第38話 川の向こう
あの夜から数日、商隊は帝国へ向かって街道を進んだ。
盗賊の襲撃はなく、道中は穏やかだった。アオイは代表の馬車のそばを歩き、休憩になれば水を飲み、食事ができれば器を受け取った。
代表から専属の話をされることもなくなっていた。
ようやく護衛だけしていればよくなったらしい。アオイには、そのくらいがちょうどよかった。
国境手前の町へ着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
街道沿いには宿や食堂が並び、店先には樽や袋が積まれている。車輪を外して修理している店もあり、その奥には荷を保管する大きな建物が見えた。
商隊は街道に面した庭へ入り、馬を休ませた。
「ここで泊まるの?」
アオイが隊長へ尋ねると、隊長は首を振った。
「いや。関所が混んでいなければ、今日のうちに渡る」
庭に面した建物から、護衛の一人が戻ってきた。隊長へ近づき、関所はそれほど混んでいないと伝える。
隊長から報告を受けた代表は頷いた。
「では、今日のうちに渡りましょう」
馬の世話が済むと、商隊は再び街道へ出た。
町を離れるにつれ、店や家は少なくなった。
代わりに兵士の姿が目につくようになる。道の脇には柵が続き、その向こうには物見のためらしい高い台が立っていた。
やがて前方が開け、大きな川が見えた。
向こう岸へ長い橋が架かり、その手前には石造りの建物と門がある。数台の馬車が並び、兵士が荷台の覆いを持ち上げていた。
アオイは橋の先へ目を向けた。
向こう岸にも建物があり、槍を持った者が立っている。
「あっちが帝国?」
「ああ。この川が境だ。こちらの関所を通って橋を渡る。向こうでも確認がある」
「二回も?」
「国が違うからな」
川の向こうにも道があり、木々が生えている。国が違うと言われなければ、ただ大きな橋があるだけに見えた。
「面倒なのね」
「そういうものだ」
商隊が列の後ろにつくと、代表が馬車を降りてきた。
革の袋から書類を取り出し、一枚ずつ開いている。アオイが近づいても、しばらく気づかなかった。
「何か足りないの?」
代表は顔を上げ、手元の書類を畳んだ。
「いえ。必要なものは揃っています」
「なら、いいじゃない」
「ええ。そうなのですが」
代表は門のほうへ目を向けた。
今日は、いつもより落ち着かない様子だった。だが、自分に何か頼んでくるわけでもないので、アオイは気にしないことにした。
前の馬車を調べていた兵士が、書類を持つ男へ何か尋ねている。男が答えると、今度は荷台の奥の箱が開けられた。
代表はその様子を黙って見ていた。
アオイは馬車へ戻り、順番を待った。
「次の商隊!」
呼ばれると、代表はすぐに進み出た。
「帝国へ戻る商隊です。通行の書類と、荷の一覧はこちらに」
兵士が書類を受け取り、別の者たちが馬車へ向かった。商隊の男たちが覆いを外し、荷を確かめられていく。
アオイが脇へ寄って見ていると、隊長に呼ばれた。
「アオイ、身分証を」
門の前には女性冒険者も戻ってきていた。彼女の確認が済むのを待ち、アオイも身分証を差し出す。
「アオイ。Cランクか。帝国までの護衛か?」
「ええ」
「帰りも、この商隊と一緒か?」
「まだ分からないわ」
「帰路の契約はしておりませんので」
そばに立つ代表が言葉を添えた。
兵士は頷き、身分証を返した。
「帝国側でも提示するように」
「分かったわ」
自分の確認は、それで終わった。
荷を調べていた兵士たちも戻り、代表へ書類が返される。
「通ってよい。橋の上では止まるな」
「ありがとうございます」
代表は頭を下げた。
隊長が出発を知らせ、馬車が順に門を抜けていく。アオイも持ち場の馬車に続いた。
門の先では代表が待っていた。
「何もなくてよかったわね」
声をかけると、代表は一瞬遅れてアオイを見た。
「……ええ。向こうでも、同じようにお願いいたします」
「身分証を見せるんでしょ?」
「はい」
「分かったわ」
橋へ入ると、車輪の音が変わった。
アオイは欄干の向こうを覗いた。流れは速く、深いところは水の底が見えない。橋がなければ、馬車を渡すのは大変だろう。
少し先を歩く隊長に追いつき、向こう岸を見ながら言った。
「国が変わるのね」
「ああ。ここからは帝国だ」
「景色は変わらないわね」
「川を渡っただけだからな」
両岸の兵士が、橋を渡る商隊へ目を向けていた。
アオイは川から顔を戻し、そのまま馬車について歩いた。
橋の出口には、石造りの門があった。脇には兵士の詰所があり、道を挟んだ向かいには、荷を調べるための広い場所が設けられている。
門の前に立つ兵士が手を上げ、先頭の馬車を止めた。
代表が前へ進み、書類を差し出す。
「王国から戻りました。荷の一覧はこちらです」
兵士は書類を開き、商隊の馬車へ目を向けた。
「荷はこちらへ。護衛も身分を確認する」
隊長の指示で、馬車が検査の場所へ寄せられていく。
アオイも女性冒険者とともに呼ばれ、身分証を見せた。兵士は記載を確かめ、護衛として同行していることを聞くと、二人へ返した。
馬車のそばへ戻ると、王国側で留め直した荷の覆いが、また外されていた。
兵士が一覧と荷を照らし合わせ、商隊の男たちが箱を開ける。荷を管理する男が説明するそばで、代表は検査の様子を見ていた。
検査が済むと、男たちは覆いを戻し始めた。だが、代表は兵士に呼ばれ、関所の建物へ入っていった。
「まだかかるの?」
アオイが尋ねると、隊長は建物へ目を向けた。
「荷の確認は終わったが、まだ手続きがある。もう少し待ってくれ」
「そう。分かったわ」
馬車のそばで待っていると、やがて代表が出てきた。
書類を袋へ収め、隊長へ頷く。
「済みました。進みましょう」
商隊は検査の場所を出て、門を通った。
その先では、街道がまた遠くまで続いていた。
しばらく進むと道の両脇に家が見え始め、日が傾きかけた頃、商隊は町へ入った。
今夜の宿は、大きな倉庫に隣接していた。
アオイは庭で自分の荷物を受け取り、入口で部屋の案内を待った。
今夜は外で寝なくて済む。
階段を上りながら、それだけで少し気が楽になった。
◇
代表が馬車を降りると、倉庫から出てきた男が挨拶に来た。
この町で商会の荷を扱っている者だった。代表は挨拶を返し、荷の受け入れは担当の者と進めるよう伝えた。
男が部下へ指示を出すのを待ってから、代表は声を落とした。
「あなたには、別にお願いしたいことがあります。中で話せますか」
男に案内され、倉庫脇の部屋へ入った。
帳簿の置かれた机と、壁際に並ぶ書類の束。男が扉を閉めるのを待ち、代表は用件を切り出した。
「会頭へ、先に届けたい知らせがあります」
「急ぎですか?」
「ええ。商隊の到着を待たずに届けてください」
「承知しました。書状をお預かりすれば、使いを出します」
代表は机を借り、用意された紙へ筆を置いた。
護衛として雇ったアオイの名と、ギルドを通して雇った経緯を書く。
続いて、盗賊の襲撃を退けた力と、負傷した護衛をその場で治したことを記した。どちらも、自分たちが目の前で見たことだった。
王家との関係は、誰から聞いた話かを分けて書いた。
王女の宿への訪問は、盗賊と女性冒険者から聞いている。王城への滞在、宿代の負担、宮廷魔術師ゾルムとの付き合いは、本人が認めた。
親書も王家からの依頼も、本人は否定している。
そこまで書き、代表は筆を止めた。
最後の話を、どう伝えればよいのだろう。
昔の勇者が封じた魔王を、復活させようとしていた。
アオイは、そう言った。
だが、誰が、何のために。誰を助けたというのかも、分からないままだった。本人も、魔王だったかと首を捻っていた。
代表は少し考え、続きを書いた。
魔王と呼ぶ存在の復活に関わる話も出たが、説明は曖昧で詳細は不明。宮廷魔術師ゾルムが事情を知るとのこと。
読み返すと、普通の護衛についての報告には出てこない言葉が並んでいた。
王家との付き合いは、半月程度だという。
その短い間に王城へ泊め、宿の費用まで負担する。それだけの力があることは分かるが、王家の考えまで分かるわけではない。
代表は最後に、王国側の意図は判断できないため、念のため報告する旨を添えた。
紙を折り、封をする。
部屋の外で待っていた男を呼び、書状を渡した。
「会頭へ直接届けてください。扱いは慎重にお願いします」
「承知しました。すぐに手配します」
男は書状を受け取り、使いを手配するために部屋を出ていった。
代表は椅子へ腰を下ろし、机の上に残った筆へ目を落とした。
これで、自分一人の判断で抱え込まずには済む。
あとは会頭の判断を待つしかなかった。




