歩いていたミラが、小さく口を開いた。
「あ、あの……」
「ん?」
「私のせいで……すみません……」
アオイは足を止めた。
「何が?」
「お店の人たちが……」
ミラは俯いたまま、服の裾を握っている。
「ああ、さっきの?」
「……はい」
「別に気にしてないわよ」
アオイは何でもないことのように答えた。
「でも……」
「ミラが悪いわけじゃないでしょ?」
ミラは何も答えなかった。
カレンが小さく息を吐く。
「……それはそうね」
アオイはミラの頭に軽く手を置いた。
「ほら、行きましょ」
ミラは小さく頷き、アオイの後について歩き出した。
◇
しばらく歩いていると、前方に数人の男たちが立っていた。
道端で何か話していたらしいが、アオイたちに気づくと、にやにやと笑いながら近づいてきた。
「おい、姉ちゃんたち」
アオイが足を止めた。
「何?」
男の一人が、アオイの隣にいるミラを見た。
「へえ。ずいぶんいい服を着せてるじゃねえか」
別の男が笑い声を上げる。
「奴隷をそんなに着飾らせて、街中を連れ回してんのか?」
「晒し者にして遊んでんのか? いい趣味してるじゃねえか」
男たちは面白がるように笑った。
カレンの表情が険しくなる。
「ちょっと、あんたたち――」
だが、アオイは男たちを見ず、ミラへ顔を向けた。
「ミラ、嫌だった?」
「……え?」
突然尋ねられ、ミラは戸惑った。
「一緒に歩くの、嫌だった?」
「い、いえ! 私は平気です。でも……」
「でも?」
「ご主人様の評判が……」
アオイは首をかしげた。
「それはどうでもいいけど……」
少し考える。
「どうするかな」
ミラが気にしているなら、何か考えた方がいいのだろうか。
だが、アオイが周囲の目を気にする必要はないと思っていることと、ミラが安心して歩けるかどうかは別の話だった。
「おい! 無視してんじゃねえよ!」
男が声を荒らげた。
アオイがそちらを見るより早く、男の一人が肩を掴もうと手を伸ばしてきた。
アオイはその腕を取ると、半歩踏み込んで身体を入れ替えた。
次の瞬間、男の身体が宙を舞った。
「うわっ!?」
背中から地面に叩きつけられ、男は声にならない息を漏らした。
残りの男たちが、一瞬動きを止める。
「……てめえ!」
我に返った一人が殴りかかってきた。
アオイは拳をかわし、相手の懐へ踏み込む。
掌底が顎を捉えた。
男は身体をのけぞらせ、そのまま崩れ落ちた。
「この野郎!」
もう一人が拳を振り上げたが、アオイは軽く身をかわし、同じように顎を打ち抜いた。
男は数歩よろめき、その場に倒れた。
騒ぎは、あっという間に終わった。
アオイは倒れた男たちを見下ろした。
「……何だったのかしら」
カレンがぽつりと呟く。
「……止める間もなかったわね」
「何を?」
「……もういいわ」
カレンは深いため息をついた。
周囲では、先ほどまで足を止めて見物していた人々が、慌てて距離を取り始めていた。
アオイたちの進む先から、人が次々と離れていく。
「あら、歩きやすくなったわね」
アオイは何事もなかったように歩き出した。
「……あなたねえ」
カレンは倒れた男たちを振り返ったが、結局その後を追った。
「まあ、いいわ。それよりミラのことなんだけど」
「ミラ?」
「ええ。外套か何かで、耳や尻尾を隠した方がよくない?」
アオイは隣を歩くミラを見た。
「ミラ、そうしたい?」
ミラは何度も頷いた。
「そう。じゃあ、買いに行きましょ」
「……本当に、切り替えが早いわね」
「何が?」
カレンは答えず、またため息をついた。
◇
少し歩くと、衣服を扱う店が見つかった。
「いらっしゃいませ」
店内にいたのは、若い女性の店員だった。
「この子に合う外套が欲しいんだけど。耳と尻尾が隠れるようなの、ある?」
店員はミラを見て、少し考えた。
「それでしたら、こちらはいかがでしょう?」
奥の棚から取り出してきたのは、柔らかな色合いの外套だった。
大きめのフードがついていて、裾も少し長い。
「へえ、かわいいじゃない」
「ありがとうございます。こちらでしたら、耳も尻尾も隠せると思います」
アオイはミラに外套を羽織らせた。
「どう? 苦しくない?」
「……はい」
フードを被せると、獣の耳がすっぽり隠れた。
後ろを確かめると、尻尾も外套の中に収まっている。
「うん。ちょうどいいわね」
店員も微笑んだ。
「よくお似合いですよ」
ミラは恥ずかしそうに俯いた。
アオイは改めてミラを眺めた。
「でも、やっぱり隠した方がいいのかしら?」
店員は少し声を落とした。
「……その子のためにも、そうした方がよいでしょうね」
「そうなの?」
「実は、ここだけの話なんですけど……」
店員は周囲を見回した。
「私は、獣人の子供なんてかわいいと思うんです。普通に街を歩いていても、別にいいと思うんですけどね」
「そうよね。かわいいわよね」
アオイは嬉しそうに頷いた。
「はい。でも、周りの目がありますから……」
店員は困ったように笑った。
「特に年配の方は、昔の戦争でいろいろあったみたいですし。私たちの世代とは、少し考え方が違うんですよね」
「ふうん。戦争ねえ」
「私自身は経験していませんから、詳しいことまでは分からないんですけど」
「そうなのね」
アオイはミラのフードを少し直した。
「まあ、ミラが安心できるなら、これでいいわ」
「はい。そうですね」
店員は穏やかに頷いた。
どうやら、この国の人々が全員、亜人を嫌っているわけではないらしい。
代金を払い、店を出る。
ミラは新しい外套の裾を確かめながら、アオイの隣を歩いていた。
「どう? 歩きにくくない?」
「……大丈夫です」
「それならよかった」
カレンも二人を見て頷いた。
「これなら、少しは目立たなくなるんじゃない?」
「そうね。じゃあ、馬車を探しに行きましょ」
「……そもそも、そのために出てきたんだけどね」
「そうだったわね」
アオイは笑った。
◇
街の中心部から、ずいぶん離れたところまで来ていた。
馬車を買いたいと尋ねると、街外れに店が集まっていると教えられたのだが、慣れない街では思うように見つからない。
「ねえ、本当にこっちで合ってるの?」
「合ってるはずなんだけど……」
カレンも自信がなさそうに周囲を見回した。
大通りから外れたせいか、人通りは少なくなっている。
「あ、ちょっと待って」
カレンが、道の向こうを歩いていた男性に声をかけた。
揃いの制服を着て、腰には剣を下げている。衛兵か、何か公的な組織に所属している者らしかった。
「すみません。馬車を扱っている店を探しているんですが」
「ああ、馬車屋か。ここからなら、もう少し先だな」
男性は道の先を指さした。
「この道を真っすぐ行って、二つ目の角を右だ。馬を扱う店や馬車屋が何軒か集まっているから、行けば分かる」
「ありがとうございます」
「助かったわ」
アオイも礼を言った。
三人が歩き出そうとすると、男性が声をかけてきた。
「ああ、そうだ。気をつけて行けよ」
「何かあるの?」
「いや、さっき街中で騒ぎがあったらしくてな。何人かの男が、道端で殴り倒されていたそうだ」
「へえ」
「まだ明るいから大丈夫だとは思うが、子供も連れているんだ。気をつけた方がいい」
「そうね。小さい子もいるしね。ありがとう」
アオイはにこやかに礼を言った。
男性も頷き、そのまま歩き去っていった。
しばらく進んだところで、カレンがぽつりと呟いた。
「……少し、あなたが羨ましいわ」
「ん? 何が?」
「……何でもないわ」
カレンは小さくため息をついた。




