第2話:狂信のアイボリーと、鳴り響く反撃の鐘
天界から現実世界へと帰還した、翌日の夕暮れ。
学校から帰り、自室のベッドに腰掛けていたりりんの胸元で、突如として銀色の鈴が異様な熱を帯びた。
『チリン、チリン……!』
「……始まったんだ」
まるで心臓の鼓動に呼応するように激しく鳴る鈴の音。りりんは弾かれたように立ち上がり、部屋を飛び出した。
導かれるように向かった先は、かつて海斗と泥だらけになって遊んだ、今は誰もいない公園だった。
しかし、そこはすでに彼女の知る「日常」の風景ではなかった。
公園の入り口に立つと、肌を刺すような冷たい空気が頬を打つ。滑り台やブランコといった見慣れた遊具は黒い瘴気に侵食されてどろりと溶け落ち、空間そのものがガラスのように幾重にもひび割れていた。
その異様な空間の中心に、一人の少女が立っていた。
ゴスロリ風の漆黒のドレスに身を包み、死人のように青白い肌をした少女――魔王軍三幹部の末っ子、アイボリーだ。
「……遅い。ネイヴィー様がこの世界にいらっしゃる前に、邪魔な人間どもはすべて『お掃除』しておかなきゃいけないのに」
アイボリーは虚ろな瞳で宙を見つめ、細い指先をくるりと回した。
「ねえ、私の可愛い仔たち。全部壊して、ネイヴィー様のための綺麗なお庭を作りましょう?」
彼女の足元の影が、タールのようにどろりと膨張した。
ズンッ!という地響きと共に現れたのは、3メートルを超える漆黒の魔獣――三つ首の巨大な獣だった。赤く爛々と光る六つの眼球がりりんを捉え、鼓膜を劈くような咆哮を上げる。
「ひっ……!」
その圧倒的な暴力の気配と、鼻を突く腐肉のような悪臭に、りりんは思わず一歩後ずさる。足の震えが止まらない。
だが、彼女は一人ではなかった。
「りりんちゃん、大丈夫!?」
背後から駆けつけてきたのは、息を切らせたりんじゅと、めいりんだ。二人とも、中華料理屋のエプロンをつけたまま走ってきたらしい。さらに、作業着姿のりんかと、華やかな私服姿のかりんも合流する。
5人が揃った瞬間、それぞれの胸元で、銀色の鈴が一斉に共鳴し、チリリリリッと甲高い音を立てた。
「あれが、キャミィ様が言っていた魔族……」
りんかがギリッと奥歯を噛み鳴らす。アイボリーは無表情のまま、首を傾げた。
「なあに、あなたたち。ネイヴィー様の邪魔をするなら、死んで」
魔獣がよだれを撒き散らしながら、地響きを立てて5人に向かって飛びかかってくる。
恐怖はあった。けれど、りりんはもう逃げなかった。天界でキャミィ様が見せた涙が、そして自分を必要としてくれた温もりが、胸の奥を熱く焦がしていたからだ。
(私だって……誰かの役に立てるんだ!)
「お願い、みんなを守る力を……!」
りりんが両手で鈴を強く握りしめ、祈りを込めた瞬間だった。
『――チリーン……!!』
清らかで神聖な鈴の音が、夕闇を切り裂いた。
眩い純白の光の柱が天から降り注ぎ、5人を包み込む。光は彼女たちの日常の服を解き放ち、天界の加護を受けた真新しい戦闘服へと作り変えていく。
光が晴れた後、そこにはかつての星の記憶を宿した戦士、ベルキャットの姿があった。
りりんは神聖な白とピンクのドレスを纏い、癒しと浄化を司る。
りんじゅは知的なネイビーのタイトな装いで、後方支援と戦術分析を担う。
めいりんは動きやすさを極めたオレンジのショートパンツ姿のスピードスター。
りんかは燃えるような赤を基調とした、格闘戦に特化した力強い装束。
かりんは漆黒と紫が交差する、スタイリッシュなスリット入りブーツスタイル。
「……えっ、身体が、すごく軽い!」
めいりんが驚いたように軽く跳躍すると、その姿は一瞬で魔獣の視界から消え去った。
「こっちだよ、鈍物!」
俊足のめいりんが、魔獣の背後の木を蹴って宙を舞う。猫のような驚異的な敏捷性で頭部を蹴りつけ、着地と同時に再び別の方向へ。怒り狂った魔獣が巨大な爪を振り下ろそうとした瞬間、りんじゅの冷静な声が全員の脳内に直接響いた。
『みんな、聞いて! あの魔獣の魔力の流れを解析したわ。急所は、真ん中の首の付け根よ! まずは動きを止めて!』
「任せなさい!」
前に出たのは、モデルとしての長い脚を誇るかりんだ。
「近づかないでよね、汚らしいっ!」
美しい弧を描き、空気を切り裂くようなライトニングキックが、魔獣の前足を正確に打ち抜く。バチィッ!という電撃のような衝撃音が響き、「ギャンッ!」と悲鳴を上げ、バランスを崩して前のめりに倒れ込む魔獣。
その最大の隙を見逃すはずがなかった。
「悪い奴は……私が全員ぶっ飛ばす!!」
りんかが恐れを知らぬ足取りで、魔獣の懐へと真っ直ぐに踏み込んだ。
いじめられていた過去。暗く沈んでいた自分。そのすべてを断ち切るように、腰の捻りを極限まで活かして拳を握り込む。グローブも武器もない、己の素手のみ。
ズドォォォンッ!!
空気が爆発したような重低音が響き渡る。りんかの浑身のヘビーパンチが、真ん中の首に深々と突き刺さった。数トンはある魔獣の巨体が、その一撃の威力で大きく宙に浮き上がる。
『りりんちゃん、今よ!』
「――うんっ!」
りんじゅのテレパシーに背中を押され、りりんが両手を前に突き出す。
(私にしかできないこと……この力を、世界を守るために!)
「はあああぁぁぁっ!!」
りりんの手のひらから、暗闇を浄化する圧倒的な光の奔流――セイントパワーが放たれた。夜の公園を真昼のように照らす純白の光の渦が、空中に浮いた魔獣を完全に飲み込む。
断末魔を上げる間もなく、漆黒の魔獣は光に溶けるようにして浄化され、キラキラとした光の粒子となって夜空に消滅していった。
「……嘘。私の仔が、たった一撃で……?」
アイボリーは初めて見開いた目で、信じられないというように5人を睨みつけた。虚ろだった瞳に、明確な警戒と憎悪の色が浮かぶ。
「……覚えておきなさい。キャメルお姉様とマゼンダお姉様が、あなたたちを絶対に許さないから。ネイヴィー様の世界は、私たちが創るの……!」
ギリッと血が出るほど唇を噛み締めると、アイボリーの姿はどろりとした影に沈むようにして、その場から完全に消え去った。
後に残されたのは、瘴気が晴れて静寂を取り戻した公園と、荒い息をつく5人の少女たちだけ。
「……倒せ、た……?」
りりんが震える両手を見つめていると、りんかが力強くその肩を抱き寄せた。
「やったな、りりん! あんたの最後の光、すっごくかっこよかったよ!」
「本当! 私たちの連携、最初からバッチリじゃない!」
めいりんが満面の笑みで跳ね回り、りんかとかりんも安堵の笑みを浮かべて頷き合う。
「みんな、怪我はない? ……ふふっ、本当に私たち、勝てたのね」
りんじゅの言葉に、りりんは大きく頷いた。
初めて自分の力で、誰かを、そしてこの街の一部を守ることができた。その確かな手応えが、りりんの心の奥にずっとあった冷たい氷を、ほんの少しだけ溶かしていく。
彼女たちの胸元で、勝利を祝福するかのように、銀色の鈴が揃って『チリン』と清らかに鳴った。
だが、これは過酷な戦いのほんの序章に過ぎない。
魔王軍三幹部の長女キャメルと次女マゼンダ、そして前世の記憶に苦悩するネイヴィー本人が現れる日が、すぐそこまで迫っていた。




