第39話 帝国の事情
夜も更け、帝国の商会本部では会頭が執務室で書類に目を通していた。
不意に、扉を叩く音が響いた。
「何事だ」
「会頭。王国へ向かった商隊から、急ぎの知らせが届きました」
扉の向こうから聞こえてきたのは、長年仕えている執事の声だった。
普段はどのような事態にも落ち着いて対処する男だが、その声には珍しく焦りが混じっている。
会頭は書類を机に置いた。
「入れ」
扉が開き、執事が一通の報告書を差し出した。
「見せろ」
受け取った紙に目を走らせる。
読み進めるにつれ、会頭の表情が険しくなっていった。
執事はすでに内容を確認しているのだろう。緊急の報告が会頭のもとまで届くのは、この男が重要と判断した場合に限られる。
「……なんだ、これは」
思わず漏れた言葉に、執事が静かに答えた。
「王国の介入でしょうか?」
会頭は報告書から目を離し、執事を見た。
「介入だと? まだ何も起きておらん。王国がわざわざ内政干渉を疑われるような真似をする理由があるか?」
「ですが、偶然にしては出来すぎております」
「……それは否定できんな」
「表立って動けないからこそ、少数精鋭を送り込んできた可能性もあるかと」
会頭は苛立たしげに机を指で叩いた。
しばらく考え込んだ後、執事に視線を向ける。
「商隊は表のものだな?」
「はい。彼らは何も知りません」
「ということは、見たままの報告とも言えるか……」
会頭は改めて報告書に目を落とした。
レグナス王国の王女と親しく、王城に出入りし、宮廷魔術師とも交流があるという女冒険者。
さらに、大規模な盗賊団をほぼ一人で撃退したと記されている。
「しかし、こんな魔術師が本当に存在するのか?」
「調べますか?」
「そうだな。このアオイという者の力が本当か、確認しろ」
「承知いたしました」
「それと、この件は侯爵を通じて、あのお方の耳にも入るようにしておけ。後になって、知っていながら報告しなかったなどと言われても面倒だ」
「かしこまりました」
執事が一礼する。
会頭は再び報告書に目を落とした。
レグナス王国から来た、アオイという女冒険者。
その名を、もう一度確かめるように眺めた。
***
翌朝。
帝国の街道を、商隊の馬車が列をなして進んでいた。
国境を越えてからも、周囲の景色は王国と大きく変わらない。
街道沿いには畑が広がり、遠くには森が見える。畑では農作業が行われ、森の近くでは伐採した木を荷車に積み込む人々の姿があった。
しかし、アオイはその光景にどこか違和感を覚えていた。
「……なんか、変ね」
畑で働く人々に目を向ける。
獣の耳を持つ者、背の低いがっしりとした者。遠目にも、人族とは異なる特徴を持つ者たちが多いことが分かる。
王国でも亜人を見かけることはあったが、ここでは働いている者のほとんどが亜人だった。
それだけではない。
彼らの衣服は擦り切れ、継ぎ当てだらけのものが目立つ。黙々と作業を続けるその表情にも、どこか生気が感じられなかった。
一方、畑の脇には身なりのよい人族の男が立ち、作業の様子を眺めている。
アオイはしばらくその光景を見つめていた。
「ねえ、帝国って亜人が多いの?」
アオイは隣を歩いていた女冒険者に声をかけた。
「さあ? 私も帝国に来るのは初めてなんだから、知らないわよ」
「そうなの? なんか、畑で働いてる人たち、亜人ばっかりじゃない?」
女冒険者も街道沿いの畑に目を向けた。
「言われてみれば、そうね」
そんな二人の会話を耳にした隊長が、馬上から声をかけてきた。
「帝国では亜人の身分が低いんだ」
「身分?」
「ああ。帝国は周辺の国々を併合して領土を広げてきたからな。あそこで働いている連中も、併合された亜人の国の者たちじゃないか?」
「ふーん……」
アオイは再び畑へと目を向けた。
隊長の口調には、特に嫌悪や憐れみといった感情は感じられなかった。帝国の事情を、ただ事実として伝えているだけのようだった。
「でも、同じ人間なのに、そんな扱いをするなんて――」
女冒険者が不満げに口を開いたが、言い終える前に隊長がそれを遮った。
「そこまでにしておけ」
「でも!」
「この商隊は他国との行き来に慣れているから構わんが、思ったことを何でも口にするのは感心せんな」
隊長は街道の先へ視線を向けたまま続けた。
「国ごとに文化や風習は違う。他国の者がそれを表立って批判すれば、要らぬ揉め事を引き起こすぞ」
「それは……」
「例えば、帝国から来た商隊の者が、王国のやり方をあれこれ批判していたら、お前はどう思う? いい気はせんだろう?」
女冒険者は何か言い返そうとしたが、結局、口を閉じた。
隊長はそれ以上何も言わず、馬を進めていった。
しばらくして、アオイがふと思い出したように女冒険者へ声をかけた。
「そういえば、王国では亜人ってどんな扱いなの? ドワーフとかエルフとか獣人とかのことよね?」
その言葉に、女冒険者だけでなく隊長まで固まった。
「……お前、このタイミングでそれを聞くのか?」
「え? 何かおかしい?」
「王国での話を、わざわざ帝国に入ってからする必要があるのか?」
「だって、話を聞いてて気になったんだもの。今までは特に気にしてなかったし、たまに街中で見かけるくらいだったから」
アオイは不思議そうに首をかしげた。
「……はぁ」
隊長は思わず大きなため息をついた。
「王国の話なら、お前から説明した方がいいだろう」
隊長は女冒険者にそう告げると、馬を進めて二人から離れていった。
残された女冒険者は、少し呆れたようにアオイを見た。
「まったく、あなたって本当に変わってるわね」
「そう? 知らないから聞いただけじゃない」
「まあ、そうだけど……」
女冒険者は少し考えてから口を開いた。
「王国では、亜人だからって特別に扱いが違うわけじゃないわよ。王家や国の中枢にいるのはほとんど人族だけど、庶民の暮らしでは特に区別されてないわ」
「そうなの?」
「ええ。ドワーフなら鍛冶や建築、エルフなら魔術に関わる仕事とか、それぞれの得意なことを生かして暮らしているわね」
「ふーん。じゃあ、騎士団とかにもいるの?」
「いるわよ。ただ、そんなに多くはないわね。逆に冒険者には結構いるんじゃないかしら」
「なんで?」
「さあ? 種族によって考え方が違うのかもしれないわね。亜人は人族ほど地位や権力に興味がなくて、自分の腕で生きていく方を好む者が多いって聞くわ」
「へえ。そういうものなのね」
「もちろん、人によるでしょうけどね。別に騎士団に入れないわけじゃないし」
アオイは納得したように頷いた。
そんな話を聞いたアオイは、改めて周囲の景色に目を向けた。
畑では相変わらず亜人たちが黙々と働いている。
王国と帝国では、ずいぶんと事情が違うらしい。
もっとも、考えてみれば王国のことだって、それほど詳しく知っているわけではない。
「……まあ、いっか」
知らないことをあれこれ考えても仕方がない。
アオイはそう結論づけると、それ以上考えるのをやめた。




