第32話 欲しいもの
部屋に荷物を置いたアオイが食堂へ下りると、代表と護衛隊長が先に席についていた。窓の外にはまだ夕暮れの明るさが残っている。別の宿に泊まる者たちも食事に来ているらしく、商隊の顔があちこちに見えた。
「アオイ様、こちらが空いておりますよ」
代表に招かれ、アオイは二人の向かいへ座った。間もなく運ばれてきた料理は、野営で食べたものより品数が多い。温かい肉料理をひと口食べて、アオイは小さく息をついた。
「やっぱり、町のごはんはいいわね」
「数日、外で過ごしたからな。今日は皆、同じことを言っている」
隊長が笑った。代表も頷いたが、すぐに食事へ戻らず、アオイに話しかける。
「道中、アオイ様にはずいぶん助けていただいております。最初の野営地で作ってくださったかまども、薪もそうです」
「護衛の仕事とは少し違うけどね。私も使うものだったし」
「それでも、あれほどのことを簡単にできる方はいらっしゃいません」
代表は言葉を選ぶように間を置いた。
「帝国へ到着した後のことですが、もしよろしければ、私どもの商隊で専属として働いていただけませんか。待遇は十分に用意いたします」
アオイは持っていた匙を止めた。
「専属?」
「はい。今回のような一度きりの護衛ではなく、継続してお仕事をお願いできればと。護衛以外にも、お力を借りたい場面があるでしょう。もちろん、内容はその都度ご相談します」
王都で山ほど見せられた依頼書を思い出した。荷を運んでほしい、遠くへ行ってほしい、これを作ってほしい。条件のよいものもあったが、どれも断ってきた。
「今の護衛は、帝国までちゃんとやるわ。でも、その後の専属は考えてない」
「そうですか。まだ旅の途中ですので、お気持ちが変わりましたら、いつでもお声がけください」
代表はそれ以上勧めなかった。隊長が料理を口へ運びながら言う。
「代表も、言うだけは言っておきたかったんだろう」
「隊長まで勧めないでよ」
「勧めてない。お前の答えも、だいたい分かってたさ」
代表は苦笑し、杯を手に取った。そのとき、食堂の入口から宿の者が近づいてきた。
「お食事中に失礼します。アオイ様にお会いしたいという方が」
「私に?」
入口には、旅装ではない身なりの男が立っていた。アオイと目が合うと、男は丁寧に頭を下げる。
「突然のご訪問をお許しください。町で商いをしている者です。少しだけお話を伺えませんでしょうか」
「話って、何の?」
男は食堂の人目を気にしたようだったが、アオイが席を立たないのを見て、その場で答えた。
「王都でお作りになった手押しポンプについてです。あれをこの町でも販売できればと考えております」
アオイは代表と隊長を順に見た。二人とも男に心当たりはないようだ。
「どうして私がここにいると知ってるの?」
「王都から、あなたがこの商隊とともにこちらへ向かうと知らせを受けました。到着される頃かと思い、お待ちしていたのです」
「わざわざ先回りしたのね」
男は否定せず、もう一度頭を下げた。
「各地で使えるようになれば、多くの方の役に立ちます。販売にご協力いただけるなら、利益についても――」
「私が作って回るつもりはないわよ」
「いえ、製作は職人に任せます。仕組みを教えていただき、最初の品を確認していただければ」
「仕組みは魔法じゃないわ。王都の宿に置いてあるから、見たいなら見に行けばいいと思う」
「ですが、あなたの許可をいただかずに商品にするわけには」
「許可を取るために来たなら、私は構わないわ。ちゃんと使えるものを作ってね」
男は一瞬、返事に迷ったようだった。
「共同で販売するお考えは、ありませんか」
「ないわ。私がポンプを売りたいわけじゃないもの」
アオイが料理へ視線を戻すと、男はもう話を続けられないと悟ったらしい。礼を述べて食堂を出ていった。
「ずいぶんあっさり手放すんだな」
隊長が言った。
「だって、あれは宿の水汲みが大変そうだったから作っただけよ。ほかの町に必要なら、作れる人が作ればいいじゃない」
「大きな商売になるかもしれませんよ」
代表が言うと、アオイは首を傾げた。
「今、困ってないし。売る仕事まで増えたら面倒よ」
「お前らしい答えだな」
隊長が呆れたように言う。アオイは冷める前に料理を食べようと、匙を取り直した。
近くの席から、女性冒険者が器を持ってやってきた。先に食事を終えた仲間から離れて、空いている椅子を引く。
「今の人、王都からあなたを追いかけてきたの?」
「そうらしいわね」
「代表の誘いも断って、商売の話も断って。あなた、変わってるわね」
「何が?」
「普通、条件くらいは聞くでしょ。あの商人だって、まだ金額を言ってなかったじゃない」
「欲しくない仕事の値段を聞いても、仕方ないでしょ」
女性冒険者は、アオイの顔をしばらく眺めた。
「私は報酬が気になるわ。次の仕事がすぐ見つかるとも限らないし」
「それは分かるわよ。私もお金がなくなったら考えるかも」
「なくなりそうには見えないけど」
「今のところね」
女性冒険者は呆れたように笑い、自分の器へ目を落とした。アオイも食事を続ける。専属の話もポンプの話も終わったはずなのに、食堂の扉が開くたび、また誰かが訪ねてくるような気がした。
食べ終えると、アオイは席を立った。
「少し散歩してくるわ」
「町の外へは出るなよ。明日の朝も早い」
隊長の言葉に手を上げて答え、アオイは宿を出た。
夜の通りには、まだ人が多かった。店を閉める者もいれば、これから客を迎えるために灯りを増やす店もある。アオイは宿の場所を確かめながら、賑やかなほうへ歩いていった。
通りを一つ曲がると、建物の窓から音楽と笑い声が漏れていた。飾りの多い入口の前には客を誘う者が立ち、酔った男たちが足を止めている。昼に見た商店とは違う賑わいだった。
アオイは少し離れたところから通りを眺めた。
「人の欲は際限ないわね」
「商いも酒も、今始まったことではあるまい」
竜王の声が返ってきた。
「分かってるわよ。ただ、王都を離れても、私にあれこれ求める人はいるのね」
「お主の力を知れば、望む者は現れよう」
「私のしたいこととは、関係ないのに」
アオイは、笑い声の漏れる建物へもう一度目を向けた。中へ入る人にも、そこで客を待つ人にも、それぞれの事情があるのだろう。通りを眺めただけで、それを知ったつもりにはなれない。
「お主にも、帰りたいという望みがある」
「……それは、そうだけど」
「人の望みを笑える立場でもなかろう」
「笑ってないわよ。今夜はちょっと、しつこく感じただけ」
アオイは踵を返した。
「帰って寝る。明日も歩くんだから」
賑やかな通りを抜けると、宿の並ぶ道は少し静かだった。アオイは明かりの残る宿を見つけ、その入口へ向かった。




