第13話:よそ者の少女と、黒く染まる教室
「ねえ、聞いた? 香蘭さんって、親の仕事の都合で中国から来たんでしょ?」
「なんか、言葉のニュアンスもたまに変だよね。……正直、空気読めてないっていうか、一緒の班だとやりづらいよね」
教室の隅。香蘭の席から少し離れた場所で、数人の女子生徒がヒソヒソと声を潜めて笑っていた。
聞こえないふりをして、香蘭は机の上のノートに視線を落とす。数学の方程式を書き写すシャーペンを握る手が、微かに震えていた。
香蘭は中国からの転校生だった。日本語は流暢だが、時折出る独特のアクセントや、文化の違いによる些細なすれ違いが、閉鎖的な中学生の教室の中で彼女を「よそ者」として浮き上がらせていた。
最初は親切だったクラスメイトたちも、いつしか見えない壁を作り、露骨な無視や、聞こえよがしの心無い陰口という形で、香蘭を教室の隅へと追いやっていったのだ。
(大丈夫。お父さんとお母さんは、慣れない日本での仕事で毎日疲れてる。私が学校のことで心配させちゃ駄目。私が我慢すれば、いつかは……)
香蘭が胸の奥で必死に自分に言い聞かせ、息を殺していた、その時。
「ちょっと、あんたたち!!」
バンッ! と、大きな音を立てて教室の後ろのドアが開いた。
仁王立ちしているのは、めいりんだ。彼女は怒りで目を吊り上げ、陰口を叩いていた女子たちの前へと真っ直ぐに歩み寄った。
「コソコソ聞こえるように嫌味言って、何が楽しいの!? 香蘭ちゃんは空気読んでないんじゃなくて、あんたたちがわざと仲間外れにしてるだけでしょ!」
「な、なによ明鈴。別に本当のこと言っただけじゃない」
「そうだよ、明鈴には関係ないじゃん」
「関係ある! 香蘭ちゃんは私の大事な友達だもん!! 文句があるなら、私が全部相手になってあげるから表に出なさいよ!!」
俊足で陸上部のエースでもあるめいりんが本気で凄むと、女子たちは気圧されたように「……意味わかんない」「もう行こ」と捨て台詞を吐いて教室から逃げるように出て行った。
「めいりんちゃん……ごめんね、私のために。あの子たちに嫌われちゃうよ」
香蘭が申し訳なさそうに立ち上がると、めいりんはすぐにいつもの明るい笑顔に戻り、香蘭の冷たい手を両手でぎゅっと握りしめた。
「謝らないで! 香蘭ちゃんは何も悪くないんだから。私はいつだって、絶対に香蘭ちゃんの味方だよ!」
めいりんの手の温もり。その真っ直ぐな正義感と優しさが、香蘭にとってはこの冷たい学校の中で唯一の救いだった。
しかし――。
(めいりんちゃんは、優しい。でも……クラスが違うめいりんちゃんがいない時は、やっぱり私は一人なんだ)
その日の放課後。日直の仕事を終えて、夕陽が差し込む無人の教室に戻った香蘭は、自分の机を見て息を呑んだ。
机の上には、中国にいる大好きな祖母から「お守り」としてもらった、大切な翡翠のストラップが、無残にもハサミでバラバラに切り刻まれて捨てられていた。
「あっ……ああ……」
香蘭はその場にへたり込み、切り刻まれた紐と翡翠の欠片を、震える指で拾い集めた。
手のひらから、ポタポタと涙がこぼれ落ちる。
(どうして? 私が何をしたの? 日本語もいっぱい勉強した。みんなの迷惑にならないように、嫌われないように、いつも笑って仲良くしようと頑張った。なのに……どうして、私だけが『よそ者』なの?)
『――そうよ。この世界は、最初からあなたを拒絶しているの』
ふいに、頭の中でどろりとした黒い声が響いた。
魔界の三姉妹から流れ込んだ「絶望のエネルギー」が、香蘭の心に空いた孤独という穴に、黒いタールのように注ぎ込まれていく。理不尽な世界への怒りと悲しみが、彼女の理性を黒く塗り潰していく。
(苦しい……悲しい……もう、嫌だ。誰も私を助けてくれないなら、こんな世界……)
『ええ。もう我慢しなくていいわ。あなたを傷つけるこんな世界、すべて跡形もなく消し去ってしまいましょう?』
「消し去る……」
香蘭の瞳から、スッと人間としての光が消えた。
彼女の足元から、インクをぶちまけたような漆黒の影が教室の床一面に広がり始める。窓ガラスがビリビリと不気味な音を立てて共鳴し、夕陽でオレンジ色だった空が、異常な赤黒い色に染まっていった。
『さあ、目覚めの時よ。私は破壊の神。あなたの痛みを、世界への絶望に変えてあげる……!』
「あ……あああぁぁぁぁッ!!」
香蘭の喉から、人間のものとは思えない凄まじい絶叫が響き渡る。
彼女の身体を突き破るように、禍々しい黒い瘴気が竜巻となって天へと吹き上がった。校舎が激しく揺れ、グラウンドの木々が一瞬にして水分を失い、枯れ果てていく。
「な、なに!? 地震!?」
部活中で校庭にいためいりんが空を見上げ、その尋常ではない魔力の気配に息を呑んだ。
「この気配……学校から!? まさか、香蘭ちゃん……!?」
めいりんの胸元で、鈴がこれまでとは違う、命の危機を知らせるような鋭い警告音を鳴らしていた。
魔族の抗争すら前座に過ぎない、本当の絶望。
人間の少女が受けた「いじめ」という小さな悪意が生み出した悲劇が、今、世界を終わらせる破滅神をこの星に産み落とそうとしていた。




