第40話 帝国の宿
昼を少し過ぎた頃、街道の先に大きな街が見えてきた。
高い城壁が左右に長く続き、その内側には建物の屋根がいくつも見える。門の前では荷馬車が列を作り、旅人や商人が順番を待っていた。
「へえ、結構大きな街ね」
アオイは城壁を見上げた。
「帝国と王国を結ぶ交易の拠点だからな。人も物も集まる」
隣を進む隊長が答える。
「じゃあ、ここが目的地?」
「ああ。商会の支部がある。荷を降ろせば、今回の護衛は終わりだ」
「やっと終わりね。思ったより長かったわ」
「……お前がそれを言うか」
隊長は呆れたような顔をした。道中では何度も襲撃を受けたが、アオイはそのたびに常識外れの方法で片づけてきた。助かったことは間違いないものの、隊長としては気の休まらない旅でもあった。
「何よ。ちゃんと護衛してたじゃない」
「それは認める。もう少し普通にやってくれれば、なおよかったがな」
「普通にやったつもりだけど?」
「……もういい」
隊長は前を向き、アオイも街へ視線を戻した。
門の手前では行商人が食べ物や日用品を売り、馬車の間を旅人が行き交っている。商隊が列の最後尾につくと、隊長は護衛たちに警戒を続けるよう指示した。代表が門番に書類を見せ、しばらくして通行の許可が下りる。
街の中は、外から見た以上に賑わっていた。
石畳の大通りには商店や宿屋が並び、荷車を引く者、買い物客、客を呼び込む店員の声が入り交じる。建物の造りも服装も王国とは少し違い、見ているだけで飽きない。
ただ、一つ気になることがあった。
街道沿いの畑ではあれほど見かけた亜人の姿が、通りにはまったく見当たらない。
「……あれ?」
アオイが左右を見回していると、先を歩く女冒険者が振り返った。
「ちょっと、キョロキョロしてないで前を見なさいよ」
「見てるわよ。馬車がちゃんと進んでるか確認してるんだから」
「……本当かしら」
「失礼ね」
アオイは口を尖らせたが、それ以上は言わなかった。
商隊は大通りを外れ、倉庫が並ぶ一角へ入った。やがて商会の看板を掲げた大きな建物の前で止まる。
「ここが支部だ。荷を降ろす間、もう少し頼むぞ」
隊長の指示で護衛たちが配置についた。代表が支部の者と挨拶を交わし、帳簿を確かめる。倉庫の扉が開くと、荷役の者たちが馬車へ集まってきた。
アオイはその姿に目を留めた。
重い木箱を運んでいるのは、がっしりした体つきのドワーフや、獣の耳を持つ者たちだった。人族の商会員は荷の数を数え、運び先を指示している。
通りでは見かけなかった亜人が、倉庫には大勢いる。
「……なるほどね」
何となく事情が分かった気もしたが、詳しいことは知らない。アオイは担当の馬車のそばで、荷降ろしが終わるのを待った。
やがて最後の荷が運び込まれ、確認を終えた支部の者が代表に書類を渡した。
代表はそれを確かめると、護衛たちの前へ出た。
「皆さん、お疲れさまでした。おかげさまで無事に荷を届けることができました。道中のご尽力に、心から感謝いたします」
護衛たちの間に安堵の空気が広がった。隊長が任務の終了を告げ、アオイも大きく伸びをする。
「ふう。これで終わりね」
「アオイ様には特にお世話になりました」
代表が歩み寄ってきた。
「依頼を受けたんだから、気にしなくていいわよ」
「それでも、お礼をさせてください。今夜はお二人に宿をご用意しました。この街でも評判のよい宿です」
「宿? それはありがたいわね」
女冒険者も嬉しそうに頷いた。報酬の精算に必要な書類を受け取ると、二人は商会員の案内で宿へ向かうことになった。
「ねえ、これからどうする?」
アオイが尋ねると、女冒険者は肩を回した。
「今日は宿でゆっくりしましょう。さすがに疲れたわ」
「そう? 私は街を見てこようかな」
「……あなた、本当に元気ね」
「普通じゃない?」
「まあ、好きにすればいいけど。帝国で面倒事を起こさないでよ」
「分かってるわよ」
女冒険者は返事の代わりにため息をついた。
◇
案内された宿は、大通りから少し離れた場所にあった。
磨き上げられた扉の向こうには広い玄関と美しい絨毯。受付に立つ者の服装まで揃っている。
「……ずいぶん豪華ね」
「こんな宿、初めてだわ」
女冒険者も目を丸くした。
手続きを終えると、それぞれ別の部屋へ案内された。女冒険者はさっそく休むつもりらしく、部屋の前で軽く手を振る。
「私は寝るわ。また明日ね」
「ええ、おやすみ」
「……まだ昼間だけどね」
扉が閉まるのを見送り、アオイも自分の部屋へ入った。
広い寝台に立派な家具。窓からは街の屋根が見渡せる。奥の扉を開けると、浴槽まであった。
「へえ、お風呂もあるんだ」
王都の宿に浴室を作ったことを思い出し、少し嬉しくなる。
「本日、お部屋を担当いたします。何なりとお申し付けください」
案内してきた男が丁寧に頭を下げた。
長く尖った耳に、金色の髪。整った顔立ちの成人男性で、アオイがこれまで間近で見たことのないエルフだった。
「あなた、エルフなのね」
「はい」
男が名乗ると、アオイも自分の名を伝えた。
「お風呂の用意は整っております。ご入浴のお手伝いをいたしましょうか?」
「え? お風呂くらい一人で入れるわよ」
「かしこまりました。お着替えのお手伝いは?」
「それも大丈夫」
「承知いたしました」
男は表情を変えず、一礼した。
「じゃあ、もう戻っていいわよ。必要なら呼ぶから」
「恐れ入ります。お客様がお休みになられるまで、おそばに控えるよう申し付けられております」
「ずっと? 大変じゃない?」
「これが私の務めですので」
「休みたいときは休めないの?」
男はわずかに目を伏せた。
「私はこの宿が所有する奴隷でございます。主人の許可なく持ち場を離れることはできません」
「……奴隷?」
「はい。契約魔術によって拘束されております」
アオイは男の顔を見つめた。
「契約魔術って、何をする魔法なの?」
「定められた禁止事項に逆らえなくするものと聞いております。逃げることも、主人に危害を加えることもできません」
「そんな魔法があるんだ……」
人の行動だけを魔術で制限する。どういう仕組みなのか、少し気になった。
「じゃあ、今は外で待ってて。お風呂に入るから」
「かしこまりました」
男が出ていくと、アオイは浴室へ向かった。
知らない国には、知らない魔法もあるらしい。
もっとも、今は久しぶりにゆっくり湯につかれることの方が嬉しかった。
◇
夕食を済ませて部屋に戻ると、エルフの男が飲み物を用意し、寝台を整えてくれた。
「もう大丈夫よ。今日は寝るだけだから」
「かしこまりました。それでは、今夜のお相手も不要ということでよろしいでしょうか」
「……相手?」
「ご希望がございましたら、夜のお相手も務めさせていただきます」
「……そういうこともするの?」
「はい。それも私の役目でございます」
男の口調は、食事を運ぶときと何も変わらなかった。
「私はいいわ。もう休みたいし」
「承知いたしました。何かございましたら、お呼びください」
一礼して男が下がると、部屋は静かになった。
アオイは扉を眺め、それから寝台に腰を下ろした。
街道沿いの畑で働いていた亜人たち。商会の倉庫で荷を運んでいた者たち。そして、この宿のエルフ。
どうやら帝国では、王国とは随分事情が違うらしい。
◇
夜も更け、廊下の物音もほとんど聞こえなくなった。
アオイが寝台に寝転んでいると、竜王が声をかけてきた。
「……なあ、アオイよ」
「何よ。もう寝ようと思ってたのに」
「先ほどのエルフのことだが」
「ああ、奴隷だって言ってた人?」
「お主、あの契約魔術を調べてみたか?」
「いいえ。そんな魔法もあるんだって思っただけ。勝手に人の魔力を調べるのもどうかと思うし」
「ふむ。それもそうか」
アオイは枕に頬を乗せた。
「でも、面白い魔法よね。特定の行動だけを禁止するなんて」
「考え方自体は、それほど難しくあるまい。ある行動を取ろうとした際に、魔力がそれを妨げるように組めばよい」
「それなら私にもできそうね」
「できぬことはなかろう。ただし、何を禁じるかが問題じゃ。禁止事項が増え、条件が細かくなるほど術式は複雑になる」
「そっか。じゃあ、逃げちゃ駄目っていうのと、主人を傷つけちゃ駄目っていうのも、別々に組み込むのね」
「おそらくな。しかも、あの者のように長く安定して作用させるには、随分と試行錯誤を重ねたはずじゃ」
「ふうん。よくそんなものを作ったわね」
「……そこが気になるところよ」
竜王は少し間を置いた。
「人の行動を制限する術じゃ。術式が正しく働くかどうか、どう確かめたと思う?」
アオイは顔を上げた。
「……まさか、人で試したの?」
「最後はそうせねば分かるまい。失敗すれば、身体や魔力にどのような影響が出るかも分からぬ。完成するまでに相当な犠牲が出たとしても、不思議ではないな」
アオイは黙った。
誰かが利益を得るために、別の誰かを差し出す。
前の世界で聞いた生贄の話が、ふと頭をよぎった。
「……相変わらずね、人間って」
「お主も人族であろう」
「分かってるわよ」
アオイは布団を引き寄せた。
「でも、そういうのは嫌いなの」
「ふむ。もっとも、今のはわしの推測にすぎぬがな」
「……そうね」
実際にどうやって作られた魔術なのか、二人とも知らない。
それでも、便利な魔法だと感心していた気分は、すっかり薄れてしまった。
「もう寝るわ」
「ああ」
アオイは目を閉じた。
明日は街を見て回ろう。できれば、面倒なことには関わらずに。
そう考えながら、アオイは眠りについた。




