2 私じゃない方がよくないですか?
今、アリシアの目の前には巨大な鏡がある。
指紋一つなく、繊細な細工や宝石などによる装飾が施された鏡には、同様に飾り立てられた椅子に座るアリシアの全身が映っている。椅子の背の後ろには、鏡に映ったアリシアを真剣な表情で覗き込む老婆が一人。小柄なアリシアよりも更に小柄な老婆。
このローバリウス国専属スタイリスト、マリーナ。彼女が仕事を請け負う相手は王族のみ。本来ならメイドの一人であるアリシアなど、髪の毛一本触れられることさえあり得ない。
――――
今朝、廊下をほうきで掃除していたアリシアはシヴィラから指示を受けた。
「今日の午後、誰にも見られないようにマリーナのところへ行ってくれ。話はつけてあるから心配いらない」
「えっ……!?」
アリシアの頭に、メイド長のアンナが他のメイドたちといなくなった自分を探し回る様が浮かんだ。
「でも、私が突然いなくなったらアンナ様に御迷惑をかけることになります」
アリシアの指摘にシヴィラは頷く。
「安心してくれ。事前にアンナへは『アリシアは私的な使いで街へ行かせる』とでも言っておく。アンナも納得するだろう」
シヴィラが去った後、アリシアは大きくため息を吐いた。
――なにかもう、引き返せないとんでもないことに巻き込まれてしまっている気がする。勿論、シヴィラ様との約束を破るつもりなんてないけど。
アリシアに昨夜浮かんだ疑問が再びのしかかる。
シヴィラ様、私じゃない方がよくないですか?
――――
昼食を終え、こっそりとマリーナの仕事場をアリシアは訪ねた。
アリシアはマリーナと個人的に会うは今日が初めて。
彼女がいつからこの宮殿にいるのか、アリシアには分からない。
「アリシア・ユーフォル……だね? シヴィラ様から話は聞いている。その鏡の前の椅子に座りな」
「はっ……、はい」
二人は鏡の中で目を合わせる。
「『とにかく誰から見ても別人にしてくれ』、これがシヴィラ様からの依頼。……だから私は今からあんたを『別人』にするよ。私が許可を出すまで目を閉じてな。絶対に」
「はい?」
疑問に感じつつも、アリシアは軽く目を閉じる。
アリシアの疑問が伝わったのか、マリーナが呟く。
「いちいちリアクションされて、鬱陶しくなるのが嫌なんだよ。とにかく、シヴィラ様との約束を守りたかったら目を閉じてな」
そのマリーナの言葉にアリシアは強く目を閉じた。
「しかしまあ、可愛らしい顔だ。腕が鳴るよ」
マリーナが更に呟いたのが小さく聞こえた。
――――
アリシアは、どれほどの時間が経ったのか分からなくなっていた。
ただマリーナの手が常に自分の髪や顔に触れているのは分かっている。
その手の動きに迷いを感じない。おそらくマリーナの頭の中には完成図がきっちり出来ているのだろう。
普段、オシャレなどに興味がないアリシアには全く分からない。今、自分がどのような髪でどのような顔なのか。
こっそり薄目を開けて、鏡を見れば分かるだろう。
しかし、アリシアは目を閉じていた。
マリーナから「出来たから目を開けていい」と許可を得るまで。
アリシアはシヴィラとの約束同様、マリーナとの約束も守ろうと思ったから。




