6 私は完全に異物
アリシアの目の前で、巨大な両開き扉が開いていく。軋み音一つ立てずに。
「……アリシア」
シヴィラが小声で呼びかけた。
「はい」
「大切な事を言い忘れていた。今の君の名前はアリス・ラハイルだ」
アリシアの「えっ!?」という声は、開き切った扉の内側からの歓声にかき消された。
夫になる男を迎える歓声。
照明が消され、廊下からの光が差し込む薄暗い舞踏会場から聞こえてくる歓声。
しかし、その歓声も少しずつ小さくなっていく。代わりに疑問の声がボソボソと上がり始める。
「……二人いないか?」
「王子の隣にいるのは誰だ?」
「なんだこれは? ……何かの演出か?」
やがて大きな渦となった疑問の声に、アリシアは自分が責め立てられている気がする。立っている事さえ辛くなってくる。
今、この会場で私は完全に異物。
決まりきった展開を邪魔している異物。
その異物に向けての敵意に近い疑念が私に突き刺さってくる。
アリシアが床に座り込みそうになってしまったとき――
シヴィラの左手が、アリシアの右手を掴んだ。
マリーナが藍色のマニキュアを爪に塗ったアリシアの右手を。
「大丈夫だ。何も心配いらない。行くぞ」
シヴィラに引かれ、アリシアは舞踏会場内へ入る。
「照明を点けよ!」
歩きながらシヴィラが叫んだ。会場内の従者に聞こえたらしく、ガス灯が再点灯していく。会場全体がぼんやりと明るくなり始める。
シヴィラに引きずられるようにして、アリシアは会場の中央へ向かう。
慣れないハイヒールに何度も転びそうになりながら。
シヴィラはつかつかと歩き、中央に据えられた丸テーブルの手前で立ち止まった。当然、その左側にはアリシアが立っている。
アリシアはその少し離れたテーブルの五人に目を向けた。
テーブル手前には二人座っている。椅子に座ったまま、上半身を捻り、こちらを向いている。テーブルの向こう側には三人が椅子に座り、やはりこちらを見ている。
完全に明るさを取り戻した会場で、ようやく顔が見える距離。
(こ、この五人はまさか……!?)
五人が誰かを理解した瞬間、アリシアに鳥肌が立った。今から自分がしようとしている事の恐ろしさを改めて感じ取った。
テーブルの手前側に座っているのはローバリウス国の国王と王妃。
……という事は向こう側に座る三人はカナギル国のクロウ国王と王妃、そしてシヴィラ様の結婚相手に選ばれたサラサ王女。
王子からの頼みとは言え、自分が今から騙そうとしている相手は王族だという事。
その事実が、離れた位置からでも伝わってくる五人の圧倒的存在感、威圧感によってアリシアを潰そうとしてくる。
シヴィラが掛けてくれた言葉たちにアリシアは縋りつきたくなる。
「君に迷惑はかけない」
「恥もかかせない」
「私が君を守る」
「何も心配いらない」
そんな優しい言葉たちに。
シヴィラとアリシア、テーブルに着いている五人で最初に口を開いたのはローバリウス国国王ガロウ・ローバリウスだった。
「シヴィラ、これは一体……? そちらの女性は?」
その問いかけに、シヴィラは意を決した様に話し始める。
「父上、母上、クロウ国王陛下、ルーナ殿…………、サラサ殿、申し訳ありません。私はサラサ殿と結婚をする訳にはいきません。私はこの女性、アリス・ラハイルを愛しています」
アリシアは見た。
サラサ以外の四人の表情が驚きで歪んだのを。
サラサが小さく笑みを浮かべたのを。
短いはずだが異常に長く感じる沈黙が流れた。
その沈黙を、カナギル国国王アキハ・クロウが破る。
「ローバリウス殿、何かの冗談ですかな? 余興にしてはあまり趣味のいいものとは思えませんが」
アキハ・クロウがシヴィラ・ローバリウスにではなく、ガロウ・ローバリウスに問いかけた。アリシアはその静かな声色の中に激しい怒りを感じた。
あっけにとられていた周囲のテーブルからも声が上がり始める。
「何なんだ、これは?」
「あの女はどこの誰なんだ?」
「これが真実なら国交断絶どころか戦争に発展しかねないぞ」
「シヴィラッ! お前は自分がやっている事を分かっているのか⁉ お前には王子としての自覚がないのか⁉」
業を煮やしたガロウが椅子から立ち上がり、目の前のシヴィラへ怒声を飛ばした。
アリシアはその声量と迫力に、耳が痛くなり身体が竦んだ。
ガロウの一喝により会場内は再び静まり返った。
シヴィラがいつも通りの口調で応える。
「父上、先ほど申し上げた通りです。私はこのアリス・ラハイルに出逢い、真実の愛に気付きました。一生に一度の我儘です。お許し下さい」
全く引かない息子に父親は微かに困惑の表情を浮かべる。椅子に座り、呆れ返った様に小さく首を振った。
「お前は何を考えているんだ……」
アリシアは一言も発しない。発せない。
何を言えばいいのかすら分からなかった。
ただ――、ニつ理解した事がある。
一つはシヴィラの強さ。もちろんシヴィラ自身も王族ではあるが、二人の国王の怒りに全く怯んでいるように見えない。自分の考えをはっきりと伝えている。
もう一つはシヴィラの弱さ。シヴィラ自身は気付いていないのかも知れないが、先ほどから繋いだシヴィラの左手がガクガクと震えている。
シヴィラ様は懸命に戦っている。
自分の人生の為に。それは決して大袈裟な言い方じゃない。
間違いなくこれはシヴィラ様の今後の人生を左右する戦いになる。
……それなのに私は。
アリシアがオロオロしているだけで何も出来ない自分を恨めしく思い、床へ目を落としたとき――
パチパチパチパチパチパチ
場違いな拍手の音が響き渡った。
アリシアは音がする方へ目を向けた。
いつの間にか椅子から立ち上がっていたサラサ王女が拍手を続けている。
顔には笑みが張り付いている。




