第16話 空を飛ぶ新人
「どこだよ、飛んでる奴って」
「もうあっちの方へ行っちまった」
「適当なこと言うなよ。人が飛ぶわけないだろ」
「本当に飛んだんだって! 俺は見たんだよ!」
冒険者ギルドの前には、騒ぎを聞きつけた人々が集まり始めていた。東の空を指す者はいても、そこにアオイの姿はもう見えない。
その輪から少し離れたところで、受付の女性は空を見上げたまま固まっていた。
人だかりが通りを塞ぎ始めたころ、宿へ戻る途中のゾルムと騎士団員が通りかかった。
「何の騒ぎだ?」
騎士団員が尋ねると、近くにいた男が勢い込んで答えた。
「女が空を飛んでいったんだよ」
「……人が、空を飛んだのか?」
騎士団員は、男が冗談を言っているのではないかと顔を見た。だが、周囲にも同じものを見たという者が何人もいる。
ゾルムは空ではなく、受付の女性へ目を向けた。
「……その女、アオイではないか?」
声をかけられ、受付の女性はようやく振り返った。
「はい。王都の東にある鉱山の依頼を受けて、そちらへ飛んでいかれました」
ゾルムは東の空を仰いだ。
「なんと。飛ぶところを見逃したのか……」
「ゾルム様、問題はそこではありません」
騎士団員の言葉を聞いているのかいないのか、ゾルムはしばらく空を見つめていた。やがて、通りを挟んだ宿へ視線を戻す。
「鉱山までなら、普通は数日かかる。だが、飛んでいったとなると……いつ帰るか分からぬな。わしは宿で待つ」
「お待ちください。執務はどうなさるのです? それに、この件は王城へ報告しなければ」
「報告ならお主らがすればよかろう。仕事に必要な書類は、宿へ持ってこい」
「……本気でおっしゃっていますか」
「帰りまで見逃すわけにはいかぬからな」
ゾルムは騎士団員を残し、宿へ入っていった。
宿の入口とギルドの前が見える席を選び、腰を下ろす。しばらくして、近くの卓から客たちの声が聞こえてきた。
「空を飛んだ奴がいるらしいぞ」
「人が? 羽でも生えてんのか」
「知らねえよ。でも、本当に飛べるなら移動は楽だろうな」
「そういや昨日、大量の魔物を運んできた奴もいたってよ」
「馬車でか?」
「いや、車輪のついた板が何台も、勝手についてきたらしい」
「……それ、荷運びに使えたら便利だな」
ゾルムは杯を置き、最後に話した客へ目を向けた。
「利に聡い者は、耳も早いようじゃのう」
騎士団員が人々に通りを空けるよう呼びかけ、騒ぎは少しずつ収まっていった。ゾルムは入口の見える席に座り、アオイの帰りを待った。
◇
そのころアオイは、王都から東へ向かって空を飛んでいた。
眼下には道が延び、荷を積んだ馬車がゆっくりと進んでいる。城壁はすでに背後で小さくなっていた。
「ずいぶんと複雑な術式ではないか?」
アオイは飛ぶだけでなく、顔に当たる風を逸らし、急に速度を変えても身体へ負担がかからないようにしていた。竜王には、その細かな制御が気になるらしい。
「人だからね。竜みたいに頑丈じゃないから大変なのよ」
「余ならば、このようなことはせぬ」
「でしょうね。身体の作りが違うんだから」
そんな雑談をしていると、はるか先に町が見えてきた。
「あ、あれかな」
アオイは速度を上げた。
町の門番は、街道を見渡しながら、今日も特に異常はないと思っていた。近づいてくる馬車もなく、通行人の姿もまばらだ。
まさか、異常が上から降ってくるとは思いもしなかっただろう。
風を巻き上げながら、冒険者風の女が門の前へ降り立った。
「なっ、なっ、なっ……」
「ねえ、鉱山ってあっちの山で合ってる?」
「へっ?」
「ギルドの依頼で、ゴーレムを倒しに行きたいんだけど」
アオイが差し出した身分証と依頼書を、門番は何度か見比べた。書類におかしなところはない。顔を上げると、女は返事を待っている。
「……鉱山なら、その山で合っている」
「ありがと」
門番が何か言いかけるより早く、アオイは地面を蹴った。風を残して山の方へ飛び去る。
「……今の、何だったんだ?」
アオイは町の屋根を越え、鉱山へ向かう道の上を飛んだ。眼下には荷車が通った跡が残っている。けれども、山へ近づくにつれて人の姿は見えなくなった。
「あのゴーレムのせいで、誰も近づけないのかな」
「さあな。まずは見てみることだ」
アオイは山肌に沿って高度を上げた。木々が途切れ、岩の露出した斜面が広がる。その中腹に、いくつかの建物が見えた。
「あれが鉱山だろうか?」
建物の周りに人影はない。代わりに、人の倍ほどもあるゴーレムが二体、ゆっくりと歩いていた。
どこかへ向かう様子もない。ただ、建物の近くをうろついているように見える。
「ゴーレムって何を食べるんだろ?」
「知らぬ。鉱山に住み着くのだから、鉱石ではないか? 書物には載っておらなんだか?」
「載ってたような気もしなくもないけど……まあ、それよりも魔石は壊しちゃいけないのよね」
依頼書には、身体の中心にある魔石を持ち帰るよう書かれていた。二体いるなら、二つ持ち帰ればいい。
アオイは空中で速度を落とし、どうやって胴体を開くか考えた。力任せに砕くのは簡単だが、それでは魔石まで傷つけるかもしれない。
「そういえば、勇者の呪文にバギってあったわよね」
「何の呪文だ?」
「風で敵を切る魔法、だったかな。でも、風で石は切れないよね……」
ゴーレムの足元には、細かく砕けた石や砂が広がっている。アオイはそれを見て、手を打った。
「ああ。風だけで切る必要はないのか」
地面の砂が巻き上がった。風の中で細かな粒が速さを増し、ゴーレムの足へ集中する。
石の表面が削れていく。ゴーレムが一歩踏み出したところで片足が折れ、重い身体が傾いた。倒れきる前にもう片方の足を断ち、両腕も削り落とす。
動けなくなったゴーレムの胴体へ、アオイは風を当てる範囲を絞った。
石を少しずつ削る。奥に何かが見えたところで風を弱め、周囲だけを慎重に崩していく。
「あった」
魔石を傷つけずに取り出すと、アオイはもう一体にも向き直った。
今度は手順が分かっている。足、腕、そして胴体。二つ目の魔石も、傷をつけずに取り出せた。
アオイは地面へ降り、手の中の魔石を見比べた。
「……勇者って、勉強できなさそう」
「なぜそうなる?」
「風で石を切るなんて、私は『どうやって?』って考えちゃうもの。勇者様は、できると思っただけでできたのかな」
「お主は考えすぎなのではないか?」
「かもね。知ってることが、イメージの邪魔になるのよ」
竜王は、手足を失い、胴体まで削られた二体のゴーレムを見た。
「手足を断たれ、身体を削られるとはな。痛みを感じぬように見えるのが、せめてもの救いか」
「……魔石を壊さないようにしただけよ」
「分かっておる」
アオイは魔石をしまい、もう一度ゴーレムを見た。動き出す気配はない。
「依頼はこれで達成ね」
アオイは鉱山の建物にも目を向けた。今は誰もいない。依頼を受けて来たとはいえ、勝手に中を調べる用事はなかった。
来た道を確かめ、山の斜面に沿って飛び立つ。眼下の鉱山はすぐに小さくなり、やがて岩肌の向こうへ隠れた。
行きに立ち寄った町の上空を通るころには、日はだいぶ傾いていた。街道の荷車はまだゆっくりと王都へ向かっている。
「本当に、馬車で行ったら何日もかかったのね」
「お主には関係のない話であったな」
「そうね。でも、魔石二つのために何日もかけるなら、報酬もそれなりなのかな」
「受ける前に確かめておらぬのか?」
「肉が出ない依頼を探してたから」
竜王は何も言わなかった。
しばらく飛ぶと、夕方の光の中に王都の城壁が見えてきた。アオイは宿とギルドの位置を思い出し、そこへ向かって高度を下げていく。
城壁を越えると、眼下の通りで人々が立ち止まった。何人かが空を指差している。
「ずいぶん見られておるぞ」
「いちいち後ろなんて気にしないわよ」
宿とギルドが見えた。アオイは速度を落とし、降りる場所を確かめる。
そのころ宿の中では、外の騒ぎがゾルムの席にも届いていた。
「また飛んでるぞ!」
「こっちへ来る!」
ゾルムは椅子を蹴るように立ち上がり、宿を飛び出した。
東の空から近づいてきたアオイが、目の前でさらに速度を落とす。巻き上がる風に周囲の人々が下がる中、ギルドの前へふわりと降り立った。
「おい、お主! それはどうやっておるのじゃ!?」
「説明したって、できないわよ。だって、詠唱とかしてないもの」
「ぐぬぬぬ……」
そこへ、ギルドから受付の女性が勢いよく飛び出してきた。
「あ、取ってきたわよ。ふたり……二匹? いたわ」
アオイは魔石を二つ見せる。
「お疲れ様です。……そ、れ、よ、り! 王都の中から飛び立ったり、街中へ降りたりしないでください!」
「なんでよ」
「周りを見てください! 騒ぎになるからです!」
アオイは辺りを見回した。ギルドの前には、昼と同じように人が集まり始めている。こちらを指差す人もいれば、まだ空を見上げている人もいた。
「そのうち慣れるんじゃない?」
「慣れるまでやるつもりですか! 駄目です!」
「分かったわよ。次からは、行きも帰りも門を通るわよ。面倒だなぁ」
受付の女性がようやく息をついたところへ、ゾルムが割り込んだ。
「お主、詠唱を研究せぬか?」
「しないわよ。なんでわざわざ不便にしなきゃいけないのよ」
「ほかの者も飛べるようになれば、すごいことではないか!」
「おじいちゃんが飛びたいだけでしょ? どっちにしても、面倒だから嫌よ」
空を飛べること自体には、もはや誰も疑問を挟まない。その三人へ、周囲から若干引き気味の視線が向けられていた。




