第15話 肉のない依頼
翌朝。
目を覚ましたアオイは、朝食までにはまだ少し早かったため、なんとなく宿の裏庭へ出てみた。
井戸のそばでは、小間使いらしい少女が水を汲んでいる。
そういえば、昨日もこの少女が部屋まで水瓶を運んできてくれた。井戸から引き上げた水を桶へ移し、それを両手で抱えて運んでいる。
「大変そうね。手伝おうか?」
特に深い意味はない。なんとなく声をかけただけだった。
「い、いえ。お客様に手伝っていただくわけには……」
少女は慌てて首を振った。
アオイが裏口の方を見ると、大きな水瓶がいくつも並んでいる。あれをすべて満たすのであれば、かなり大変そうだった。
「まあまあ、これくらいならすぐだから」
アオイが井戸へ手をかざす。
井戸の奥から水がせり上がり、朝の光を反射しながら空中で大きな水球になった。
「あそこの水瓶に入れればいいんだよね?」
「は、はい……」
アオイが歩き出すと、水球もその後をついていく。
そのまま裏口まで歩き、水を分けて流し込むと、並んでいた水瓶はあっさりと満たされた。
「はぁぁ……。やっぱり、あんたも魔術師様だったのかい。大したもんだねえ。さすがゾルム様のお弟子さんだわ」
いつの間にか裏口に立っていた女将が、感心したように声を上げた。
アオイは思わず否定しかける。
しかし、弟子ではないと言えば、それでは何者なのかと聞かれそうだった。説明するのも面倒である。
「……どうも」
アオイは曖昧に微笑むと、それ以上、弟子の件には触れなかった。
「そういえば、おじ……師匠は?」
危うく、いつものようにおじいちゃんと呼びかけたアオイは、慌てて言い直した。
いま弟子ではないと否定しなかったばかりである。余計な説明を増やすより、このまま話を合わせた方が楽だった。
「ゾルム様かい? お城じゃないかね。部屋はあんたの隣に取ってあるけど、昨日は戻ってきてないよ」
「そう。なら、まあいいわ」
城にいるなら、アオイが心配する必要もないだろう。
女将は何の疑問も抱かなかったようで、そのまま朝食の支度へ戻っていった。
その後の朝食には、サービスだという大きな肉の塊が出された。
「今朝は特別だからね。遠慮せず食べておくれ」
女将の隣では、先ほどの少女も嬉しそうに笑っている。水汲みを手伝った礼のつもりなのだろう。
アオイは、いらないとは言えなかった。
結局、朝から大きな肉の塊を食べる羽目になり、笑顔を返しながらも、内心ではすっかりげんなりしていた。
どうにか食べ終えて部屋へ戻ると、そのままベッドへ横になる。
「うー……食べすぎた」
「すべて食わねばよかろうに」
「……できないわよ」
「変わっておるな」
アオイは答える気力もなく、目を閉じた。
そのまま、いつの間にか眠ってしまったらしい。
扉を叩く音で目を覚ました。
「はい、どうぞ」
まだ重い身体を起こす。
扉が開き、アオイの目に入ったのは、大量の荷物を抱えた騎士たちだった。
騎士たちは次々と荷物を運び込み、部屋の中へ並べていった。
小さな棚に、衣装箱。柔らかそうな椅子や、元からあったものよりも大きな机まである。壁際には、アオイの全身が映りそうな大きな鏡が置かれた。
よくよく考えれば、王城に残してきたアオイの持ち物など、今の服をもらう前に着ていた怪しげなローブくらいしかない。
だが、いま部屋へ運び込まれているものは、どう見てもアオイの私物ではなかった。
家具や衣装箱の意匠に、どことなく可愛らしさを感じる。リシアの趣味だろうか。
「あのさ、ここ宿だよ? 私の家じゃないのよ?」
「宿の許可はいただいております」
騎士は当然のように答えた。
「いやいや、そういうことじゃなくて。私、一週間分しか払ってないのよ。どうするつもり?」
「こちらで三か月分をお支払いしておりますので、問題ございません」
アオイは頭を抱えた。
「私が宿を引き払うときは、どうするのよ」
「ご連絡いただければ、王城でお預かりすることも、馬車で次の滞在先へお運びすることも可能です」
どうやら、その場合のことまで考えてあるらしい。
「はぁ……分かったわよ。もう、それでいいわ。ただし、なくなったり壊れたりしても、弁償なんてしないからね」
「心得ております。どうぞ、ご安心ください」
何を言っても無駄なのだろう。
アオイは諦めて、再びベッドへ横になった。
しばらくすると、荷物を運び終えた騎士たちは一礼し、部屋を出ていった。
静かになった室内を見回す。
つい先ほどまで簡素だった宿の一室は、まるで別の部屋に変わっていた。
部屋の中央には、運び込まれた衣装箱が残されていた。
アオイはベッドから起き上がり、そのうちの一つを開けてみる。
中には、王都を歩くときに使えそうな服が何着も収められていた。動きやすそうなものもあるが、どれも細かな刺繍や飾りが施され、アオイが自分で選ぶ服より明らかに可愛らしい。
別の箱を開けると、さらに華やかな衣装が姿を現した。
淡い色の生地を幾重にも重ねたドレスに、宝石をあしらった髪飾り。靴や手袋まで一式揃えられている。
「……これ、いつ着るのよ」
王城からの贈り物というだけなら、もう少し無難なものが選ばれそうな気がする。
この可愛らしさには、どこか覚えがあった。
「リシアね」
本人に確かめたわけではない。だが、ほかに思い当たる者もいなかった。
「余には、お主がそれを着て戦う姿も面白そうに思えるが」
「着ないわよ」
アオイは衣装を箱へ戻し、静かに蓋を閉じた。
騎士たちが帰ったあともしばらく横になっていると、ようやく腹も落ち着いてきた。
このまま部屋にいても、特にすることはない。
アオイはベッドから起き上がり、向かいの冒険者ギルドへ向かった。
昨日と同じ受付を見つけ、その前に立つ。
「査定って、どうなってる?」
「あれだけの量ですから、そんなにすぐには終わりません。確認が終わった分だけでよろしければ、先にお支払いできますが」
「それなら、全部終わってからでいいわ。いまはお金にも困ってないし」
アオイが何気なく答えると、周囲のざわめきが少し大きくなった。
大量の魔物を持ち込んだ新人が、その代金を急いでいない。冒険者としては、あまり一般的な話ではないらしい。
「じゃあ、何か依頼はある? 暇なのよね」
「暇って……もう昼を過ぎていますよ?」
「ん? 駄目なの?」
「駄目ではありませんが、依頼を受けて町の外へ向かう方は、朝から出発するのが普通です。日が暮れる前に目的地や安全な野営場所へ着けなければ、余計な危険が増えますから」
「ふーん」
アオイは、いまひとつ納得していない様子で答えた。
「とりあえず、肉が少ない依頼がいいわね」
「肉……ですか?」
「そう。肉が少ない依頼」
受付の女性は釈然としない表情を浮かべながら、依頼書を一枚ずつめくっていった。
「それでしたら、こちらはいかがでしょうか。少し遠いのですが、鉱山付近に出没したゴーレムの討伐です」
受付の女性は、一枚の依頼書をアオイの前へ置いた。
「討伐の証明として、身体の中心にある魔石を持ち帰っていただければ結構です。目撃されたのは一体ですが、周囲にほかの個体がいた場合は、追加の魔石一つごとに報酬が出ます」
「それでいいわ。場所はどこ?」
アオイが昨日書き写した地図を広げると、受付の女性は王都から東へ指を滑らせた。
「こちらの町から、さらに東へ進んだところにある鉱山です。王都の東門から出る乗合馬車で町へ向かい、そこから鉱山まで徒歩で一日ほどですね」
受付の女性は、そのまま移動の日程を説明する。
「乗合馬車は毎朝、三の鐘に出ます。町で一泊してから鉱山へ向かうことになりますので、片道で二日ほど。討伐と帰路を含めれば、五、六日の依頼になるかと」
「ふーん。それでいいわ」
「承知しました。それでは、野営に必要な道具についてですが――」
「あ、それは要らないから」
「え?」
受付の女性が顔を上げた。
「先ほどの説明を聞いていましたか?」
「聞いてたわよ。でも、飛んでいくから、そんなにかからないわ」
「え?」
「それじゃ、行ってくるね」
「え、ちょっと待ってください。飛ぶって――」
アオイは受付の女性の言葉を背に、ギルドの建物を出た。
昨日写した地図を見て東の方角を確かめると、そのまま地面を蹴る。
巻き起こった風に、通りを歩いていた人々が足を止めた。
アオイの身体は建物の屋根を越え、さらに王都の上空へと昇っていく。
遅れて外へ飛び出してきた受付の女性が見上げる中、アオイは鉱山のある東へ向けて飛び去っていった。




