第9話:冷徹なる長女と、鋼鉄の罠
ガシャンッ!!
魔王城の奥深く、マゼンダの私室から、硬質なガラスが粉々に砕け散る凄惨な音が響いた。
「あああああっ! 許さない、許さない許さないッ!!」
自慢だった美しい真紅のドレスをボロボロにし、顔に包帯を巻いた次女・マゼンダが、発狂したように叫びながら、部屋中の調度品を破壊していた。
彼女の足元には、先程まで彼女自身の顔を映していた巨大な姿見が、無残な破片となって散らばっている。
「私の……この完璧な私の顔に傷をつけるなんて! それに、ネイヴィー様に愛されるのはこの私だけなのに……あの光の小娘、絶対に八つ裂きにしてやるわ!!」
ギリッと血が出るほど唇を噛み締め、呼吸を荒げるマゼンダ。
「……見苦しいわよ、マゼンダ。美しさを失った上に、知性まで投げ捨てるつもりかしら」
冷ややかな声と共に、開け放たれたドアの前に長女・キャメルが立っていた。彼女は漆黒の軍服風のドレスを完璧に着こなし、手元の扇子でパチンと音を立てる。
「お姉様……! 違うの、あいつらはただの人間じゃないわ! 訳の分からない光で私の炎を……っ!」
「言い訳は聞きたくないわ。感情に任せて魔力を撒き散らすなんて、野蛮で下等な獣のやることよ。だからあなたは足元を掬われるの」
キャメルの氷のような視線に射抜かれ、マゼンダは悔しそうに俯き、震える手を握りしめた。
魔王軍の幹部でありながら、彼女たちの心にあるのは「世界征服」などという大層なものではない。ただひたすらに、美しく気高い主君・ネイヴィーからの「寵愛」を独占したいという、どろりとした狂信と嫉妬だけだ。
「……ネイヴィー様が人間界の小娘の存在に気を取られている。それは事実よ。だからこそ、私があの方の憂いを完璧な計算で取り除いて差し上げるわ。マゼンダ、あなたはそこで自分の愚かさを反省していなさい」
キャメルは扇子で口元を隠し、冷酷な笑みを浮かべると、人間界へのゲートへと優雅に歩みを進めた。
◇
同じ頃、人間界。
制服のまま全速力で走りながら、りりんは胸元の鈴を強く握りしめた。
『チリーン……!』
清らかな音と共に光がりりんを包み込み、純白の戦闘服へと姿を変える。路地裏を抜けた先、隣町の巨大なビル建設現場に到着すると、すでに4人のベルキャットたちが合流していた。
「遅れてごめんなさい!」
「りりんちゃん、気をつけて。……様子がおかしいわ」
りんじゅが周囲を警戒しながら囁く。
夕暮れの建設現場は、異常なほど静まり返っていた。重機のエンジン音も、作業員たちの声もしない。ただ、剥き出しの鉄骨の隙間から、肌を刺すような不気味な冷気が漂っているだけだ。
「……私の大事な現場を、よくもこんな気味悪くしてくれたな。コソコソしてないで出てこいよ!」
りんかがギリッと奥歯を噛み鳴らし、赤いグローブを外した素手でコンクリートの壁をドンッと叩く。
「ごきげんよう。野蛮な声を上げるのね、人間。まるで私の妹のようだわ」
ふいに、頭上から氷のように冷たい声が降ってきた。
見上げると、地上数十メートルの巨大な鉄骨の上に、一人の女が優雅に足を組んで腰掛けていた。プラチナブロンドの髪を風に揺らす女――長女、キャメルだ。
「妹のアイボリーとマゼンダが世話になったようね。……でも、私をあの愚かで感情的な妹たちと同じだと思わないことよ」
キャメルが扇子をパチンと閉じると、建設現場のあちこちから「ううっ……」「助けて……」というくぐもった呻き声が聞こえ始めた。
「この声……現場の親方たち!? あんた、みんなに何をした!!」
りんかが血相を変えて鉄骨に飛びかかろうとした瞬間、りんじゅが鋭く叫んだ。
「りんかさん、止まって!! 動いちゃ駄目!!」
「えっ……?」
りんかが踏み止まると、夕日に照らされた空間に、キラキラと光る無数の「糸」が浮かび上がった。
それは、キャメルの指先から放たれた極細の魔力糸だった。糸は建設現場の柱という柱、そして空中に吊るされた巨大な鉄骨に複雑に絡み合い、その先で気を失った作業員たちの身体をがんじがらめに縛り上げていた。
「素晴らしい解析力ね、東川鈴珠。……そう、この現場はすでに私の『蜘蛛の巣』の中よ」
キャメルが冷たい笑みを深める。
「少しでも乱暴な衝撃を与えれば、糸が鉄骨の支えを切り裂き、この建設中のビルは作業員もろとも崩落するわ。……さあ、自慢の拳で殴ってみなさいよ、冬堂鈴華。あなたのその手で、仲間をスクラップにしてごらんなさい」
「ざけんな……! 卑怯者め……っ!」
りんかの拳が小刻みに震える。自分の最大の武器である「破壊力」が、ここでは仲間の命を奪うトリガーになってしまう。
(どうしよう……。私に、私にできることは……!)
りりんは必死に頭を回転させた。その時、りんじゅの落ち着いた声が脳内に響く。
『りりんちゃん、聞いて。あの糸は強力な魔力で編まれているけれど、物理的な物質じゃない。あなたの「浄化の光」なら、鉄骨や人間を傷つけずに、糸の魔力だけを溶かせるはずよ』
「……っ! わかった、やってみる!」
りりんが両手を胸の前で組み合わせた瞬間、キャメルの目が鋭く細められた。
「させないわよ。……あの光の小娘を止めなさい」
キャメルの背後の影から、無数の暗殺蜘蛛の魔獣が這い出し、空中の糸を伝って一斉にりりんに襲いかかってきた。
「りりんに指一本触れさせないわよ!!」
かりんが美しいハイキックで空気を切り裂き、迫る魔獣を蹴り落とす。
「私もいるよ! こっちこっちー!」
めいりんが鉄パイプを足場に跳躍し、魔獣の気を引きつけて現場を撹乱する。
「今よ、りりん!!」
りんじゅの合図と共に、りりんは天高く両手を突き上げた。
(小夜子ちゃんの笑顔、海斗の不器用な優しさ……みんなの生きてる大切な『日常』を、こんな冷たい罠で奪わせない!)
「お願い……みんなの命を、繋いで!!」
『チリリリリリリリーン!!』
りりんの鈴が激しく鳴り響き、波紋のように広がった純白のセイントパワーが、建設現場全体を優しく包み込んだ。
光が触れた瞬間、張り巡らされていたキャメルの魔力糸が、朝露のようにシュウシュウと溶けて消滅していく。空中に縛られていた作業員たちが、次々と安全な足場へと解放された。
「……チッ。妹たちの報告通り、忌々しい光ね。だが……」
罠を破られても、キャメルの表情に焦りはなかった。彼女が扇子を振りかざし、直接の魔法攻撃に転じようとした――その顔の真横に、赤い影が迫っていた。
「私の現場を……なめるなァッ!!」
怒り心頭のりんかだ。糸が消滅し、思う存分力を振るえるようになった彼女の跳躍力は、瞬時に数十メートルの鉄骨まで到達していた。
「なっ……!?」
常に冷静だったキャメルの顔に、初めて驚愕の色が走る。
「飛べぇぇぇっ!!」
りんかの全体重と怒りを乗せたヘビーパンチが、キャメルの防御魔法の障壁ごと、彼女の腹部を豪快に殴り飛ばした。
「がはっ……!!」
優雅な姿を崩し、空中で錐揉み回転しながら吹き飛ぶキャメル。なんとか空中で体勢を立て直し、ギリギリで地面への激突を避けたものの、その唇からは一筋の血が流れていた。
「……よくも、私に。ただの人間風情が……っ!」
キャメルは憎悪に満ちた目でりんかを、そして光を放つりりんを睨みつけた。
「いいでしょう。あなたたちがどれほど足掻こうと、無駄なことよ。……すでにネイヴィー様の御心は、人間界へと向かい始めているのだから。あのお方が完全に目覚めた時、あなたたちは本当の絶望を知ることになるわ」
捨て台詞を残し、キャメルは闇のゲートへと身を翻し、魔界へと撤退していった。
卑劣な罠を、ベルキャットたちは見事な連携で打ち破った。しかし、「ネイヴィー様が人間界へ向かっている」という言葉は、彼女たちの心に拭いきれない不安の影を落としていた。




