第41話 銀貨五枚
翌朝、アオイは宿の食堂で朝食を済ませると、一人で街へ出た。
女冒険者には朝食の席で会ったが、今日は宿でゆっくり過ごすつもりらしい。
「せっかく帝国まで来たんだから、少しくらい観光しないとね」
大通りには石造りの建物が並び、店の看板には王国で見かけなかった意匠が施されていた。通りを行く馬車も多く、活気がある。
アオイは店先を覗きながら、気の向くままに歩いた。
露店で売られている食べ物も珍しい。香辛料をまぶして焼いた肉や、薄い生地で具を包んだもの。何が入っているのか分からない料理もあったが、匂いにつられて一つ買ってみる。
「……あ、これおいしい」
思ったより辛かったが、悪くない。
別の露店では、小さな焼き菓子を買った。どれも大した金額ではないが、何度か買い物をするうちに財布の中の細かい貨幣は減っていった。
特に目的があるわけではない。知らない街を歩くこと自体が楽しかった。
しばらく進むと、大きな広場に出た。
中央には噴水があり、周囲を商店や飲食店が囲んでいる。広場の一角では木製の壇が組まれ、何人かの男たちが準備をしていた。
「何かやるのかな?」
まだ始まる様子はない。
広場に面した店のテラス席が空いているのを見つけ、アオイは腰を下ろした。
「いらっしゃいませ」
若い店員が注文を取りに来る。アオイは飲み物と、勧められた焼き菓子を頼んだ。
運ばれてきた菓子は表面が香ばしく焼けていて、中には甘い果実が入っていた。
「へえ、これもおいしいわね」
「ありがとうございます。当店の人気商品なんですよ」
「そうなの? もう一つもらおうかな」
「かしこまりました」
店員は嬉しそうに奥へ戻っていった。
アオイは椅子にもたれ、広場を眺めた。
商隊の護衛もそれなりに面白かったが、毎日馬車に合わせて移動するのは少し退屈だった。今日は時間を気にせず過ごせる。
飲み物を一口飲んでいると、壇の周囲に人が集まり始めた。
男が壇に上がり、声を張り上げる。
何かの競売が始まるらしい。
最初に連れてこられたのは、成人した獣人の男だった。
身体つきがよく、丈夫そうな男である。競売人が年齢や働きぶりを説明すると、見物人の中から次々と値段が上がった。
「……あれ?」
どうやら、売っているのは物ではないらしい。
買い手が決まると、男は係の者に連れられて壇を降りた。
続いて現れたエルフの女性は、容姿や礼儀作法、読み書きができることを紹介され、こちらもすぐに買い手がついた。
アオイは昨夜の宿で会ったエルフの男を思い出した。
「……奴隷の競売なんだ」
ちょうど菓子を運んできた店員が答える。
「ええ。今日は定期市の日ですから」
「よくやってるの?」
「月に何度か開かれていますよ。遠方から買い付けに来る方もいらっしゃいます」
何でもないことのように説明され、アオイは再び広場を見た。
あまり気分のよいものではない。
とはいえ、帝国ではこれが普通なのだろう。ここで騒いだところで、どうにかなるとも思えなかった。
アオイは菓子を一口食べた。
「……おいしい」
味は、さっきと変わらずおいしかった。
◇
競売はしばらく続いた。
荷役向きの獣人、家事を任せられるエルフ、職人の手伝いができるドワーフ。競売人はそれぞれの長所を説明し、買い手たちが値をつけていく。
アオイがそろそろ席を立とうかと考えたとき、小さな獣人の女の子が壇へ連れてこられた。
まだ幼い少女だった。
髪は乱れ、頬はこけている。服は汚れて破れ、腕や足には傷が見えた。
係の男に腕を引かれても、女の子はうまく歩けない。ようやく壇の中央まで来ると、その場に座り込んでしまった。
「さて、こちらは少々訳ありでございますが……」
競売人が説明を始める。
長く使役され、怪我を負ったまま引き取られた奴隷らしい。年齢の割に身体も小さく、今の状態では満足に働けないという。
見物客から声が飛んだ。
「そんなものを持ってくるなよ」
「治療費の方が高くつくだろう」
競売人は苦笑いを浮かべ、値段を下げていった。
「銀貨十枚! いかがでしょう!」
反応はない。
「では、銀貨五枚!」
それでも誰も手を挙げなかった。
女の子は俯いたまま、じっとしている。
やがて競売人は肩をすくめた。
「仕方ありませんな。こちらは処分といたしましょう」
係の男が女の子の腕をつかみ、引きずるように立たせようとする。
アオイは眉をひそめた。
「……処分?」
近くを通りかかった店員に声をかける。
「ねえ、あの子、どうなるの?」
「え? ああ、買い手がつかなかった奴隷ですか」
「処分って言ってたけど」
「働けない奴隷をいつまでも養うわけにはいきませんから。おそらく、そのまま処分されるのでしょうね」
「……殺すってこと?」
店員は少し困ったような顔をした。
「まあ、そういうことになるかと」
アオイは広場を見た。
女の子は壇の奥へ連れていかれようとしている。
「……ちょっと待って!」
声を上げて立ち上がると、周囲の何人かが振り返った。
アオイは壇の前へ歩いていく。
「ねえ、その子、売れなかったんでしょ?」
「ええ。残念ながら」
「じゃあ、私が買うわ」
「……はい?」
「処分するくらいなら、私が買ってもいいでしょ?」
競売人は驚いた様子だったが、すぐに商売人の顔に戻った。
「もちろんでございます。しかし、ご覧のとおり、満足に働ける状態ではありませんぞ?」
「見れば分かるわよ」
「そうでございますか。では、先ほどの銀貨五枚でいかがでしょう」
「ふうん。じゃあ、それで」
アオイは革袋を取り出し、中を覗いた。
「あれ? さっき使っちゃったんだっけ」
銀貨も銅貨も、見当たらない。
「……これしかないわね」
取り出したのは金貨一枚だった。
「これで足りる?」
競売人は目を丸くした。
「き、金貨でございますか! ええ、もちろんでございます!」
慌てて係の男を呼び、代金の確認と奴隷の引き渡しの手続きを始める。
アオイは示された書類を確かめて署名した。奴隷契約の所有者も、手続きによってアオイへ移されるらしい。
もっとも、その魔術的な仕組みまではよく分からない。
しばらくして、競売人が袋を持って戻ってきた。
「お待たせいたしました。お釣りの銀貨九十五枚でございます」
「……九十五枚?」
袋の中を覗くと、銀貨がぎっしり詰まっていた。
「……なんか、嵩張るわね」
「は、はあ……」
アオイは袋を手に、少し考えた。
そのとき、テラス席の方から先ほどのカフェの店員がこちらを見ているのに気づいた。
「あ、そういえば。私、まだお金払ってなかったわね」
店員が慌てて近づいてくる。
「はい。お会計はまだですが……」
「ちょうどよかった。お代、ここから取って」
アオイは銀貨の袋を差し出した。
店員は戸惑いながら代金を取り、袋を返す。
「ありがとうございました……」
「うん。ごちそうさま。おいしかったわ」
アオイは女の子に目を向けた。
「ねえ、この子が着られる服とかない?」
競売人は一瞬、何を言われたのか分からなかったようだった。
「服、でございますか?」
「そう。見てよ、この格好。着替えくらい必要でしょ」
「奴隷用の衣服でしたら、多少はございますが……」
「見せてもらえる?」
係の男が粗末な服を何着か持ってきた。
アオイは広げてみて、顔をしかめた。
「……もうちょっと、かわいいのないの?」
「か、かわいい、ですか?」
「女の子なんだから、かわいい服の方がいいでしょ」
競売人は答えに困っていた。
「……もういいわ。服屋さんで買う」
アオイは女の子に向き直った。
「ねえ、これ持っててくれる?」
銀貨の袋を差し出すと、女の子が驚いたように顔を上げた。
「あの……お金……」
「うん。銀貨ばっかりで嵩張るのよ」
「でも……」
「大丈夫よ。私、こっちあるし」
アオイは別の袋を取り出し、中の金貨をちらりと見せた。
「ね?」
女の子は目を丸くした。
「じゃあ、お願いね」
女の子は恐る恐る袋を受け取り、両手で抱えた。
「それじゃ、服屋さんを探しましょ」
アオイは歩き出した。
しかし、女の子がついてこない。
「……あれ?」
振り返ると、女の子が立ち上がろうとしていた。だが、足に力が入らず、その場に崩れ落ちてしまう。
「ちょっと、大丈夫?」
アオイは戻ってきて、女の子の前にしゃがみ込んだ。
傷だらけの足に目を向け、魔力を流して状態を確かめる。
「……あら、思ったより酷いわね」
骨にも筋肉にも損傷があった。古い傷が治りきらないまま、無理をさせられていたらしい。
「ちょっとじっとしててね」
アオイは傷ついた組織を整え、骨を元の位置へ戻していった。
女の子の身体を淡い光が包む。
腫れが引き、傷が塞がっていく。痩せ細った身体はそのままだが、歩けない原因になっていた怪我は治ったはずだった。
「……よし。これでどう?」
女の子は恐る恐る足を動かした。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
一歩、また一歩。
自分の足で歩けることが信じられないように、何度も足元を見つめている。
「うん。大丈夫そうね」
アオイは満足そうに頷いた。
「じゃ、服屋さんを探しましょ」
女の子の手を取って歩き始める。
広場は静まり返っていた。
競売人も、奴隷を買いに来ていた客たちも、目の前で起きたことを理解できずにいる。
「……今の、治癒魔法か?」
「詠唱していなかったぞ……」
「あれだけの怪我を、あっという間に……?」
ざわめきが広がり始めた頃、アオイはすでに人混みを抜けていた。
「ねえ、あなた、名前は?」
女の子は銀貨の袋を抱えたまま、戸惑ったようにアオイを見上げた。
「……名前、言える?」
小さく頷く。
だが、声は出てこなかった。
「まあ、いいわ。あとで聞くから」
アオイは前を向いた。
「それより、お腹空いてない? 服を買ったら、何か食べましょ」
女の子は何も答えなかった。
ただ、つながれた手を離さないように、小さな指に力を込めていた。




