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第30話 王都と枢機卿

 決戦から九日目、俺たちは王都ヴェルニカに着いた。


 王都に入るのは、これが初めてだった。二十年あまり生きて、二十年あまり「廃物伯爵」と呼ばれ、辺境の城から出たことさえ数えるほどしかない俺が、初めて神聖ガルディアの王都の前に立っている。噂に聞いていたよりも大きく、そして、噂よりずっと冷たい街だった。


 街は白かった。どこまでも白い石で築かれた高壁は、見上げなければ頂が見えない。大通りは真っ直ぐで、四頭立ての馬車が並んでもまだ余るほど広く、敷石の隙間に雑草の一本すら生えることを許していない。そして何より多いのは、尖塔だった。


 教会の尖塔が、あちらにもこちらにも立っている。白石の塔身が、灰色に沈んだ低い空へ突き刺さり、尖った頂は針のように細い。遠目には、この街のいたるところへ、誰かが立てた剣をびっしり挿していったように見えた。


 空気まで、辺境とは違う。


 辺境の風には、草と土と家畜と炊煙の匂いがある。ここで鼻に入ってくるのは、清潔すぎて冷えた空気と、教会の奥で嗅ぐような香料と冷たい石の匂いだった。吸い込むと、わけもなく懺悔室と、膝をつく姿勢を思い出させる。


 偶然ではない。これは、そう造ってあるのだ。


 畏れよ、と。


 その一語を、石の一つひとつにまで彫り込んだ街だった。


 辺境の紋章を掛け、道中の埃をまとい、車内にまだ半車ぶんの蕪の匂いを残した俺たちの古ぼけた馬車が、高い城門をくぐった瞬間、敵意が真正面から吹きつけてきた。


 剣の敵意ではない。剣なら、まだ近づかねば届かない。


 数字の敵意だ。


 街路の脇には、華やかな貴族の車駕が何台も停まっていた。彫刻を施した車体、金で縁取られた車輪。窓の帳が細く上がり、その隙間の奥から、いくつもの目がこちらの貧相な車を見下ろしている。彼らの頭上に浮かぶ数字は、『好感 5』『好感 3』と、哀れなほど出し惜しみされていた。中には負に沈むものさえあった。隠す気もない侮蔑だ。


 その横には、ぽつぽつと色とりどりの『嘘』が混じっている。互いに扇の陰で囁いている言葉の大半も、どうせ真実ではないのだろう。


「辺境の廃物伯爵が、暗殺者の女を拾って婚約者にした」


 この奇談は、俺たちが到着する前から、菓子と噂話の添え物にされて、王都のあらゆる茶会を巡っていたに違いない。本人が入城したとなれば、帳をめくって見物したくなるのも当然というわけだ。


 俺は、それらの数字には大して何も感じなかった。二十年あまり、頭の先から足の先まで見下されて生きてきた。皮はとうに、王都の城壁より厚くなっている。負の数字が一つ二つ増えようが減ろうが、耳元を風が抜けるのと変わらない。


 入城した瞬間から、俺が本当に気にしていたのは、隣にいる一人だけだった。


 シャルロッテは向かいの席に座り、窓の外に林立する剣のような尖塔を見ていた。頭上の表示殺意は四十五で止まっている。高い数字ではない。だが、それは彼女が必死に押さえ込んでいる結果だった。


 城門をくぐってから、彼女の指は膝の上の旅装を握ったまま一度も緩んでいない。白い指節が、布の上に浮いていた。


 この街で、彼女は俺よりずっと居心地が悪く、ずっと危うい。


 俺にとってここは、冷たい目の多い見知らぬ場所にすぎない。だが彼女にとっては、教会の本拠であり、彼女を審く者たちの祭壇であり、あのうなじに嵌め込まれた服従の聖痕(スティグマ)――聖印盤を介して遠隔で彼女を操れるあの刻印(こくいん)の主が、もっとも得意とする地盤でもある。


 荒野で彼女の首筋に触れてきた見えない手は、この尖塔のどれかに潜んでいる。


 彼女は、その手のひらの中へ歩いてきたのだ。


 馬車は冷たく威厳だけはある大通りをいくつも抜け、やがて聖塔の足元で止まった。


 そこにあったのは、純白の、高く雲へ届くような大聖堂だった。階段は馬を走らせられるほど広く、その上に一人の男が立っている。


 教会の枢機卿の、深い緋紫の長衣。曇天の下でも自ら光を発しそうな上等の布地に、胸元では天秤をくわえた鷲が金糸で細密に縫い取られている。年の頃は五十ほど。痩せた体に、骨ばった清癯な顔。頬骨が少し高く、髪も髭も一筋たりとも乱れぬよう整えられていた。


 そして、その顔に浮かぶ表情は――なんと言えばいいのか。


 完璧に近い慈悲だった。


 完璧すぎて、生きた人間の顔に自然と生まれたものには見えない。鏡の前で千度万度練習し、皺の一本まで「慈悲深く」見えるよう彫り込んだ完成品。ひと目見れば膝が先に弱り、何か懺悔しなければならない気にさせる顔だ。


 だが、あいにく俺のこの目は、顔には跪かない。


 数字だけを読む。


 男は階段をゆっくり下りてきた。両手を重ね、微笑み、春の水のように温い声で言う。


「遠路、大儀であった。レーンフェルト辺境伯、そして……白百合の刻印を宿す娘よ」


 「娘」と言ったとき、その視線はシャルロッテへ落ちた。失われていた宝をようやく見つけた者のように、あまりにも柔らかく。


 俺は目を上げ、読んだ。


 そして、危うく笑いそうになった。


 その慈悲深い顔の上に浮かぶ数字は、俺が王都に入ってから見た中で――いや、二十年あまり生きてきて見た中で、もっとも賑やかで、もっとも目に痛いものだった。


『嘘 99』


 嘘が、満杯だった。きっちり九十九。あと一つ注げば溢れる。


 この男が俺たちにかけた言葉は、最初の「遠路、大儀」から、顔に刻まれた慈悲の皺に至るまで、一字一句、一寸たりとも本物ではない。男の全身は、内側から外側まで、嘘で積み上げた塔だった。この王都の尖塔と同じくらい高く、同じくらい冷たい。


 嘘をつく人間は、いくらでも見てきた。だが嘘の値が満杯のまま、ここまで雲ひとつない顔で笑える者は初めてだ。これはもう嘘をつくというより、嘘を修行として極めた類だろう。


『好感 0』


 俺たち二人に対して、零。


 俺はその零を、ほんの一瞬見つめた。負ではない。負ならまだいい。憎む、防ぐ、忌む。どれも相手を「気にしている」から生まれる。だがこれは、きれいで、徹底した、感情を一片も含まない零だった。


 セラフの目に、俺たちは審かれるべき二人の人間ではない。


 物だ。棚に置かれ、処理の順番を待つ品だ。


 零とは、品物を見る目の数字だった。


 そして、その満杯の嘘と、感情を失った零のあいだに、俺がこれまで一度も人の頭上で見たことのない、熱を帯びた数字が浮かんでいた。


 シャルロッテへ向かう、灼けるような占有欲。


 殺意ではない。好感でもない。「あれは本来、自分のものだ」という思いを骨に刻み込んだような、貪欲な所有の感情だ。


 それは人を見る目ではなかった。珍宝を見る目、失われた収蔵品が戻ってきたのを確かめる目だった。占有欲の矛先は俺を素通りし、「異端」という名目も越え、まっすぐ貪るようにシャルロッテのうなじの刻印へ刺さっている。


 その瞬間、俺は理解した。


 満杯の嘘。零の好感。そしてこの、灼けつく占有欲。


 三つの数字を並べれば、答えは眩しいほど明白だった。


 このセラフ枢機卿は、慈悲深い眉を作り、神の秩序だ、神授の格序だ、異端の罪だと口にし、「審判」の二文字を厳かに響かせている。だが最初から最後まで、こいつが本当に欲しいものは、俺たちの審判ではない。審判は舞台の上の演目にすぎない。


 欲しいのは、シャルロッテのうなじにあるあの刻印だ。


 審判の手を借りて、それを、刻印に縛られた人間ごと、辺境から剥ぎ取るつもりなのだ。


「猊下」


 俺は馬車を降り、軽く首を垂れた。敬意にも無礼にも寄りすぎない、ちょうどよい礼だ。表情はしっかり殺しておく。たった今、俺が読んだものを、目の奥から半分も漏らしてはならない。


 天秤眼(てんびんがん)の秘密は、辺境では切り札だった。だが教会の目がそこらじゅうにあり、空気にまで計算が混じるこの街では、俺の首に掛かった二本目の刃になる。一本目は、異端の罪名だ。


 もしこの嘘で腹を満たした枢機卿に、俺の数値視(すうちし)という加護(かご)が、あの満杯の嘘を見抜いていると知られたら、審判を三日後まで待つ必要などなくなる。こいつはその場で一万の理由を並べ、俺の魔眼(まがん)を最大の異端として釘づけるだろう。


 だから俺は装うしかない。


 何も見抜けず、慈悲深い顔に気圧されている、王都慣れしない田舎伯爵を。


「伝喚状は受け取りました」俺は平らに言った。「辺境は命に背きません」


「善哉」


 セラフは微笑み、頷いた。満杯の『嘘』はぴくりとも動かない。


「辺境伯は大義をよく弁えておられる。神も、覚えておいででしょう」


 その視線が、またシャルロッテへ落ちた。熱い占有欲が、一つ跳ねる。


「その刻印」


 彼は枯れた、しかしよく手入れされた指を上げ、遠くからシャルロッテのうなじを示した。声はあくまで穏やかだ。穏やかすぎて、背筋が冷える。


「『白百合の刻印』。その来歴を、知っているかね、娘よ」


 シャルロッテは答えなかった。ただ目を上げ、宝物を検分するようなセラフの視線を、凍った井戸水のような目で受け返した。頭上の数字が、数段跳ねる。


『殺意 45→50』


 今度は止めなかった。彼女の本能的な警戒は、俺より早く、正確だ。暗殺者の危険を嗅ぎ取る力は、俺のこの目に映る数字のすべてより速いことがある。満杯の嘘も、灼ける占有欲も彼女には見えない。それでも肌に走る寒気だけで、セラフを公爵より陰湿な狩人だと見抜いている。


 彼女は膝脇を押さえた。無意識に、自分の刃の位置を確かめたのだ。教会の聖塔の足元であっても、武器があるかを確かめずにはいられない。


「それは本来、教会の聖具であった」


 セラフは一字ずつ、ゆるやかに言った。


「神授のもの。民間へ流れ、あの公爵のような俗人に犬の鎖として用いられたこと自体、すでに冒涜である」


 手を引き、俺へ向き直る。その笑みは、ますます慈悲深いものになった。


「白百合の刻印は、本来、教会の聖具。辺境の田舎者が持つべきものではない」


 階段の上を吹く風が、緋紫の裾を揺らした。


 俺は、彼の頭上の占有欲が、また一つ跳ねるのを見ていた。


 なるほど。


 この異端審判は、最初から俺たちを罪に定めるためのものではない。罪名は幌子。審判は手段。こいつの本当の狙いは「異端」の名を使い、堂々と、シャルロッテのうなじの刻印を――刻印に縛られた彼女ごと――辺境から剥がし、教会のものにすることだ。


 こいつが欲しいのは命ではない。


 人だ。


「猊下のお言葉、もっともです」


 俺は顔色一つ動かさず、隙なく応じた。そのまま何気ないふうを装って、シャルロッテの側へ一歩踏み出す。ごく軽い、ただ立ち位置を変えただけに見える動き。だがその一歩は、セラフの貪欲な視線と、シャルロッテのうなじとのあいだに、ちょうど割って入っていた。


「ただ」


 俺はそこで言葉を切り、目を上げた。


「聖具であれ、犬鎖であれ、神授のものであれ、俗人の器であれ――今それは、俺の婚約者の身にあります。彼女の体の一部です。取りたいというなら」


 その二語だけ、ゆっくり噛んだ。


「まずは彼女に、承諾するかどうかを問うべきでしょう」


 言葉だけなら従順だ。だが骨の中には、「彼女に手を出すなら、まず俺を通れ」と包んで渡した。


 セラフの笑みが、半息にも満たないあいだ、固まった。


 あまりに短く、ほかの者なら気づきもしない。だが俺の目には、その頭上の熱い占有欲が、かすかに波打つのが見えた。逆鱗に触れられたように。


 満杯の嘘の下に、初めて本物が一筋のぞいた。


 苛立ち。


 次の瞬間、彼はまた笑っていた。温い春水のように。さっきの不快など、最初から存在しなかったように。


「審判は、三日後に開く」


 彼は身を翻し、階段を上っていった。緋紫の背が、聖塔の大きな影へ沈んでいく。


「そのとき――この刻印が誰に属するか、神が我らに、明らかに量ってくださるだろう」


 足音が、空虚な石段に響く。一つ、一つ。見えない太鼓を叩く音のようだった。


 シャルロッテは俺の背後で、自分のうなじに手をやった。指先が、刻印の位置を押さえる。頭上の数字はゆっくり四十五へ戻っていった。だがその下の本心が、初めて、一つ沈む。


 二十九。


 彼女は、怖がっていた。


 審判を怖れているのではない。人ひとりを、ここまで平然と、慈悲深げに、値のつく聖具として語る人間を怖れているのだ。


「彼が欲しいのは、これね」


 彼女は低く言った。指先はまだ首筋にある。


「命じゃない」


「わかっている」


 俺はセラフの消えた先、白すぎる尖塔を見上げた。


 一人の枢機卿が、一つの刻印に、ここまで執着する理由は何だ。


 民間へ流れた「聖具」一つのために、教会全体を動かし、異端の大罪をこしらえ、辺境を王都まで引きずり出す価値があるというのか。


 この刻印の下には、いったい何が隠れている。


 嘘を九十九まで積み上げた男が、慈悲の仮面を保てなくなりかけるほどのものが。


 その問いは、三日後の審判庭で、俺自身の手でこじ開けなければならない。


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