第30話 夜の訪問者
夜が更け、野営地の火は一つ、また一つと小さくなっていった。
アオイは商隊から少し離れた場所で、岩にもたれかかっている。天幕には入らず、地面に座ったまま目を閉じていた。火の明かりがかろうじて届く位置で、その姿だけがぼんやりと見える。
商隊の見張りは交代しながら続いていた。新しく持ち場についた男が、かまどのほうを見て小声で言う。
「本当に地面から作ったんだな、あれ」
「ああ。石を拾って戻ったやつが、抱えてた石を落としてたよ」
「木のほうもすごかったな。一瞬で薪になって、しかも乾いてる」
見張りの男たちは話しながらも、ときどき野営地の外へ目を向けた。やがて一人が火に薪を足し、もう一人が馬車の並ぶほうへ歩いていく。夜はまだ長い。
少し離れた暗がりで、数人の男がその様子を見ていた。
先頭にいるのは、伯爵の使いからアオイを連れてくるよう命じられた護衛だ。彼は夕食の席で、男の進路を塞いだ土の壁を思い出す。あの場でさえ、アオイは席を立たずに魔法を使った。
「本当にやるんですか」
隣の男が囁いた。
「命令だ」
そう答えた護衛自身も、成功するとは思っていなかった。
主人は人質を取れと言ったが、商人たちは馬車と天幕のある中央に集まっている。周囲には見張りが立ち、護衛たちもすぐ近くで休んでいた。誰か一人を連れ出そうとすれば、騒ぎになる。
一方、アオイは野営地の端で一人きりだ。
「商人には手を出さない。あの女だけを狙う」
「眠っているように見えますが……」
「ああ」
護衛は岩のほうを見た。アオイは動かない。近づいて声を出す前に押さえ込めれば、まだ可能性はある。
それからも男たちは待った。
見張りが交代するたび、人数と歩く範囲を確かめる。最初の交代では、新しい見張りが野営地の端まで足を延ばした。次は、火のそばにいた護衛がなかなか天幕へ戻らなかった。
夜がさらに深まる。何度目かの交代を終えた見張りは、中央の馬車のそばで立ち話を始めた。岩のほうへ向く者はいない。
護衛は後ろの男たちへ手で合図した。
馬車の陰を抜け、姿勢を低くして野営地の端へ回る。地面を踏む音を立てないよう、一歩ずつ岩へ近づいた。眠るアオイの姿は、岩に隠れて見えなくなる。
あと数歩のところで、護衛は男たちを止めた。
彼が先に岩を回り込み、アオイが座っていた場所を覗く。
誰もいない。
「……どこへ行った?」
後ろの男も覗き、息を呑んだ。遠くからは、確かに岩にもたれる人影が見えていた。だが今、その場所には誰もいない。
男たちが互いの顔を見合わせたとき、背後から声がした。
「忠告はしたんだけど……」
振り返ると、アオイが少し離れたところに立っていた。
「捕まえるのも面倒ね」
護衛が口を開くより早く、足元の地面が盛り上がった。
土が男たちの脚を絡め取り、身体を締めつける。助けを呼ぼうとした口も塞がれた。男たちは身をよじったが、腕まで拘束され、動けなくなる。
護衛は必死にアオイを見た。何か言おうとしても声にならない。ほかの男たちも、目を見開いて彼女を見つめている。
拘束した土が、ゆっくりと沈み始めた。
男たちは藻掻いた。肩が沈み、顔だけが地上に残る。息を求めるように身体を揺らしても、土は緩まない。
「これ以上近づくなら、敵として排除するって言ったわよね」
アオイは冷たく見下ろしていた。
やがて男たちの顔も地面の下へ消えた。土は元の形に戻り、わずかに伝わっていた動きも、しばらくすると止まった。
野営地には、見張りの足音と、火のはぜる音だけが残った。
◇
翌朝、伯爵の使いは天幕の中で目を覚ました。
呼びつけても返事がない。外へ出ると、昨夜送り出した護衛たちの姿が一人も見当たらなかった。
「昨夜の者たちはどうした」
別の護衛に尋ねると、困惑した顔で首を振る。
「戻っておりません。まだ捜しているところです」
使いは、アオイたちの野営するほうへ目を向けた。向こうでは朝の支度が始まっている。昨夜と変わった様子はない。
「もう一度捜せ。ほかの者にも聞け」
使いが命じると、護衛たちが天幕の間を回り始めた。しばらくして、隣の商隊で人がいなくなったらしいという話が野営地に広まった。
アオイたちの商隊でも、護衛隊長がその騒ぎに気づいた。
「何人か戻っていないらしいな」
隊長は隣の商隊を見てから、近くにいたアオイへ目を向けた。
「何かあったみたいだが、知らないか?」
アオイも騒ぎのほうを一瞥した。
「さぁ? 朝ごはんにしましょ」
そう言って、かまどのほうへ歩き出す。隊長はその背中を見送り、もう一度、隣の商隊へ目を向けた。
朝食は昨夜のかまどで温められていた。アオイが器を受け取ると、薪を集めに行かずに済んだと、商隊の男が笑いながら礼を言う。アオイは「どういたしまして」と答えて、料理を口に運んだ。
食事が終わると、天幕が畳まれ、荷が馬車へ戻された。隊長は出発前に周囲を見回し、見張りをしていた者たちから夜間に異常はなかったと報告を受ける。隣ではまだ人を捜していたが、代表が出発を決め、アオイたちの商隊も準備を進めた。
「かまどはどうする?」
片付けをしていた男に聞かれ、アオイはかまどへ目を向けた。
「戻しておくわ」
魔力を流すのをやめると、盛り上がっていた土がゆっくりと沈み、元の地面に戻った。男が感心したように平らになった場所を眺める。
アオイはふと、野営地の端へ目を向けた。
昨夜の男たちは、地面の下へ沈めた。かまどのように盛り上げて作ったものとは違う。あちらへの魔力を切ったら、地面や埋めたものがどうなるのだろう。
試したことはなかった。
とりあえず、魔力が届く間は流しておくことにした。
「アオイ、出るぞ」
隊長の声に振り返る。先頭の馬車が動き出し、後ろの馬車も順に街道へ入っていった。アオイは昨日と同じく、代表の馬車のそばを歩く。
野営地が遠ざかるにつれ、昨夜の場所も見えなくなった。
道中で見つかったら、騒ぎになるかしら。
まあ、別にいいか。そのときに考えよう。
アオイは前を向き、進む馬車に歩調を合わせた。




