第24話 炊き出し
朝、アオイは宿の部屋で目を覚ました。
王城の演習場へ行ってから、数日が過ぎている。町を歩き、図書館に寄り、宿へ帰る。特に変わったことはなかった。
毎朝、給仕の少女が水を汲んで運ぶのは大変そうだったので、手押しポンプのようなものを作ったくらいだ。
少女は何度も取っ手を動かし、水が出るたびに喜んでいた。アオイとしては、毎朝重い桶を運ぶより楽だろうと思っただけだった。
別の日には、湯船に浸かりたくなって、裏庭の隅に浴室を作った。
出来上がった浴室から外へ出ると、女将が怒った顔で立っていた。
「うちの裏庭で、何をしてるんだい」
「お風呂を作ったの。部屋には置けないでしょ」
「作ったって、勝手に……」
女将は言いかけて、中を覗いた。
「……これ、あたしも使えるのかい?」
「使いたいならどうぞ」
そのまま部屋へ戻ると、しばらくして女将が勢いよく訪ねてきた。ほかの宿泊客にも使わせていいかと聞かれたので、自分が使っていないときなら構わないと答えた。
ただ、ほかの客が使うたびに湯を沸かしてほしいと呼ばれるのは面倒だ。汲んできた水を浴槽に入れ、薪を燃やして温められるようにしておいた。使い終わった湯も、栓を抜けば外へ流せる。
自分で入るときは、水を出して温めれば済む。宿の人たちだけで使えるなら、そのほうが楽だった。
作ったものを定着させるには、数日間、魔力を流し続ける必要がある。ポンプと浴室には、今も魔力をつないだままだ。王都にいる間なら問題ないだろう。
話を聞いて、自分の家にも作ってほしいと訪ねてくる人もいた。だが、アオイは断った。自分が住んでいない家のために、何日も魔力をつないでおく気にはなれない。
ギルドにも行っていなかった。新しい依頼を受ける理由がない。受付の女性に「この程度あれば困らない」と言われて手元に残した金も、ほとんど減っていなかった。
ここ数日、訪ねてきた人たちが食事を奢ってくれるからだ。
薬草の依頼のときに来た商会の若者も、宿まで訪ねてきた。
「その後、お仕事のご予定は……」
「今はお金に困ってないのよね」
そう答えると、若者は少し黙ったあと、夕食をご馳走したいと言った。食事の間も、若者は仕事の話を切り出さなかった。
この世界では、人に食事を奢るのが普通なのだろうか。
だとしたら、自分も誰かに奢ったほうがいいのかもしれない。
アオイは寝台から起き上がり、出かける支度を始めた。
今日は、リシアに誘われた炊き出しの日だった。
◇
教えられた場所に着くと、炊き出しはすでに始まっていた。
修道服を着た人たちが大きな鍋から食事をよそい、並んだ人々に手渡している。その中にリシアの姿もあった。
少し離れたところには、クレインが数名の騎士と立っている。アオイと目が合うと、クレインは視線をそらした。
アオイは気にせず、リシアのもとへ歩いていく。
「来たわよ。何をすればいい?」
「アオイ様。ありがとうございます」
リシアは手を止め、積まれた野菜を指した。
「では、あちらを運んでいただけますか。そのあと、皮をむいて鍋へお願いします」
「分かったわ」
野菜を運び、皮をむき、切られたものを鍋へ入れる。
魔法を使えばすぐに済みそうだった。だが、修道院の人たちはそれぞれ手を動かし、決まった順番で作業している。急にやり方を変えれば、かえって混乱するかもしれない。
アオイは渡された道具を使い、言われたとおりに作業を続けた。
こうして人と一緒に何かをするのは、久しぶりかもしれない。
前の世界では、いつも一人だった。自分から一人になろうとしたわけではない。けれど、空を飛べない相手がアオイと行動を共にするのは、そもそも難しかった。
「王都には、もう慣れましたか?」
隣で野菜を切っていたリシアが話しかけてきた。
「少しはね。図書館にも行けるようになったし」
「冒険者としての暮らしはいかがですか?」
「最近は依頼を受けてないわ。しばらくお金には困らないし」
「そうなのですね」
リシアは笑って、また手元の野菜に目を落とした。
話しているうちに、アオイは自分の噂が思った以上に広がっていると知った。空を飛んだことも、魔物を大量に持ち帰ったことも、王都ではまだ話題になっているらしい。
「魔物の件は、喜んでいる方も多いんですよ」
「怒られると思ってたけど」
「お肉が安くなって、食事が豪華になったと。そう話す方を何人も見かけました」
アオイは皮をむいた野菜を籠に置いた。
宿ではしばらく肉ばかり出て、獲りすぎたと思っていた。喜んだ人もいたらしい。
たまには、また狩りに行ってもいいかもしれない。
肉づくしにならない程度にできればいいのだが。
しばらくして、クレインが近づいてきた。
「リシア様、そろそろお時間です」
リシアは手を止めた。
「すみません、アオイ様。お稽古に戻らなければなりません。こちらからお誘いしたのに、先に失礼することになってしまって」
「構わないわよ」
王女なのだから、忙しいのだろう。
リシアが修道院の人たちに挨拶すると、その一人が「いつもありがとうございます」と礼を言った。今日だけ顔を出したわけではないらしい。
リシアはアオイにも頭を下げ、クレインたちとともに去っていった。
アオイは残った野菜を見た。自分も帰るべきなのか、もう少し手伝えばいいのか。
そう考えていると、列の方が騒がしくなった。
「ようやく煩いのがいなくなったな。おい、どけ」
ガラの悪い男たちが、並んでいた人を押しのけて前へ出てきた。
「さっさと寄越せ」
男の一人が、鍋の前に立つ修道院の人へ器を突き出す。
「あ、あの、後ろに並んで……」
「あぁ?」
男は振り返り、列の人々を見回した。
「おい。俺らは後ろに並んだ方がいいのか?」
にやにやと笑いながら聞く。誰も答えず、目をそらした。
「並びなさい」
アオイが男に向かって言った。
「あ? おねえちゃん、何か言ったか?」
修道院の人が慌てて近づいてくる。
「危ないわよ。もう、早く渡しちゃいましょう」
アオイは男の前まで歩いた。
いつの間にか、周囲には男の仲間らしい者たちが立っている。
「食べたいなら並びなさい」
「これを持って行ってください」
修道院の人が、食事を多めによそった器を差し出した。
男はその手を乱暴に払った。器が地面に落ち、中身が散らばる。
「ずいぶん威勢がいいじゃねえか。世の中を知らないようだな」
男がアオイに掴みかかる。
その手は、届かなかった。
二人の間の地面が盛り上がり、杭となって男の腹を貫いていた。
悲鳴が周囲に響き渡る。
「な、何をしてるんですか!」
修道院の人が叫んだ。
「言っても聞かないからよ」
「やりすぎです! どんな理由があっても、人を傷つけてはなりません! は、早く手当てをしないと!」
アオイは釈然としなかった。
男は食事を払いのけ、自分に掴みかかってきた。それでも、傷つけてはいけないというのか。
「……傷つけなきゃいいのね」
アオイが呟くと、杭が地面へ戻った。血に濡れた土の上に男が崩れ落ちる。
アオイはその腹へ手を近づけた。
手元に光が灯る。開いた傷が、時間を巻き戻すように塞がっていった。数瞬ののち、男の腹には傷一つ残っていなかった。
男は自分の腹を押さえ、呆然とアオイを見上げる。
「並ぶ?」
アオイは笑いかけた。
「それとも、あと何回か穴を開けておく?」
男たちの顔から血の気が引いた。
「ば、化け物!」
一人が叫ぶと、男たちは一目散に逃げていった。
アオイが振り向く。
列に並んでいた人々も、修道院の人たちも、怯えた顔でアオイを見ていた。
「……邪魔みたいね。帰るわ」
アオイはそれだけ言って、炊き出しの場を後にした。




