第31話 見届ける者たち
夜の野営地を、二人の偵察役が林の中から見ていた。
一人は岩にもたれて休むアオイを、もう一人は周囲の商隊を見張っている。夕食の席でアオイに近づき、土の壁で止められた男の天幕から、数人の護衛が出てきた。彼らは見張りの交代を待ちながら、少しずつ岩へ近づいていく。
「あの連中、岩のほうへ向かっています。止めますか?」
「命じられたのは観察と報告だ。接触は禁じられている」
答えた偵察役も、岩から目を離さなかった。男たちがアオイを襲うつもりなら、何が起こるか見届ける必要がある。
先頭の男が仲間を止め、岩の陰を覗き込む。
その少し前まで、アオイは確かにそこにいた。偵察役は休んでいる姿を見失わないよう、ずっと目を向けていたはずだった。
「……消えた?」
隣の偵察役が、低い声で答える。
「いや、動いた」
アオイは岩陰へ身体を滑らせ、男たちの外側を回っていた。大きく踏み込む様子も、地面を蹴る音もない。身体をわずかに傾けたと思った次の瞬間には、もう別の影の中にいる。
二人とも、足を使って移動したことは見て取れた。だが、速さよりも、その動きに音が伴わないことが不気味だった。
男たちが空になった岩の陰を覗き、互いの顔を見合わせる。アオイはその背後で足を止めた。
声をかけられて男たちが振り返る。
偵察役はアオイの手元を見た。杖はない。詠唱も聞こえない。男たちが武器に手をかけるより早く、足元の土が盛り上がった。
土が脚から胴へ絡みつき、口を塞ぐ。数人が同時に拘束され、声を上げることもできない。もがく身体は、そのまま地面へ沈み始めた。
「……足元からか」
偵察役の一人が呟いた。
魔術師を相手にする訓練なら受けている。詠唱を聞き、術者の動きを見て、発動する前に距離を取る。だが今の男たちには、避けるための合図が何一つなかった。
男たちの顔が地面の下へ消える。しばらくして、地表に伝わっていた動きも止まった。
アオイはその場を離れ、野営地のほうへ戻っていく。二人は林の奥へ下がってから、ようやく互いの顔を見た。
「……報告、しますよね」
「ああ。見たことを全部だ」
そう答えた偵察役は、先ほどアオイが動いた影のほうを見返した。
追っている相手に気づかれたとき、自分たちは距離を取れるのだろうか。地面に足をつけている限り、どこへ逃げても同じではないのか。
その考えを口には出さず、二人は野営地の監視に戻った。
◇
翌朝、隣の商隊が慌ただしくなった。
夜の出来事を見届けた二人は、林の中からその様子を見ていた。護衛たちが天幕の間や林の縁を捜し回る。昨夜男たちが沈んだ場所の近くを通る者もいたが、そこで足を止める者はいなかった。
アオイたちの商隊では朝食と撤収が進み、やがて馬車が街道へ出ていった。二人は持ち場に残る。アオイの後は、別の組が追っていた。
しばらくして、捜索に出た護衛が一人、男の天幕へ戻ってきた。男は報告を最後まで聞かず、怒鳴りつける。
「誰も見ていないとはどういうことだ! 何人も一度に消えたのだぞ!」
護衛が頭を下げる。男はアオイたちの商隊が進んだ街道を見たが、先頭の馬車はもう遠い。
「このまま戻って、伯爵様になんと報告しろというのだ!」
林の縁まで移っていた二人にも、その声は届いた。
「伯爵、と言いましたね」
「ああ。どこの伯爵かは、まだ分からん」
「調べますか」
「そこは上が調べるだろう。俺たちは、この男の行き先を確かめる」
男はその後も護衛に捜索を命じ、見つからないと責め立てた。やがて諦めたのか、捜索を打ち切らせる。荷が馬車に積み直され、男の商隊は来た道を引き返し始めた。
二人は距離を置いて、その後を追った。王都へ戻るなら、男がどこへ向かうのかを見届ける。途中で進路を変えるなら、それも報告する。
街道の先では、アオイたちの商隊が帝国へ進んでいる。二人はそちらを仲間に任せ、王都へ向かう馬車を見失わないよう歩調を速めた。
◇
それから数日、アオイたちの商隊は街道を進んだ。
途中の野営では、護衛たちが見張りを交代し、朝になれば天幕を畳んで出発する。アオイは代表の馬車のそばを歩き、ときどき護衛隊長から周囲の様子を聞かれた。大きな異変はなかった。
昼を過ぎたころ、街道の先に町が見えた。門へ向かう道には荷を積んだ馬車が並び、徒歩の旅人たちがその脇を行き来している。
「今日は町で泊まるの?」
アオイが代表の馬車へ声をかけた。
「ああ。食料も補わねばならんし、馬も休ませたい。皆、今夜は屋根の下で眠れるぞ」
その言葉を聞いていた近くの御者が、嬉しそうに馬の首を撫でた。
門を通ると、馬車の通れる広い道の両側に店や宿が並んでいた。軒先に吊るされた看板には、馬と飼葉を描いたものも多い。荷を運び込む商人、客を呼び込む宿の者、行き交う馬車を避ける町の人々で、通りは賑わっている。
アオイが見回していると、隊長が馬を寄せてきた。
「宿は何軒かに分かれる。代表とお前は、俺と同じ宿だ」
「全員は入れないのね」
「この人数と馬車だからな。ほかの護衛にも宿と荷の見張りを割り振ってある」
隊長は先へ進む馬車を指した。代表の馬車は、門に近い宿の前で止まる。中庭へ続く大きな門があり、御者が馬車を引いて入っていった。
アオイも後について中庭へ入る。馬を厩へ連れていく者と、荷を降ろす者がそれぞれ動き始めた。代表が宿の者と話している間、隊長は別の宿へ向かう護衛たちに翌朝の集合時刻を伝えて回る。
「アオイ、部屋は取れたそうだ」
隊長が戻ってきて、宿の入口を示した。
「分かった。荷物を置いてくるわ」
アオイは宿の中へ入った。数日ぶりの町で、今夜は見張りの火ではなく、宿の明かりの下で過ごすことになる。




