第19話 岩棚の薬草
翌朝、目を覚ましたアオイは、寝床の上で大きく身体を伸ばした。
「んー、さて、行きますか」
縄をほどき、寝床に使った袋を畳む。外へ出ると、背後で土のドームが崩れ、一夜の宿は元の地面へ戻っていった。
小川のそばにしゃがんで顔を洗う。冷たい水で目が覚めたところで顔を上げると、遠くに目的の山が見えた。
アオイは袋を肩に担ぎ、その山へ向かって飛び上がる。
「あの山にあるはずだけど……岩棚に生えるって、探すの大変そう」
山頂近くの切り立った壁面に生えるとは聞いている。だが、まずは広い山のどの壁面なのかを見つけなければならない。アオイは早くもうんざりした気分になった。
だが、山に近づくにつれ、その予想はいい意味で裏切られた。
山頂付近には、ほとんど植物が生えていない。むき出しの岩肌に、苔のような緑が点々と見える。周りに緑がないぶん、遠くからでもよく目立った。
「……あれかな?」
緑の点を目指して飛びながら、アオイはこの依頼が難しいと言われた理由に納得した。
まず、標高が高い。ここまで登るだけでも大変なのに、高山病にも気をつけなければならない。
そして、目当ての緑があるのは切り立った崖の途中だった。下から登るにしても、上から下りるにしても、足を滑らせればただでは済まない。
「これは、飛べないと大変ね……」
アオイは崖に近づき、薬草の生えている場所から少し離れた岩肌に手を触れた。
触れたところから岩がせり出し、薬草のそばへ続く足場を作る。幅を確かめてから、アオイはそこへ降り立った。
「わざわざ足場を作るのか?」
「飛んだままだと取りにくいじゃない。風で薬草が飛ぶだろうし」
「風を止めればよかろう?」
竜王の言い方に、アオイは首をかしげた。
「ん? 浮くってこと?」
「そうだが? 動かぬなら、風を起こす必要もなかろう」
「あー、そうね。まあ、この方が取りやすいから」
そう答えながら、アオイは竜が飛ぶときには重力を無視しているのだろうと考えた。
良くも悪くも、魔法はイメージに左右される。生まれたときから飛ぶことが当たり前の竜とは違い、アオイはどうしても、身体を持ち上げる力をどう作るか考えてしまう。
竜を探すために空を飛ぼうとしたころは、ずいぶん苦労した。勢いがつきすぎて止まれなかったり、風で周囲を吹き飛ばしたり。着地に失敗して怪我をしたこともある。
そんな失敗を重ねて、低速では風の反作用を使い、高速では力場を翼のように広げて揚力を得るようになった。地味に複雑な制御の末に、ようやく安定して飛べるようになったのだ。
竜王と魔法について話し込むのも面白いかもしれない。だが、前提からして違いすぎる。アオイはすぐにその考えを追い払った。
依頼書を取り出し、岩棚の緑と見比べる。紙が風にめくれたので、片手で押さえながら葉の形を確かめた。遠目にはひとまとまりに見えたが、近づくとほかの草も混じっている。
「これじゃない。こっちかな」
一つを指でつまみ、葉を裏返す。絵だけでなく、出発前に聞いた見分け方とも合っていた。ほかにも同じものが生えている。
「これで合ってるみたいね」
袋の口を足元で開き、確かめたものから摘んで入れていく。風で袋が揺れるたびに押さえ直し、似た草を混ぜないように選んだ。
必要な量を採ったところで、アオイは袋の中をもう一度確かめた。依頼書をしまい、袋の口を結ぶ。足場の端から下を覗くと、岩壁がずっと下まで続いていた。
「普通に来るなら、命がけね」
アオイは足場を離れた。岩は背後で崩れ、元の壁面に戻っていく。
空を見上げると、太陽はもう真上に昇っていた。
「ここからまっすぐ帰れば、夜には着けるかな」
王都は見えないが、来た方角なら分かる。アオイは山を背にして飛び出した。
しばらくは街道の位置を確かめながら進んだ。空から見れば道は曲がりくねっていても、向かう先はおおよそ同じだ。帰りは大きな曲がりを追わずに飛んでみる。
それでも、日が傾き始めたころには王都までまだ距離があった。
「やっぱり、今日中は厳しいか」
アオイは昨夜と同じように、街道から外れた林へ降りた。水場を見つけ、土のドームを作る。買ってきた縄と袋で寝床を張り、袋に入れた薬草をその脇へ置いた。
「さて、今夜は何か食べられるかな」
食べるものを探して林を歩いていると、茂みからウサギに似た小さな生き物が飛び出した。
「あ、いた」
アオイは追いかけ、逃げる先の地面をせり上げて行く手を塞いだ。引き返したところを捕まえる。
昨夜の果実よりは腹にたまりそうだ。アオイは獲物を持って水場へ戻り、短剣で食べられるように処理した。手と刃を洗ってから、ドームの外に焚き火を作る。
小枝を集め、湿ったものは魔法で水気を抜いた。細い枝を下にして組み、その先端に指を近づける。熱を加え続けると枝が黒くなり、やがて小さな炎が上がった。
「火を起こすにも、ずいぶんと手間をかけるのだな」
竜王が言った。
「乾かしておかないと煙が出るし、燃えにくいでしょ」
「火など、つければよかろう」
「つけてるじゃない」
「そういう意味ではない。燃やしたいと思えば、それで済む」
アオイは燃え始めた枝を見た。
「竜はそうなんでしょうね」
「お主もできるであろう?」
「できるかもしれないけど、今のやり方で困ってないもの」
炎が太い枝へ移るのを待ち、獲物を焼く。火に近すぎるところを少し離し、焼け具合を見ながら向きを変えた。
食事を終えて火の始末をすると、アオイはドームの寝床に横になった。崖で竜王に言われた「風を止めればよい」という言葉が、まだ頭に残っている。
左手を地面へ向ける。小石が一つ浮き上がった。
そのまま右手を開くと、何もない手のひらの上に、同じくらいの小石が現れる。
どちらもできる。だが、何もないところから物を作るのは、できるだけ避けていた。
物質が突然そこに現れる。原子がどうなっているのか、考え始めると気味が悪い。危険だと確かめたわけではない。ただ、知識が余計な想像を連れてくるのだ。
アオイは二つの小石を地面に落とした。
石を浮かせられるのだから、自分の身体だって、その気になれば浮かせられるのだろう。だが、どうにも気持ちが悪い。試してみようとは思えなかった。
そんなことを考えながら、アオイは目を閉じた。




