第4話 視える、という孤独
人混みは、苦手だ。
市の雑踏を歩くたび、俺の視界は、数字で埋め尽くされる。
好感。殺意。嘘。すれ違う一人ひとりの頭上に、それが浮かんで消えない。値切りの嘘、隣人への小さな嫉妬、すれ違いざまの値踏み。善人面の下の打算も、笑顔の下の苛立ちも、全部数字になって視える。
目を閉じても消えない。眠っても夢の中まで追ってくることがある。
この『数値視』には、休符がない。
子供の頃は、これを呪いだと思っていた。
母が俺に向ける『好感』が、ある日を境に下がっていく。それを数字で見続けるのは、なかなかの地獄だった。父の臨終の床で、看取りに集まった重臣たちの頭上が揃って低い数字を掲げているのを見たときには、いっそ笑えてきた。誰一人、本心から父を悼んでなどいなかった。
以来、俺は、誰の言葉も、額面どおりには受け取れない。
「あなた、時々ひどく遠い目をするのね」
隣で、シャルロッテが言った。
いつの間にか、市の喧騒を抜けて、丘の上に出ていた。眼下に、貧しいながらも穏やかな辺境の集落が広がっている。
「人が多いと、疲れる質でね」
「領主が?」
「ああ。困ったものだ」
半分は本当だ。残り半分は、言わない。
彼女の頭上は、いつの間にか九十二。硬い殺意。だが、その目は俺の横顔を探るように見ていた。
――この目は、万能じゃない。
俺は、人の『好感』の高さは視える。だが、その好感が「敬意」なのか「依存」なのか「ただの利害」なのかまでは視えない。
『殺意』の数字は視える。だが、それが心からの憎しみなのか、それとも――何かに強いられたものなのかは、区別できない。
そして、いちばん肝心なものが、視えない。
たとえば「この人を失うのが怖い」という気持ち。あれは好感の数字には乗らない。
数字は人の輪郭をなぞるだけ。中身までは教えてくれない。
「変な領主」
シャルロッテが、丘の風に銀の髪を遊ばせながら、呟いた。
「全部見透かしているような顔をして、なのに、ひどく寂しそう」
俺は、思わず彼女を見た。
全部見透かしている――それは当たっている。だが「寂しそう」というのは、数字には出ない感想だ。彼女は数値視も何も持っていないのに、それを言い当てた。
……妙な気分だった。
「君に言われたくないな」
「あら、わたしは寂しくなんて」
「嘘ゲージ、満杯だ」
言ってから、しまった、と思った。うっかり、能力のヒントを漏らしてしまった。
だが、シャルロッテは怒りも、警戒もしなかった。ただ、ふいに口をつぐんで、眼下の集落を、長いこと見つめていた。
丘を下りる道すがら、市の外れの屋台屋台から、甘い匂いが漂ってきた。
粉砂糖をまぶして揚げた、辺境の素朴な菓子だ。王都の貴族なら見向きもしない平民の食い物。
シャルロッテの足が、ほんの一瞬、止まった。
頭上の殺意は、九十二。何も変わらない。だが、その視線が屋台の菓子に釘付けになっていた。ほんの一瞬だけ吸い寄せられていた。
彼女はすぐに視線を逸らし、何事もなかったように歩き出そうとした。
「二つ、くれ」
俺は、屋台の女将に、銅貨を渡した。
一つをシャルロッテに差し出す。
「……要らないわ。こんな、平民の食べ物」
「そうか。じゃあ、俺が二つ食う」
俺が一つ目を齧ると、彼女の眉がわずかに寄った。指が所在なげに裾を握る。
俺はもう一つを、彼女の前にもう一度差し出した。
今度は、彼女は何も言わなかった。ただ、そっとそれを受け取った。
一口、齧る。
その瞬間だった。
いつも完璧に伏せられている彼女の目が、ぱっと見開かれた。揚げたての熱と砂糖の甘さに、頬がふにゃりと緩む。氷の令嬢でも、訓練された暗殺者でもない、ただの、甘い物に目のない十八の娘の顔。
はっと我に返り、慌てて口元を手で隠した。だが、遅い。
「……っ、別に、普通よ。普通の、味」
頭上の嘘ゲージが、控えめに光っていた。
「もう一つ、買うか」
「い、要らないって、言ってるでしょう……っ」
そう言いながら、彼女は菓子を最後の一かけまで大事そうに食べ切った。
その横顔の、頭上に浮かぶ数字は――九十二。
変わらない。変わらないのに――俺はなぜだろう、その数字から目を離せなかった。
硬い、九十二の殺意の下で。さっきの、緩んだ頬だけが、やけに鮮明に焼きついている。




