第42話 名前
アオイは女の子の手を引きながら、広場を離れた。
「さて、服屋さんはどこかしらね」
大通りへ出ると、左右には様々な店が並んでいた。食料品を扱う店、道具屋、布地を並べた商店。王国とは少し違う品揃えを眺めながら歩いていると、衣服を飾った店先が目に入った。
「あ、あそこがよさそうね」
アオイは女の子を連れて店へ入った。
「いらっしゃいませ」
店員の女性が声をかけてくる。
「この子の服を探してるんだけど」
「かしこまりました。普段着でよろしいでしょうか?」
「ええ。あと、寝るときの服も欲しいわね」
店員は女の子の姿を見て、一瞬だけ表情を変えた。
汚れた服に痩せ細った身体。頭には獣の耳がついている。どう見ても、裕福な家の子供ではない。
それでも、店員はすぐに笑顔を戻した。
「でしたら、こちらはいかがでしょう」
案内された棚には、色とりどりの服が並んでいた。
「へえ、かわいいのがいっぱいあるじゃない」
アオイは一着手に取り、女の子の身体に合わせてみた。
「これ、どう?」
女の子は服とアオイの顔を交互に見た。
「……はい」
「じゃあ、こっちは?」
別の服を合わせる。
「……はい」
「これも?」
「……はい」
アオイは首をかしげた。
「……あのね、どれが好きか聞いてるんだけど」
女の子はびくりと肩を震わせ、俯いてしまった。
「あ、怒ってるわけじゃないわよ」
アオイは慌てて付け加えた。
「自分が着るんだから、好きなのを選んでいいのよ?」
女の子は小さく頷いたが、服へ手を伸ばそうとはしなかった。
「……うーん。じゃあ、私が選んじゃおうかな」
アオイは棚へ目を戻した。
淡い青色の服に、白い襟のついたもの。動きやすそうな茶色の服もある。
「これと、これと……あ、こっちもかわいいわね」
気づけば、手に何着も抱えていた。
店員が控えめに声をかける。
「お客様、まずは試着されてみてはいかがでしょう?」
「あ、そうね。入らなかったら困るものね」
アオイは女の子に服を渡した。
「着てみてくれる?」
「……はい」
店員に案内され、女の子は試着室へ入っていった。
しばらくして出てきた女の子を見て、アオイは満足そうに頷いた。
「うん、似合うじゃない」
新しい服を着た女の子は、先ほどよりずっと幼い少女らしく見えた。
もっとも、痩せ細った身体と荒れた髪はそのままだ。
「少し大きいかしら?」
「成長されることを考えれば、ちょうどよいかと思います」
「そうね。じゃあ、これにしましょう」
アオイはほかの服も試着させ、結局、普段着を何着かと寝間着を買うことにした。
「靴もある?」
「はい。こちらへどうぞ」
足に合う靴を選び、下着や靴下も揃える。
会計を済ませる頃には、結構な量になっていた。
「……ちょっと買いすぎたかな?」
アオイが袋を眺めると、店員が微笑んだ。
「お子様の服ですから、何着あっても困りませんよ」
「それもそうね」
アオイはあっさり納得した。
買った服のうち一着をその場で着せてもらい、古い服は処分してもらった。
店を出ると、女の子は何度も自分の服に目を落としていた。
「どう? 気に入った?」
「……はい」
「よかった」
アオイは満足そうに笑った。
◇
服を買い終えたあとも、アオイの買い物は続いた。
「そういえば、着替えを入れる鞄も必要よね」
雑貨屋へ入ると、大小様々な鞄が並んでいた。
アオイは子供でも持ちやすそうなものを選び、女の子に見せた。
「これでどう?」
「……はい」
「……まあ、いいか」
今度は鏡や櫛、髪を結ぶ紐などが目に入る。
「そうだ。髪も整えないとね」
女の子の髪は長い間まともに手入れされていなかったようで、ところどころ絡まっていた。
アオイは櫛を手に取る。
「これも買いましょ。あと、髪を結ぶのもあった方がいいかな」
店員に勧められた品をいくつか選び、さらに石鹸や小物を買い足した。
その間、女の子は銀貨の袋を大切そうに抱えたままだった。
「ねえ、それ、鞄に入れたら?」
女の子はアオイを見上げた。
「……いいん、ですか?」
「いいわよ。持ってるの大変でしょ」
女の子は少しためらったあと、買ってもらった鞄に銀貨の袋をしまった。
それでも、何度も鞄の口を確かめている。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
アオイは笑ったが、女の子は真剣な顔で頷くだけだった。
店を出る頃には、日が傾き始めていた。
「……結構歩いたわね」
アオイは空を見上げた。
「そろそろ宿に戻ろうか」
女の子は小さく頷いた。
アオイは荷物を抱え直し、宿へ向かって歩き出した。
◇
宿の部屋へ戻ると、アオイは買ってきたものを寝台の上に広げた。
「ふう。いろいろ買ったわね」
服に靴、鞄に櫛。並べてみると、思った以上の量になっていた。
「まあ、必要なものばかりだし、いいわよね」
アオイは荷物を整理し始めた。
その横で、女の子が何か言いたそうにしていた。
「ん? どうしたの?」
「あ、あの……」
「なあに?」
「……名前……」
「名前?」
アオイは首をかしげた。
少し考え、ようやく思い出す。
「あっ! そういえば、名前聞いてたわね」
女の子は小さく頷いた。
「……ミラ、です」
「ミラね。私はアオイ。よろしくね」
アオイは笑って答えた。
「そうだ。ミラ、こっちの服とこっちの服、どっちが好き?」
早速名前を呼ばれ、ミラは驚いたように顔を上げた。
アオイは二着の服を手に、返事を待っている。
ミラはしばらく迷ったあと、片方の服を小さく指さした。
「……こっち」
「へえ、そっちが好きなのね。じゃあ、明日はそれを着ましょうか」
「……はい」
ミラの耳が、わずかに動いた。
アオイは気づかず、服を畳み始めた。
しばらくして、部屋の外から夕食の時間を知らせる声が聞こえてきた。
「そろそろご飯ね。行きましょ」
ミラは鞄を手に取った。
「それ、部屋に置いていけば?」
「……でも……」
「大丈夫よ。ここに置いておけばいいわ」
ミラは少しためらい、鞄を寝台の脇へ置いた。
それでも何度か振り返りながら、アオイの後について部屋を出た。
◇
食堂へ降りると、見覚えのある女冒険者が席についていた。
「あ、いたいた」
アオイが声をかけると、女冒険者が顔を上げた。
「アオイじゃない。今日は街を見て回ってたんでしょ?」
「ええ。結構面白かったわよ」
「それならよかっ……」
女冒険者の視線が、アオイの隣で止まった。
「……ねえ、その子は?」
「ああ、この子? ミラっていうの」
「そうじゃなくて。どうして一緒にいるの?」
「奴隷として売られてたから、買ったのよ」
「……は?」
女冒険者は目を丸くした。
「ちょっと待って。あなた、奴隷を買ったの!?」
「ええ」
「どういうつもりなのよ!」
思わず大きくなった声に、ミラがびくりと肩を震わせた。
アオイは首をかしげた。
「買わなきゃ殺されてたみたいよ?」
「……え?」
「怪我が酷くて、誰も買わなかったの。だから処分するって」
女冒険者はミラに目を向けた。
新しい服を着ているものの、痩せた身体は隠しきれない。
「……そういうこと」
女冒険者はため息をついた。
「で、この子をどうするつもりなの?」
「うーん……」
アオイは少し考えた。
「今、解放しても、すぐにまた奴隷になっちゃうんじゃないの?」
「……まあ、そうでしょうね」
「だったら、そんな無責任なことはしたくないわね」
女冒険者はしばらくアオイを見つめていた。
「……そう」
渋々といった様子で頷く。
「分かったわ。でも、ちゃんと面倒見なさいよ?」
「分かってるわよ」
アオイは当然のように答えた。
「とりあえず、ご飯を食べさせないとね。今日はずいぶん歩いたし」
「……あなたねえ」
女冒険者は何か言いかけたが、結局、もう一度ため息をついた。
三人は同じ卓につき、夕食を注文した。
ミラは最初、椅子に座ることさえためらっていたが、アオイに促されてようやく腰を下ろした。
料理が運ばれてくると、今度は目の前の皿をじっと見つめている。
「ほら、食べていいのよ」
「……はい」
ミラは小さく答え、恐る恐る匙を手に取った。
一口食べると、ほんの少しだけ目を見開く。
アオイはその様子を見て、満足そうに頷いた。
「おいしいでしょ?」
ミラはこくりと頷いた。
「じゃあ、いっぱい食べなさい」
女冒険者は二人を眺めながら、呆れたように笑った。
「……本当に、あなたって人は」
「何よ?」
「何でもないわ」
女冒険者は自分の料理に手を伸ばした。
◇
夕食を終えて部屋へ戻ると、ほどなくして扉が叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、昨夜も世話をしてくれたエルフの男だった。
「お戻りになられたと伺いましたので。何かお手伝いできることはございますか?」
「ああ、ちょうどよかった」
アオイは隣にいるミラを見た。
「この人、お風呂で身体を洗うのも手伝ってくれるらしいけど、ミラ、お願いする?」
「……え?」
ミラは驚いて顔を上げた。
エルフの男も、ミラの姿を見て少し戸惑った様子だった。
「失礼ですが、こちらのお嬢様は……奴隷でございますよね?」
「そうね。ダメだった?」
「いえ、決してそのようなことは。ただ、奴隷に浴室を使わせるお客様は珍しいもので……」
「そうなの?」
「はい。多くのお客様は、奴隷を同じ部屋に入れることさえなさいません」
「へえ。そういうものなのね」
アオイは特に気にした様子もなく、寝台に目を向けた。
「あ、あの……私は、外でも……」
ミラがおずおずと口を開いた。
「いいわよ。ベッドも広いし、一緒に寝ればいいでしょ」
「……え?」
ミラはさらに困惑した。
エルフの男は二人のやり取りを見て、かすかに微笑んだ。
「お客様は、変わっていらっしゃいますね」
「そう?」
「はい。ですが、そういうことでございましたら……」
男はミラの前にしゃがみ、視線を合わせた。
「同じ部屋で、同じ寝台を使わせていただくのであれば、一度きちんと身体を洗った方がよいでしょう」
ミラは不安そうにアオイを見た。
「大丈夫よ。この人、昨日もいろいろ世話してくれたから」
エルフの男は穏やかに頷いた。
「私が手伝います。さあ、いらっしゃい」
ミラは少しためらったあと、小さく頷いた。
銀貨の入った鞄を寝台の脇に置き、エルフの男に手を引かれて浴室へ向かう。
アオイはその後ろ姿を見送り、寝台に腰を下ろした。
「……さて、明日はどうしようかな」




