7 私はアリシア・ユーフォル
サラサの拍手のみが舞踏会場に響き渡っている。
会場内にいる全ての人間がサラサを見ている。何が起きているのかも、何が始まろうとしているのかも分からずに。
当然アリシアも分かっていない。ただ、昨日のシヴィラの説明と違う事には気付いている。
――シヴィラ様は昨日、「パーティーの真っ最中に『サラサではない女性と結婚したい』と宣言してしまえば破談になる。サラサも怒り、呆れ、泣き崩れる演技をする予定」と言っていたのに何故なの? 直前のお二人での打ち合わせで予定変更したの?
アリシアは視線を正面に立つサラサから、右横のシヴィラへ移した。
(あっ――!?)
アリシアは息を呑んだ。
あきらかにシヴィラは動揺している。もちろん、このサラサの行動は会場全体を混乱させている。しかし、アリシアには分かる。
シヴィラの動揺の本質は、他者の動揺とは違うと。
予め決めていた事とは違う展開に対する動揺だと。
サラサが拍手を止めた。張り付いた笑みを消し、シヴィラを鋭く睨む。
「シヴィラ様、本当に私よりその……、アリスという女性を選ぶのですか?」
「……自分勝手なのは分かっている。すまない。どうしても自分のこの気持ちを押し殺すことは出来ない」
一拍遅れてシヴィラが応えた。
シヴィラの目が少し安心した様にアリシアには見えた。
予定していた展開に戻った安心に見えた。
「私はアリスと共に生きていきたい」
「だから、今夜発表予定の私との婚約を破棄したいと?」
静まり返った会場で全員が二人のやりとりを見ている。
サラサが今度はアリシアを睨んだ。
アリシアは首元にナイフを当てられている様な冷たい恐怖を感じる。
「アリス……さん。貴女にも、もちろんシヴィラ王子と結婚する意思があるってことですよね?」
「…………!?」
アリシアは何も言えない。
サラサは当然の事を訊いている。しかしアリシアは何も言えなかった。
「だってそうでしょう? 婚約も結婚も夫と妻の同意の元で成り立つものですから。私はその意思はあったし、王子にも私に対してその意思があると信じてました。……さて、改めて訊きます」
サラサはゆっくりと一周だけ身体をターンさせ、会場を眺めた。会場中の視線がサラサに向けられる。
まるでこの場の代表としての質問。アリシアはそう感じた。
サラサがアリシアを見る。
静かに口を開く。
「貴女には王子と添い遂げる覚悟はあるのですか?」
アリシアはやはり何も答えられない。
今、自分が何と答えるのが最善なのかが分からない。
思わず、右横へ顔を向けてシヴィラへ助けを求めそうになってしまう。今の状況もまだシヴィラにとって予定通りなのか、予定外なのかアリシアには分からない。まだシヴィラの目には安心の色が残っているのか、確認したくなってしまう。
しかし、そのとき――、
「アリス。私は貴女に訊いてます」
まるで先回ったかの様に、サラサがアリスに告げた。
「答えて下さい。これは大袈裟でもなく、貴女の人生を左右する質問です」
畳み掛ける様にサラサが話す。そのサラサの言葉にアリシアは思い出す。自分がシヴィラに対して浮かべた言葉を。
――シヴィラ様は懸命に戦っている。
自分の人生の為に。それは決して大袈裟な言い方じゃない。
間違いなくこれはシヴィラ様の今後の人生を左右する戦いになる。
……それなのに私は。
アリシアの頭の中で一つの結論が固まりつつあった。
(昨夜、シヴィラ様は『破談になってしまえば、後は私が責任を取る』と言っていた。ならこの場では、サラサ様に『もちろん結婚するつもりです』と答えるのが最善。まずはこの婚約を破談に持っていく。それが最善の答えのはず)
しかし、アリシア自身がこの結論に納得出来ない。「最善」とは思っているが納得出来ない。
改めて思い返すと、昨日からずっと「シヴィラ様の為」「引き受けてしまったのだから」と自分に言い聞かせている気がしている。
心の奥にはずっとモヤモヤしたものがあるのに、目を逸らしている。
アリシアは自分の返答をサラサだけではなく、会場の全員が待っている空気を感じる。
隣のシヴィル王子も。
少し離れた前方のテーブルに座るローバリウス国王と王妃、カナギル国王と王妃も。
大勢の来賓たちも。
この宮殿に仕える者たちも。
「……アリシア」
右からシヴィラの微かな声が聞こえた。
「アリシア、すまない。私は君を大変な事に巻き込んでしまった。もう分かっているだろうが、サラサは事前に決めた事とは全く違う事をしている。私にも理解出来ない」
アリシアはそのシヴィラの声に強い覚悟を感じる。
「サラサがこのような行動にでる可能性、危険性まで推測出来なかったのは私のミスだ。……ただな、これだけは信じてくれ。昨日の約束は必ず守る。私が君を護る。たとえ自分が断頭台に行く事になっても構わない」
「えっ……⁉」
「これは私の人生をかけた戦いだから」
そのシヴィラの言葉に、アリシアは自身の中のモヤモヤしたものが晴れていくのを感じている。
結局、これで終わっている――
私の「シヴィラ様の今後の人生を左右する戦いになる」という言葉。
シヴィラ様の「これは私の人生をかけた戦いだから」という言葉。
私の中ではこれで終わっている。
私はこの場で「架空の存在」だから。実在しないアリスという人物。
私はそこに心の何処かで甘えている。
覚悟が足りないのは心の何処かで他人事だから。
「シヴィラ様の為」「引き受けてしまったのだから」と自分に言い聞かせているのは他人事だから。
シヴィラ様への淡い恋心――、みたいな無責任な心。「表に出すのが許されない気持ち」とは「表に出さなくても許される気持ち」。
今着ているドレスみたいなふわふわした気持ちで何が出来る?
存在しない人間の名前で何が出来る?
「他人の戦いの傍観者」に何が出来る?
アリシアは一度、唇を噛んだ。
この痛みを感じているのはアリス・ラハイルではない。
この痛みを感じているのはアリシア・ユーフォル。
私はアリシア・ユーフォル。




