番外編2:遺された少年の空 ――海斗と小夜子の約束
りりんが空へ還ってから、3年の月日が流れていた。
海斗と小夜子は高校2年生になっていた。
夏の終わりの放課後。
海斗は部活にも入らず、誰もいない屋上のフェンスにもたれかかり、ただぼんやりと空を見上げていた。
身長は中学生の頃よりずっと伸び、顔つきも大人びたが、その瞳の奥には常に、ぽっかりと空いた「空洞」が横たわっている。
どれだけ時間が経っても、ふとした瞬間に彼女を探してしまう。隣の家のベランダ、通学路の曲がり角、教室の窓際。絶対にいないと頭では分かっているのに、心が無意識にあの色素の薄い髪と、少し猫背で歩く後ろ姿を求めてしまうのだ。
(……俺は、ずっとこのままなのかもしれねえな)
フェンスを握る手に力がこもる。
彼女が命を懸けて守ってくれた世界で、立ち止まっているわけにはいかない。それは痛いほど分かっているのに、心がどうしても前を向くことを拒否する日がある。
「やっぱり、ここにいた」
不意に背後から声がして振り返ると、そこには小夜子が立っていた。
中学生の頃から変わらない、太陽のように明るく華やかな彼女。しかし今の彼女の顔には、かつての無邪気さだけでなく、どこか静かで、海斗の痛みをすべて理解しているような慈愛の色が滲んでいた。
「……小夜子。どうしたんだよ」
「海斗くん、今日はずっと上の空だったから。また一人で空を見てるんじゃないかなって思って」
小夜子は海斗の隣に並び、同じようにフェンスに寄りかかって空を見上げた。
この3年間、海斗がどれほど深い傷を抱え、夜の公園で一人泣いていたかを、小夜子は知っている。それでも彼女は、海斗から離れようとはしなかった。
痛みを忘れさせるのではなく、ただ黙って隣に立ち、彼が前を向ける日まで待ち続けることを選んだのだ。
「……小夜子。俺さ」
海斗は空から視線を外し、自嘲気味に笑った。
「俺の心の中には、ずっとりりんがいる。あいつが占めてる場所がデカすぎて、たぶん一生、消えることはねえ。……こんな俺の隣にいても、お前はちっとも楽しくねえよ」
それは、海斗なりの優しさだった。
明るくて可愛い小夜子なら、もっと自分だけを見てくれる、普通の幸せをくれる男が他にいくらでもいるはずだ。亡くなった初恋の幻影に囚われ続けている自分と一緒にいても、彼女を幸せにはできない。
しかし、小夜子は悲しい顔一つせず、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「うん、知ってるよ」
「え……」
「海斗くんがりりんのことをどれだけ大切に想っていたか、誰よりも知ってる。……だって、りりんは私の、世界で一番大切で、自慢の親友だもの」
小夜子の瞳から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
彼女もまた、りりんを失った深い悲しみを抱えながら生きていたのだ。
「私はね、海斗くんの中からりりんを消してほしいなんて、一度も思ったことないよ。むしろ、ずっと忘れないでほしい。海斗くんがりりんを想って空を見上げるなら、私はその隣で、海斗くんの手を握っていたい。……空にいるりりんに、『海斗くんは私がちゃんと支えてるから、安心してね』って、胸を張って言えるように」
小夜子の真っ直ぐな言葉に、海斗は大きく目を見開いた。
小夜子は、海斗の心の「空洞」を別の何かで埋めようとしているのではない。その空洞ごと、りりんへの想いごと、彼を丸ごと包み込もうとしてくれているのだ。
「お前……本当に、敵わねえな」
海斗は腕で乱暴に目元を拭うと、大きく息を吐き出した。
「俺、かっこ悪いところばっかり見せるかもしれないぞ。りりんのこと思い出して、また一人で勝手に落ち込む日もあるかもしれない」
「うん。その時は、私が海斗くんのおでこにデコピンしてあげる」
小夜子が泣き笑いの顔で言うと、海斗もつられて小さく吹き出した。
海斗は、フェンスを握っていた手を離し、隣にいる小夜子の小さな手を、不器用ながらもしっかりと握りしめた。
「……ありがとう、小夜子。俺、お前と一緒に、ちゃんと前を向いて生きてみるわ。あいつが天界から見てて、呆れないように」
「ふふっ。りりんは優しいから、呆れないよ。きっと笑って応援してくれてる」
二人が繋いだ手の上に、夕暮れの温かい光が降り注ぐ。
決してりりんを忘れるためではない。彼女が守ってくれたこの世界で、二人で一緒に生きていくための、これが彼らの新しい一歩だった。




