第3話:チョココロネは最強です
水筒の水を飲んでほっとしたところで、これからの生活を考えた。定番のあるあるである「冒険者ギルドで稼ぐ」なんてこの世界では無理そうだし、さてどうしようか。まずは普通の人たちの生活を知るために、スーパーなんてさすがにないよなぁ、市場や商店街があればいいんだけど……と思いながら懐中時計をパカッと開けた。
すると、私の気持ちを(またゴスロリ女神のように)勝手に察したのか、A4サイズの地図がコメント付きで現れた。
『ここから歩いて30分のところに、一般の普通の人たちが買い物をする市場があります。地図はこちらです。ナビを開始しますか?』
まったく、便利な機能だなぁと思いながら《はい》を選ぶと、スマホアプリと同じようにナビが始まった。
私がドラッグストアに行ったのが開店と同時の10時で、買い物が終わったのが10時半。女神とのやりとりは時間が経過していなかったみたいで、時計を見るとまだ11時だった。
ここから歩けば着く頃にはちょうどお昼になるし、賑わいも見えるはずだ。一体どんなものが売っているんだろう? 元の日本とどれだけ違うんだろ。ドラッグストアっぽいお店はあるのかな?
そんなふうにワクワクしながら歩いていったら、あっという間に市場に着いてしまった。
さっき私が降り立った場所は、元の日本の中心地にある賑やかな「銀座」みたいなところだったけど、今歩いてきたこの市場は、下町情緒がたっぷりという感じだ。下町なんて実際によく分かっていないけれど、たまにお母さんがテレビの映画で見ている「寅さん」の舞台みたいな場所だろうか?
さっきの銀座エリアが「大正浪漫×スチームパンク×ヨーロッパ」みたいな街並みだったのに対し、この下町は、昔の木造校舎みたいな建物が並んでいるかと思えば、その間にレンガ造りの洋風建築が混ざっていて、すごく不思議な見た目をしている。
市場を覗いてみると、野菜を売る人は野菜だけ、果物を売る人は果物だけと、専門の屋台がずらりと並んでいた。さすがスチームパンクの世界だけあって、お肉や魚は木箱に保冷機能や冷凍機能がついたものを使っているみたいで、衛生面も安心そうだ。
お昼になってますます人が増えてくると、串焼きや焼き鳥、そして美味しそうな味噌汁の匂いが鼻をくすぐってきた。
お腹が空いた私は、飲食店が並ぶ広場の噴水のふちに腰掛けた。
「そういえば、日本から持ってきた菓子パンがあったっけ……」
亜空間収納の中を確かめると、あんぱん、チョココロネ、そしてメロンパンが入っていた。
私は水筒から水をひと口飲み、まずメロンパンの袋を開けた。
ふわっと漂ってきた甘い匂いに、元の日本の日常が少しだけ思い出されて、なんだかホッとしてしまう。
そういえば――と、ふと思った。
中一の割にはしっかりしているというか、お父さんやお母さんの家事の面倒まで見て自立しているせいか、私はあまり親に甘えたりしていなかった。だけど、それにしても自分の感情が少しおかしい気がする。
(普通、いきなり異世界に飛ばされたら、もっと「寂しい」とか「怖い」とかパニックになってもいいはずなのに……)
あのゴスロリ女神、絶対に何かやらかしているな? 元の日本への哀愁が湧かないように、私の心を勝手にいじったに違いない……! 絶対そうだ。今度会ったら絶対、慰謝料を請求してやるんだから……!
なんてブツブツ考えながら、メロンパンをひと口食べようと大きく口を開けたその瞬間。
――視線を感じた。
ふと顔を上げると、目の前にシャーロック・ホームズみたいな服を着た、日本人っぽいけれどどこかイギリス紳士風の男の人が立っていた。私の手元をじーっと見つめている。
私は(うわ、ちょっとキモいな……)と思いながらも、「あの、私に何か用ですか?」と少し冷たく聞いてみた。
すると、その紳士風の男の人は大興奮した様子で声を張り上げた。
「君、それは一体なんだね!? すっごくいい匂いがするぞ! 私は食べることが好きで、世界のいろんなところで食べ歩きをしているんだがね。そんな食べ物は見たことがない! なんとも甘そうで、素晴らしい匂いがしているじゃないか!」
「あぁ、これは菓子パンですよ。すごくいい匂いがして甘いですよ。これはメロン味です」
「なんだって!? メロンなんて超高級品じゃないか! それをパンにするなんて……!」
その男性は、こっちが引くくらいの大きな声を上げてびっくりしていた。そのせいで、周囲にいた人たちがぞろぞろと集まってきてしまう。
(あんた紳士なんじゃないんですか……! 勘弁してくださいよー!)
「君! ぜひそれを私に売ってくれないかね! その透明な袋も見たことがない。新しく開発されたものなのかい? まあそんなことはどうでもいい、とにかくその食べ物を売ってくれ!」
「えー、これは今私が食べようと思って開けたやつだし……」
「そこを何とか頼む! もうその匂いに我慢ができないんだ!」
「じゃあ……」
私はカバンから、別のパンを取り出した。
実はこのチョココロネ、本当はそこまで好きじゃないんだけど、ドラッグストアの見切り品コーナーで**「30%OFF」**の割引シールが貼られていたから、ついついカゴに入れてしまったものだった。
(こんな、割引シールがペタッと貼られた売れ残りみたいな品で、本当に大丈夫なのかな……?)
少し申し訳ないような気がしつつも、私はそれを差し出した。
「これは中にチョコが入っているパンですよ。すっごく甘くて濃厚で、これ1つでお腹いっぱいになっちゃうくらいです」
すると、おじさんの目がギョっと見開き、「それはまた!何だって!?」とさらに大声をあげた。
「ぜひそれを売ってくれ! そのネジのような、螺旋階段のような造形美……とてもパンには思えない! それなのに、中に貴重なチョコレートが入っているなんて、今まで本当にお目にかかったことがない。これは王室に献上してもいいくらいの代物だ!」
……なんか勝手にものすごくありがたがっている。
しかも、そのチョココロネの袋には、ドラッグストアで貼られた**「30%OFF」**の赤いシールが堂々とペタッと貼りついたままだ。
(……あの人、あの謎のシールの意味、絶対分かってないよなぁ)
まぁいっか、と私は思い、「わかりました、売りますよ。うーん、じゃあ、1つ1000円なんてどうですか?」と適当に言ってみた。
するとおじさんは「この食べ物が1000円だと!? 何を言っているんだね、君! 5000円だって安い位だぞ! ほらこれだ、1万円払うからすぐに私に渡してくれ!」と叫び、30%OFFシールのついたままのチョココロネをひったくり、私に1万円札を無理やり握らせるとそのまま走り去ってしまった。
(……あの謎の「30」と「%」「OFF」の文字が書かれたシール、あの街の偉い人たちに見られたら絶対大騒ぎになるだろうなぁ……)
呆然とする私の前に、今度はモガ風のおしゃれな女性が駆け寄ってきた。
「もう一つ持っているかしら!? 私も食べるのが大好きでね、先程の紳士のようにあちこち食べ歩いているのだけれど、あんな形の食べ物は見たことがないのよ。もう一つ、本当にないの!?」
「ええと、チョココロネは無いですけど、あんぱんならありますよ。あんぱんは中にあんこが入っていて、この白いツブツブはごまですね」
そう言うと、その女性も大興奮して「ぜひ売って!」と食いついてきた。私が「売りますよ」と言うと、その女性もまた1万円札を私に握らせ、手からあんぱんをひったくるように奪うと、そのまま小走りで去ってしまった。
私は残った野次馬たちに向かって、「もう菓子パンはありませんから! みんないなくなってください!」と声を張り上げ、自分の席に戻ってやっとメロンパンにかじりついた。
まだその場に残っていた人たちが、うらやましそうにゴクリと喉を鳴らしているのが見えたけれど、知ったことではない。私はお腹が空いているんだ。
メロンパンをかじりながら、「そういえば牛乳も買ってたっけなぁ」と思い出す。
行儀は悪いけれどコップなんてないんだから仕方ない。私はそのまま牛乳パックの口をあけてゴクゴクと飲み、メロンパンをほおばって、ひとまずのお昼ご飯にした。
気づけば、私は一瞬で2万円も稼げてしまった。
「これで今日の宿代になるかなぁ……」
私は元の日本と変わらない青空をぼんやりと見上げながら、ため息をついたのだった。




