表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/31

第3話 泣く子に触れた手


 レーンフェルトの領地は、貧しい。


 馬車を使うほどでもない。俺はシャルロッテを連れて、砦の門から続く石畳を、ただ歩いた。

 道の両脇には、傾いた屋根の家が並んでいる。畑は痩せ、井戸は古い。中央の貴族が見れば鼻で笑うだろう。事実、彼らはそうしてきた。辺境伯――聞こえはいいが、要するに、誰も欲しがらない最果てを押し付けられた家門だ。

 隣を歩くシャルロッテの横顔を、そっと窺う。

 彼女の頭上の『殺意』は、九十三。昨日とほとんど変わらない。だが、その目は初めて見る世界を静かに観察していた。


「辺境伯さま!」


 声を上げたのは、青空市の野菜売りの女房だった。彼女の頭上の『好感度』が、ぱっと跳ね上がる。八十、九十――辺境の民は、俺を見ると皆こうなる。

「今朝採れた菜っ葉、持ってってくだせえ。奥方様にも」

「ありがとう。だが、商売物だろう」

「いいんですよ。去年の冬、旦那様が備蓄を分けてくだすって、うちの子は越せたんだ」

 女房は籠から一束を押し付けてくる。断れば角が立つ。俺は素直に受け取った。

 市を進むほどに、同じことが繰り返される。鍛冶屋、パン屋、年寄り、子供。皆、頭の上に高い数字を掲げて、俺に何かを差し出そうとする。


 シャルロッテが、ぽつりと言った。


「……みんな、あなたを恐れていないのね」


「恐れる理由がない」


「領主でしょう。生殺与奪を握っている。なのに」


 彼女の声には、本気の困惑があった。

 そうだろうな、と思う。彼女が育った場所では、人は数字で動く。恐怖と、利用価値で。差し出されるのは媚びと嘘ばかりだったはずだ。

 ヴァイス公爵家。シャルロッテを「白百合(しろゆり)」という刃に鍛え上げた家。


「この領、何の価値が?」


 シャルロッテが、痩せた畑を見渡して言った。


魔石(ません)も出ない。豊かでもない。中央が、こんな場所を欲しがる理由がわからない」

 ――鋭い。

 核心に、半分だけ触れている。中央が辺境を欲しがる本当の理由は、この貧しさの下に埋まっている。だが、それを今教えてやるわけにはいかない。


「人がいる。それで十分だろう」


 俺は、はぐらかした。


 そのとき、路地の奥で小さな影が転んだ。

 パン屋の幼い娘だ。膝を擦りむいて、べそをかいている。

 俺が足を向けるより、先だった。

 シャルロッテがすっと身を屈め、その子の前にしゃがみ込んでいた。


「……泣くと、傷が膿むわ」


 冷たい声。だが、その手は驚くほど優しく、娘の膝の砂を払っていた。

 ほんの数秒。彼女はすぐに立ち上がり、何事もなかったように歩き出す。頭上の『殺意』は、九十三のまま。

 けれど――その奥の、いつもなら読める「傾向」の影が、一瞬だけ揺らいだ気がした。


「公爵家の令嬢は、領民の子の手当てまでするのか」


 俺が言うと、シャルロッテは前を向いたまま、けろりと答えた。


「傷口に、泥。化膿すれば、足を失うこともある。――それだけのこと。手順を、知っていただけよ」


 まるで毒の処方でも諳んじるような、淡々とした声。だが、その指先は、まだ子供の膝に触れた形のまま、宙で所在なげに開いたり閉じたりしていた。

 嘘ゲージは光らない。彼女は嘘をついていない。ただ――娘の前にしゃがんだ、あの一拍の早さだけは、手順では説明がつかなかった。

 ああ。その一拍の早さは――誰のためだったんだろうな。

 俺はまだ、それを読めない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ