第34話 半分くらい
翌朝、宿の中庭には、出発を待つ馬車が並んでいた。
御者たちが馬具を確かめ、荷台の縄を締め直している。厩から連れ出された馬が首を振ると、朝の冷たい空気の中で金具が鳴った。別の宿に泊まっていた護衛たちも集まり、隊長の指示を受けてそれぞれの持ち場へ向かっていく。
アオイは宿の入口で欠伸を噛み殺した。
「眠そうだな。昨夜、遅くまで歩いていたのか?」
馬に乗った隊長が、そばで手綱を引いた。
「そんなに遅くなかったわよ。ちゃんと帰って寝たし」
「ならいい。今日も代表の馬車のそばだ。町を出たら、しばらく林の間を通る」
「分かったわ」
代表が宿の者に礼を述べ、馬車へ乗り込む。先頭の御者が馬を進ませると、後ろの馬車も一台ずつ中庭を出ていった。
門前では、朝のうちに町へ入ろうとする荷馬車が脇へ寄り、商隊の通過を待っていた。門番に見送られ、長い隊列が街道へ伸びていく。
町を離れてしばらくは、道の両側に畑が続いていた。刈り取られた茎の間を小鳥が跳ね、遠くでは農夫が荷を背負って歩いている。やがて畑が途切れ、低い灌木の向こうに林が近づいてきた。
道幅は馬車がすれ違えるほどあったが、両側の木々が枝を伸ばしている。車輪に踏み固められた土には深い轍が残り、馬車がそこへ入るたび、荷台がゆっくり揺れた。
アオイは代表の馬車の横を歩きながら、林へ目を向けた。
葉の擦れる音に混じって、何かが動いている。
獣にしては数が多い。道の片側だけでもない。
前を行く隊長も、同じものに気づいたらしかった。馬の歩調を落とし、林の奥へ視線を向ける。
「間を空けるな。馬車を寄せろ」
近くの御者たちへ指示を出すと、隊長は護衛の一人に声をかけた。
「後ろにも伝えろ」
護衛は頷き、隊列の後方へ走った。
そのとき、隊列の後ろから叫び声が上がった。
「後ろだ! 道に出てきたぞ!」
振り返ると、最後尾の馬車の向こうに、武器を持った男たちが現れていた。林の左右から次々に出てきて、街道を塞いでいく。擦り切れた革鎧、むき出しの腕、錆の浮いた剣。弓を手にした者もいた。
最後尾の護衛が馬車と男たちの間へ入り、盾を構える。
隊長が馬を返した。
「後ろは押さえろ! 馬車は先へ進め! 止まるな!」
御者が手綱を打つ。重い荷を積んだ馬車が速度を上げ、車輪の軋む音が続いた。
だが、先頭からも声が飛んできた。
「前にもいる!」
街道の曲がり角から、別の男たちが姿を見せていた。前後を塞ぐように広がり、その間の林からも人影が出てくる。
先頭にいた女性冒険者は、すでに弓を構えていた。矢を番え、近づく男へ狙いをつける。ほかの護衛も馬車の外側へ回り、剣や槍を抜いた。
「馬車を守るのを優先しろ! 深追いはするな! 馬車の近くから離れるな!」
隊長の声に、アオイは足を止めた。
前後の男たちを見てから、長く連なる馬車へ目を戻す。
「守ればいいのね」
足元から、低い振動が伝わった。
馬車と護衛たちを囲むように、道の土へ亀裂が走る。左右の地面が帯のように盛り上がり、草や小石を巻き込みながら、勢いよくせり上がった。
馬がいななき、御者が慌てて手綱を引く。
女性冒険者の狙っていた男が、土の向こうへ消えた。
「えっ?」
弓を構えた姿勢のまま、彼女は顔を上げた。
目の前には、人の背丈を越える壁があった。左右だけではない。先頭の馬車の前にも、最後尾の後ろにも土が立ち上がり、商隊全体を囲っている。
林も、盗賊も見えなくなった。
馬車が次々に止まる。急に狭くなった視界の中で、護衛たちが壁と互いの顔を見比べていた。
外で何かがぶつかり、乾いた音がした。矢らしい。土壁の上を越えた一本が内側へ落ち、馬車から離れた地面に刺さった。
アオイがそちらを見ると、壁はさらに高くなった。
「……お前がやったのか」
隊長が、アオイのそばへ馬を寄せた。
「そうよ」
「このままじゃ進めないだろ」
「守れって言ったじゃない」
「そうじゃなくてだな」
アオイは眉を寄せた。
「どうしたいのよ」
隊長は一度、閉ざされた前方を見た。
「奴らを排除して、先へ進む」
「それなら、皆殺しにする?」
隊長の顔が強張った。
「いや、それだと何者か分からん」
「悪者でしょ?」
「そうではなくてだな……」
言いかけて、隊長は口を閉じた。手綱を握り直し、アオイを見下ろす。
「お前に任せると、むちゃくちゃにしそうだな」
「そう? 守れてるわよ?」
壁の外から、怒鳴り声が聞こえてきた。
何人かが壁を叩いているらしい。硬いものがぶつかる音に混じって、上から入れ、馬車を逃がすなという声がする。
隊長は馬を降り、近くの護衛たちを呼び集めた。
「このままここにいる訳にはいかない。馬車を守りつつ、前から突破するぞ」
「でも隊長、数が多すぎます」
後方から戻ってきた男が言った。息を整えながら、親指で背後を示す。
「後ろだけでも、こっちの護衛と同じくらいはいました。前と林の中にもいるとなると、厳しいです」
隊長は閉ざされた前方へ目を向けた。突破に人数を割けば、後ろの守りが薄くなる。だが、馬車を守りながら押し通るには、こちらの手が足りない。
壁の外では、今も男たちの声が続いていた。隊長が眉間に皺を寄せて考え込んでいると、アオイが口を開いた。
「なら、半分くらいにすればいい?」
隊長が、ゆっくり彼女へ向き直る。
「あぁ……頼む」
何か言いたそうな隊長だったが、諦めたように呟いた。
「分かったわ」
アオイが先頭の馬車の前へ向かうと、そこにいた女性冒険者が弓を下ろした。
「ちょっと。一人で何するつもり?」
「人数が多すぎるみたいだから、半分に減らしてくるわ」
アオイの足元で土が細く盛り上がった。棒状に伸びたそれを掴むと、先端が平たく広がり、緩く反った刃になる。柄から刃まで、表面が滑らかに締まっていった。
女性冒険者は、その長い武器とアオイの顔を交互に見た。
「あなた、魔術師じゃないの?」
「魔法も使うわよ」
アオイが薙刀を肩へ乗せる。
壁の一部が下がった。人が一人通れるだけの隙間が開き、外の光と男たちの声が流れ込んでくる。
「ちょっと、待って。まだ――」
女性冒険者が呼び止める声を背に、アオイは外へ出た。
背後で土が戻り、隙間が塞がった。
◇
壁の外では、盗賊たちが商隊を囲んでいた。
前方の街道を塞いでいた男たちは、突然現れた土壁を見上げている。壁のそばまで来た一人が剣で表面を突いたが、土は崩れなかった。男は刃先を確かめ、舌打ちした。
その壁の一部が下がり、薙刀を持ったアオイが姿を現した。
「出てきたぞ!」
近くの男が叫ぶ。
アオイの背後で隙間が塞がる。盗賊たちの視線が、壁から彼女へ移った。
アオイは前方の男たちと、左右の林の縁へ目を向けた。壁の側面に沿って後ろへ回り込む者もいる。見える範囲だけで、四十人ほどだろうか。
「半分か……」
「何をぶつぶつ言ってやがる」
剣を持った男が近づいてきた。その後ろで、別の男が左右へ合図を送る。男たちが広がり、アオイを囲もうとしていた。
「その壁を消せ。そうすりゃ――」
男が話している間に、アオイの背後へ回った一人が剣を振り上げた。
アオイは足音へ振り向き、薙刀を横に払った。
刃が男の胴を切り裂く。その隣から斬りかかろうとしていた男も、続く一振りで斬り倒された。
声をかけていた男が、慌てて剣を構える。
アオイはそちらへ踏み込み、男が剣を振るより早く、胸へ薙刀を突き入れた。男の手から剣が落ちる。刃を引き抜くと、その身体が膝から崩れた。
「三人」
近くにいた盗賊たちが、足を止めた。
アオイは薙刀を下げず、周囲へ目を向ける。林の縁で、男がこちらへ弓を引いていた。
矢が放たれる。
アオイが風を起こすと、顔へ向かってきた矢は横へ逸れ、土壁に当たって落ちた。
足元の小石を一つ浮かせ、その男へ飛ばす。
小石は、次の矢を取ろうとした男の胸を貫いた。男は弓を取り落とし、仰向けに倒れた。
「四人ね」
「囲め! 一人だぞ!」
怒鳴り声に押されるように、盗賊たちが動いた。
正面から剣と斧を持った男たちが近づき、左右の者も距離を詰める。アオイは壁から離れ、正面の男たちへ向かって歩いた。
最初の男が斧を振り下ろす。
アオイはその横へ抜け、薙刀を振った。男の胴を切り裂いた刃は、その身体が倒れるより早く、隣の男へ向かった。
隣の男は剣を突き出したが、アオイはすでにその横をすり抜けていた。剣先が空を切る。
アオイは男の背後で向き直り、薙刀で背中を斬った。
「六」
横から二人が斬りかかってきた。
アオイは一人目の剣を柄で受け、押し返した。男がよろめいたところで、もう一人の剣が横から迫る。
一歩下がってその剣を避け、伸びた腕の下へ刃を突き入れた。男が倒れると、アオイは薙刀を引き戻し、体勢を立て直そうとしていた一人目も斬り倒した。
次の二人は、左右に分かれて近づいてきた。
アオイが片方へ顔を向けると、もう片方が背後から踏み込む。だが、剣が届く前に彼女は振り返った。
薙刀の刃が胸を横切り、男が倒れる。
残った一人は剣を振り上げたまま固まっていた。アオイはその前へ踏み込み、胴を斬った。
「……九、十」
薙刀を持ち直したアオイの背後で、また足音が速くなった。
身体を横へずらすと、振り下ろされた剣が肩の脇を抜ける。アオイは振り向き、剣を振り下ろした姿勢の男を斬り倒した。
その直後、正面と右手から二人が斬りかかってきた。アオイは右手の男の剣を柄で弾き、返した刃で胴を斬った。正面の男が振り下ろした剣は、横へ動いた彼女を捉えられず、地面を叩く。アオイはその男の胸へ薙刀を突き入れた。
「十三」
街道には、倒れた男たちと落とした武器が散らばっていた。
盗賊たちはアオイを囲もうとしたが、彼女へ近づいた者から倒されていた。背後へ回っても、弓を向けても同じだった。
まだ武器を握っている者たちが、仲間の倒れた場所を避け、互いの顔を窺う。
アオイはそちらへ目を向けた。
「来ないの?」
答えはなかった。
◇
林の少し奥で、盗賊団の頭は幹の陰に立っていた。
土壁が上がったときから、荷を奪う手順は止まっている。
馬車の列が動かなくなったのはよかった。だが、荷へ近づく道も消えた。壁の外側を回らせた手下も、入り込める場所を見つけられずに戻ってきている。
そのうえ、外へ出てきた女が、ほかの団の者を次々に倒していた。
壁を見たとき、頭は女が魔術師なのだと思った。
だが、今は長い武器を手に、剣や斧を持つ男たちの間を動いている。詠唱を妨げるために取り囲むどころか、近づいた者が斬り倒されていた。
弓を向けた者も倒れた。
何かを飛ばしたらしいが、ここからではよく見えなかった。女が顔を向けると、離れた場所にいた男まで崩れ落ちた。
「頭」
そばの手下が小声で呼んだ。
「壁へ近づけません。どうします」
頭はすぐには答えなかった。
例の女冒険者には近づくな。
その指示を守っていた自分の手下は、ほとんどがまだ林の縁にいる。街道で倒れているのは、女へ向かったほかの団の者が多かった。
狙いどおり、そちらが女を引き受けている。
だが、その間に荷を押さえることはできない。女が倒れるのを待つにしても、倒せそうな者が見当たらなかった。
「まだ出るな」
頭は低く言った。
手下が頷き、木の陰へ戻る。
頭は街道へ視線を戻した。女は長い武器を手にしたまま、立っている男たちを見回していた。
◇
アオイが一歩進むと、正面の男たちが下がった。
「何を引いてやがる! まとめてかかれ!」
後ろから怒鳴られ、一人が槍を構える。隣の二人も剣を持ち上げ、声を上げながら向かってきた。
槍が真っすぐに突き出された。
アオイは薙刀の柄で槍先を横へ払い、槍を持つ男の前へ踏み込んだ。男が引き戻すより早く、胸へ刃を突き入れる。
左右の二人が剣を振った。
アオイは薙刀を抜きながら後ろへ下がった。二本の剣が目の前で空を切る。男たちが再び剣を持ち上げる前に、彼女は薙刀を横へ振り、二人の胴を続けて斬った。
「十六」
右手から、別の男が斧を振りかぶって走ってきた。
アオイがそちらへ向き直ると、男は構わず斧を振り下ろした。彼女は横へ避け、地面を叩いた斧を引き上げようとする男の首元を斬った。
「十七」
少し離れたところで、二人の男が顔を見合わせた。
一人が剣を持ってアオイの前へ出る。もう一人は倒れた仲間の陰を通り、彼女の背後へ回っていた。
正面の男が剣を振る。
アオイはその剣を薙刀の柄で弾き、返した刃で男の胴を斬った。
背後の男が短剣を突き出す。
アオイは身を翻して腕を避け、その男も斬り倒した。
「十九」
そこで一度、足を止めた。
近くで武器を向けてくる者は、もういなかった。街道の先にいる男たちは距離を取り、林の縁にいた者も木の陰へ下がっている。
倒れた男の陰で、弓が持ち上がった。アオイはそちらへ小石を飛ばし、男を倒した。
「二十」
アオイは薙刀を下げた。
少し離れた男たちは、武器を握ったままこちらを見ている。林の中にも、まだ人影があった。最初ほど多くはない。
倒れた者と、立っている者を見比べ、アオイは小さく頷いた。
「これで大体半分くらいかな? ま、大差ないからいっか」




