第75話: お一人様満喫♡久しぶりのゴスロリちゃん! 先輩の過酷すぎる船旅事情と、まさかの孫判明で二度寝確定!?
クリスマスイブの夜だった。私は我が城で『お一人様イブパーティー』を行っていた。
元の日本では一応クリスマスのチキンとかケーキとか用意はしてたけど、親は大体その日に限って残業残業で、結局1人で過ごしていたから何も変わらない。それに今はとにかく1人のひとときを過ごしたいから、この広大な我が城でも寂しくない。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、懐中時計から壁に投影される好きな映画を見ながらお一人様を満喫しているのさ。
そして、ふわふわ豪華なベッドで眠りについたはずだったんだけど!?
「ハイハ〜イ!お久しぶり〜暁ちゃん、元気だったみたいでよかったわ」
(おっ!久しぶりに出たゴスロリちゃん)
「あの謎のバグの時はありがとね。すごい助かった〜」
(あの時の貸しはまだ回収してないんだけど?今思いつかないから利息をつけて返してね)
「……」
(おい、おい、黙りかい?)
「今回もいろいろありがとね。地方の活性化お願いしてたじゃない?びっくりするくらい地方がだんだん活性化されてるわ。あの地熱エネルギー?すごいわね!それに沖縄の沿岸地帯も養殖技術とかでみんな生活に余裕ができてきたみたい。これから文化も発達するわ。ありがとね♡」
(それはよろしゅうございましたね)
「暁ちゃん自覚ないみたいだけど、かなりすごいことしてんだからね。誇ってね」
(はあ〜、それならなんか今度また『貸し+貸し』だよね?あっ!そういえば、私の前にスチームパンクが好きな人が『先輩転移者』でいたって言ってたけど、その人ってどうなったの?教えてくれるよね)
「あー、あの子の話ね。別にいいけど……」と、ゴスロリちゃんが話し出した。
彼は私と同じ13歳の中学1年生だったそうだ。前に説明された通り、私のようにドラッグストア愛があったわけじゃなく、ただ飲み物を買いに行ってただけらしい。彼の好きな珍しい飲み物が安く売っていたから毎日通っていて、ゴスロリちゃんが勘違いして半分にしてこっちに連れてきちゃったようだ。
デレクトアティオを作ってから女神様の仕事が忙しくなり、少しこの世界から目を離した。ベースを地球と同じにしていたせいで、江戸時代までは地球の史実と同じような歴史になってしまったらしい。
彼女は面倒くさいことが嫌いで争い事も嫌だったのに、元の地球と同じようになってしまった。そこで慌てて江戸の末期になり、「大好きな大正浪漫の世界をもっと発達させたい!」とデレクトアティオに顕現し、『誠心誠意・誠実』の魔法をかけたそうだ。世界を作る際にその種は蒔いてあったそうで、人々はすんなり受け入れたとのこと。
(ご都合主義でやりたい放題だねぇ)
そして明治時代に、本当は先輩の彼を投入しようとしたそうだ。しかし彼がどうしても「幕末が好きだ!」と主張し、「『これが日本の夜明ぜよ』を自分の目で確かめたい」と言い張って、幕末の日本に降り立ったという。
そしてゴスロリちゃんがまた急に女神の仕事が忙しくなって、ちょっとだけ目を離した隙に……。
「それがね。その時私すっごい仕事が忙しくて、デレクトアティオをまたまたかまってられなくなっちゃったの。それでちょっと目を離した隙にあの子ったらねぇ……」と話が続いた。
幕末はまだ鎖国をしていて海外渡航は罪だったが、当時の長州や薩摩などのやる気のある若者たちが、藩の後ろ盾を得て密航し、イギリスへ渡って『蒸気機関革命』などを学ぼうとしていたらしい。その少し後、横浜の居留地にいたイギリスの商社が渡英の手配をしてくれて、どうやったのか先輩の彼はそこに紛れ込み、イギリスへスチームパンクを学びに行ってしまったそうだ。
それは半年にわたる過酷な船旅で、英語がうまく通じず、(ほら、英検の勉強は大事よ。あっ!イギリス英語か?こりゃまた失礼しました)水夫としてタダ働きさせられるハメになったらしい。硬いビスケットと塩漬け肉を食べ、常にお腹を壊し、1日中甲板をデッキブラシで掃除するなど過酷な労働をずっとさせられていたとのこと。
「トイレも悲惨だったのよ。下働きの水夫には専用のトイレがないから、縄で縛られて、船のヘリで命がけでトイレをしたんだって」
(絶対私には無理!ちょっと、チートはあげなかったの?)
「普通に『鑑定』と『収納バック』と『結界』をあげといたわよ。あの子にそう言われたからね。それに魔法もできたはずなんだけど、あの子理屈ぽくて想像力があんまりなかったみたい。スチームパンクは好きだったけど、それ系のラノベやアニメばっかり見てたから、魔法のイメージがあんまりできなかったみたいよ。もちろんスチームパンクに関してはすごかったんだけどね。だから日本が今、世界で1番スチームパンクが発達したのよ。良いことなんだけどね。でもそのおかげで文明が停滞しちゃったのも事実だから……」
それからまたゴスロリちゃんは語り出した。
今と違ってアフリカの南の先端(喜望峰)を通っていく航路だから、半年かかってやっとイギリスに着いたそうだ。そして他のメンバーがロンドン大学に留学したのに対して、先輩の彼はもう1人の13歳の少年と一緒にスコットランドの中学校に入ったという。大学に入る年齢に達していなかったからだ。
それでも、その頃のスコットランド地方や北東部は『蒸気機関革命』が発達していて、スチームパンクの勉強には最適だったようだ。
そして15歳で、もう1人の子と一緒にアメリカへ渡る。その時のアメリカのボストンとニューヨークは蒸気機関革命が最も進んでいる最中で、とても勉強になったそうだ。一緒に行ったもう1人の子はカリフォルニアへ渡り、スコットランドやイギリスで学んだことを農業に利用して『ワインの王者』になったらしい。そのワイン王者のもとには、エジソンや自動車で有名なフォードを作った人なんかも訪ねて行ったという噂もある。
先輩の彼はそのままアメリカで学び、明治になってから日本に帰国。そして、日本のスチームパンク・蒸気機関産業に多大な貢献をした。大正が始まる頃にはもう70歳を過ぎていて、大往生でこの世界を満喫して旅立っていったそうだ。
「そうそう、あなたの知っている子がその子の孫よ。女の子で天才のあなたと同じ歳の子がいるじゃない」
(もしかして風ちゃん?)
「そうそう、その子よ」
(ショー劇?いや、しょー撃!)
「あらま、もう時間になっちゃった。また話せる時が来たら夢に出てくるわね。じゃあね、またね」
(またいきなり帰るんかーーーい!)
そして朝になり目が覚めたけれども、寝た気がしないので二度寝をした。
やっぱり1人は楽でいいのう……。




