第23話 演習場の手合わせ
翌朝、アオイは宿の食堂で朝食を取りながら、その日の予定を考えた。
「ギルドは……しばらくお金に困らないし、いいか」
新しい依頼を受ける理由はない。昨日、図書館で見つけた本をもう少し読みに行ってもいい。
そこで、昨夜ゾルムに捕まったことを思い出した。
宿へ戻るなり、勇者の記録に残る一言の魔法を見てほしいと頼まれたのだ。「少しだけなら」と答えるまで、ゾルムは席を離れなかった。
「……約束しちゃったんだっけ」
「覚えておったか」
背後から声がした。振り向くと、ゾルムが書類を抱えて立っている。
「忘れてたらどうするつもりだったの?」
「思い出させるまでじゃ」
「そうでしょうね」
アオイが残りの朝食を口に運ぶと、ゾルムは向かいの席に腰を下ろした。
「王城の演習場を借りておる。食べ終わったら行くぞ」
「本当に少しだけだからね」
「分かっておる」
返事が早すぎて信用できなかった。
◇
演習場には、木で作られた的がいくつか並べられていた。離れたところでは騎士たちが訓練をしている。ゾルムとアオイが入ると、何人かが動きを止めてこちらを見た。
ゾルムは持ってきた記録を広げた。
「勇者が使ったという言葉じゃ。意味までは伝わっておらぬが、お主なら何か分かるかと思ってな」
アオイは並んだ言葉に目を通す。
「メラ……これは、たぶん火ね」
「なぜそう思う?」
「知ってる言葉だから。でも勇者が同じ意味で使ってたかは知らないわよ」
アオイは的へ手を向け、小さな火を放った。火は木の表面に当たり、黒い跡を残して消えた。
「こんな感じじゃない?」
「待て、今の言葉から火だと分かったのか?」
ゾルムは懐から帳面を取り出し、慌てて書きつけた。
「分かったっていうか、そう思っただけ。次は?」
「少し待て。今の火を起こすのに、言葉は必要だったのか?」
「必要ないわよ」
「ふむ……では、ヒャドは?」
「氷かな」
アオイは手のひらの上で水を冷やし、細い氷の塊を作った。それを的へ飛ばすと、木に当たって砕ける。
ゾルムが的へ目を向けたまま、帳面に筆を走らせる。
「氷を作る前に、水を用意したな。勇者もそうしておったと思うか?」
「知らないってば。私ならこうするってだけ」
「そうか。ならば、次はバギじゃ」
「風……なんだけど」
「どうした?」
「風だけじゃ、切れないのよね」
アオイは足元の砂を少し巻き上げ、風に乗せて的へ向けた。木の表面が削れ、細かな跡が走る。ゴーレムを倒したときと同じやり方だ。
「これも、見た目だけならそれっぽいかな」
ゾルムは的の削れた跡へ近づき、指でなぞった。
「砂を混ぜたのか。風そのものではないのじゃな」
「そう言ってるでしょ」
「記録には、そこまで残っておらぬ。実際に見ておかねば分からぬことじゃ」
ゾルムは跡の形まで帳面に描き始めた。アオイは次の言葉を指さす。
「イオ。これは爆発だと思う」
「待て、まだこちらを――」
「見てれば分かるわよ。的から離れて」
ゾルムは帳面を抱え、ようやく下がった。
「どの程度のものじゃ?」
「まずは小さくするわよ」
アオイは空気を集め、熱を加えながら押し固めた。手元から的へ飛ばし、木に当たる瞬間に一気に広げる。
破裂音が演習場に響いた。的は支柱から外れ、地面に倒れる。
訓練していた騎士たちも、揃ってこちらを向いた。
ゾルムは倒れた的へ駆け寄り、帳面を開き直した。
「今のは、的に触れた瞬間に広がったのか? その前はどうなっておった?」
「……小さくしたつもりなんだけど」
「そこではない。最初から順に教えてくれ」
ゾルムはアオイの返事を待ちながら、何行も書き足している。
「これは勇者の魔法の再現と言ってよいのか……」
「それは知らないわよ。どうせ、おじいちゃんはその一言じゃ使えないでしょ?」
ゾルムは筆を止めた。
「む……それでも、五百年分からなかった言葉に、手掛かりができたのじゃ」
「私の想像が合ってれば、ね」
「そこはこれから調べる」
「私はもう終わりよ。少しだけって言ったでしょ」
ゾルムは返事をしなかった。倒れた的と、それまでの三つの的を見比べ、また帳面へ書き始めている。
「……聞いてないわね」
アオイは声をかけるのを諦め、近くで続いていた騎士たちの訓練を眺めた。
◇
木剣を持つ騎士が踏み込み、相手の盾に打ち込む。受けた騎士は盾をずらし、すぐに反撃した。
アオイが足を止めて見ていると、騎士団長が声をかけてきた。
「興味があるなら、参加してみるか?」
「私が?」
「魔法は見せてもらったが、訓練にも付き合ってもらえるならありがたい」
アオイは騎士たちを見た。人を相手に武器を振るう機会は、そう多くなかった。昨夜から考えても答えの出ないことばかりで、身体を動かすのも悪くない。
「……たまにはいいかもね」
騎士団長が一人に手招きすると、その騎士は先ほど倒れた的へ目を向けた。
「団長、あの魔法を向けられたら訓練になりません!」
「魔法は使わないわよ」
騎士たちは顔を見合わせる。
「では、どうやって……?」
アオイは地面に手を触れた。土がせり上がり、長い柄の先が平たく広がる。刃のない薙刀状の武器を引き抜き、軽く振って確かめた。
「これで相手するわ。手合わせが始まったら魔法は使わない」
騎士団長も、騎士たちも、武器を見つめていた。
「……その場で武器を作れるのか」
「必要ならね。今日は刃もつけてないから」
最初の騎士が木剣を構えた。アオイは薙刀を斜めに下げ、相手の足元を見る。
騎士が間合いへ踏み込む。アオイは柄の中ほどを滑らせ、木剣が届く前に先端を胸元へ向けた。
騎士は身体をひねってかわし、そのまま横へ回り込む。
アオイが薙刀を引き戻すより早く、木剣が柄を打った。乾いた音が響く。
「おっと」
アオイは柄を持ち替え、短く握った側を騎士の腕へ向ける。騎士が剣を引いて受けると、その足元へ踏み込んだ。
薙刀の長さを使わせまいと、騎士も距離を詰める。アオイは後ろへ退かず、身体を横にずらした。すれ違う瞬間、柄を騎士の脇に添えて動きを止める。
「一本、かな?」
騎士は足を止め、笑って木剣を下ろした。
「もう一度、お願いできますか」
「いいわよ」
二度目は騎士の動きが変わった。正面から踏み込まず、アオイの武器の先が動くのを待つ。アオイが軽く突くと、木剣で先を払って内側へ入ってきた。
近い。
アオイは薙刀を回そうとして、長い柄が邪魔になると気づいた。手を滑らせて持つ位置を変え、石突き側で木剣を受ける。
騎士の肩がすぐ前にあった。アオイは相手の身体を押すのではなく、足の置き場をふさぐように一歩入る。騎士が体勢を立て直そうとしたところへ、薙刀の柄を肩口で止めた。
「また一本?」
「……参りました」
周囲の騎士が声を上げる。だが、次に盾を持って前へ出てきた騎士を見て、アオイは武器を構え直した。
盾が薙刀の先を押さえ、木剣が横から迫る。アオイは身を引いてかわしたが、追いかけてきた盾に行く手を塞がれた。
「へえ。やりにくいわね」
盾の陰から木剣が伸びる。アオイは柄で受け、足を運んで正面を外した。騎士も向きを変え、盾をアオイとの間へ置き直す。
一度、二度と打ち合ううちに、アオイは相手が盾を動かす瞬間を待った。
木剣が振り下ろされる。アオイは半歩だけ横へ出て、柄で剣を流した。盾が追ってくるより早く、薙刀の先を騎士の肩へ添える。
「ここまでね」
騎士は肩の武器を見てから、息を吐いた。
「ええ。一本です」
アオイも武器を下ろした。騎士たちは思ったよりずっと人との戦いに慣れている。魔物のように真っすぐ飛びかかってはこないし、一度見せた動きにはすぐ対応してくる。
「面白かったわ。ありがと」
アオイが礼を言うと、騎士たちは少し意外そうな顔をした。
そのとき、演習場の入口から声がした。
「アオイ様」
リシアが立っていた。アオイは薙刀を地面へ戻し、そちらを振り向く。
「リシア。どうしたの?」
「ゾルム様がこちらにいらっしゃると聞いて来たのですが……手合わせをされていたのですね」
「ちょっとだけね」
ゾルムはまだ帳面に向かっている。リシアが呼ぶと、ようやく顔を上げた。
「もう終わったのか?」
「とっくにね」
リシアは二人のやり取りを見て、わずかに笑った。それからアオイへ向き直る。
「今度、王都の貧しい地区で炊き出しをするのですが、アオイ様もご一緒にいかがですか?」
「なんで私が?」
アオイは聞き返した。昨夜の竜王との話が、ふと頭をよぎる。この世界の人たちがどう暮らしているのか、見てみてもいいかもしれない。
「……まあ、たまにはいいか」
「え?」
「行くって言ってるの。何か手伝うこともあるんでしょ?」
リシアはすぐに返事ができなかった。演習場で会えたから声をかけてみただけで、引き受けてもらえるとは思っていなかったのだ。
「……ありがとうございます。では、詳しい場所と時間は後ほどお伝えします」
「ええ」
◇
夕方、商会の若者はギルドを訪れた。
「昨日お願いした指名依頼ですが、アオイさんは……」
受付の女性は依頼書を置いた棚を見た。
「今日は来られていません。依頼書はそのままお預かりしています」
「そうですか」
「お急ぎでしたら、ほかの冒険者へ依頼を出すこともできますよ」
「いえ。今回は、アオイさんにお願いしたいので」
若者は礼を言ってギルドを出た。
昨日依頼を出したばかりだ。まだ気にするほどのことではない。そう思いながらも、会頭へ何と報告するかを考えずにはいられなかった。
アオイが演習場で魔法を見せ、騎士たちと手合わせをしていたことを、若者はまだ知らなかった。




