閑話 黒子の過去
「アンディ!?」
服が焼け素顔がさらされたことによって、パルマに正体がバレた。
けど、驚くことはない。
彼女が五歳になる前から顔を合わせているのだから、わかって当然だ。
だが、黒子は王族でもなければ、貴族でもない。
スラムで生まれ育った汚い餓鬼だ。
母親は病弱で、身体を売ることしかできない売女。
優しい性格をしていたが、不気味なほど色白で鶏がらのようにやせ細った女を好んで抱く酔狂は少なく、客の大半が異常な性的思考の持ち主であった。
そんな変態の相手をしていたせいで、母は黒子が三歳のころに死んだ。
悲しい反面、いつも苦しそうに歪んでいた母の死に顔は穏やかで安らかなモノであり、幼心に喜んだ記憶もある。
けど、そこからの人生は悲惨だった。
残飯を漁り泥水をすする毎日は、まさに生き地獄だ。
いつ死んでもおかしくなかったが、それは唐突に終わりを告げた。
「今日から君は、アンディ・イッタリーネと名乗りなさい」
本名はアンディ・ウィスだが、姓を捨てることにためらいはなかった。
提案したのが、しゃがみ込んで目線の高さを合わせてくれる優しい笑顔の神父、だからではない。
彼の後ろに用意された暖かいスープ、やわらかなパン、色とりどりのサラダ。
宝石のように輝くそれが、食べ放題だったからだ。
腹一杯になることはおろか、いつも飢え死ぬ一歩手前の人生だった。
食う物にも着る物にも困らず、夏の暑さも冬の寒さも気にしない毎日が手に入るなら、ウィス姓を捨てるぐらいなんでもない。
けど、人生は甘くなかった。
(いや、甘いどころか、苦みしかなかったな)
教会に引き取られてからは奉仕という名目で、誰もやりたがらないドブ掃除や、危険が伴う高所作業が課せられた。
時には命がけの掘削作業をやらされることもある。
最初こそ衣食住を賄ってもらえることに感謝したが、数か月で気づくのだ。
搾取されていることに。
上前を撥ねているのが国なのか貴族なのかは知らないが、なにより許せなかったのは、イッタリーネ姓だった。
「イッタリーネか。あまりにゴネるなら、殺してしまえ」
イッタリーネ姓は符号であり、いついなくなっても誰も探さない者に付けられる管理証だった。
貴族がそう漏らしているのを聞いたとき、黒子の中に殺意が生まれた。
そして、アンナ・イッタリーネの名を捨て、イッタリーネを滅ぼす決意を固めた。
そこからは地位と信用を手に入れるため、さらなる汚れ仕事をこなし続けた。
「やめてくれ。子供が生まれたばかりなんだ」
「安心しろ。お前の妻は我が主が抱いてくださるし、餓鬼は組織の配下として立派に育ててやる」
絶望に顔を歪め、命乞いをする貴族を殺すのも平気だった。
(王族、貴族は全員殺す)
それは決定事項であり、時期が早いか遅いかの違いしかない。
無慈悲な黒子の仕事は評判となり、数年後には裏組織のトップである神父の座に就いていた。
「あなたが新しい神父様?」
「アンディ・イッタリーネと申します」
就任の儀で出会ったパルマは、快活で瞳を輝かせた子供だった。
実に可愛らしい……と同時に、今すぐ殺してやりたかった。
(お前らが治める国は腐りきっているのに、穢れの知らない顔をしやがって!)
胸に込み上げる激情をぶつけてやりたいが、そのタイミングは今じゃない。
(殺してやる! すべての絶望を、その身に味わせてやる!)
長い年月をかけ、計画を進めていった。
持病を抱えていた王様の薬を処方より強いモノにすり替え、少しずつ少しず体調が悪くなるように調整しながら、いずれパルマが身を隠す予定のイスペン村の領主を殺し、知識も経験も乏しいラウルを領主に据えた。
実質的な裁量を握るセーバス執事長を誘拐し、影武者を送り込むことにも成功した。
順調に事が進み、いざ計画を実行する日。
「パルマ様。どうかお気をつけて。旅の安全を心から願っております」
「ありがとう。アンディ」
身を隠す場所までの馬車と護衛を雇ったのは黒子で、その途中襲う野盗を手配したのも黒子だ。
殺すならこの場で殺ってしまえばいい、と思うかもしれないが、それでは溜飲が下がらない。
実の娘が行方不明になり、奴隷に堕ちたと知ったとき、王、王妃や兄、姉、妹はどんな絶望の表情を浮かべるだろう。
(ははは)
想像しただけで心が躍った。
ドワルムントの馬鹿貴族であるウィナー親子の野心も知っていたので、利用させてもらうことにした。
「ウィナー様。この日開催される奴隷オークションに、イッタリーネの王女が出品されるそうです」
「なに!? それは真か? ルパン」
「はい。間違いありません」
「よし。すぐに用意しろ!」
執事に扮した黒子を怪しむこともなく、ゴクフットが腕を回し始めた。
馬鹿は自ら出張るつもりらしい。
「ご主人様。場所が場所ですので、ご子息に動いてもらうのが賢明かと存じます」
何十年と仕えてきた執事の変化に気づけない馬鹿は、「確かにそうだな」などとうそぶき、すべてをこちらに放り投げた。
(さあ、地獄の始まりだ)
ゴクフットの息子であるフットイは、相手を痛めつけることに性的興奮を覚える屑だ。
これまで競り落とした奴隷に対しても、必ずそれを行ってきた。
男女は関係ない。
だから、パルマも傷モノになる。
それを考えただけで、心臓が破けるほど高鳴った。
「一〇〇〇万!」
突如現れたアンナに、最高のショーは邪魔された。
(誰だ? あいつ)
ドワルムントに住む富豪の顔と名前はすべて憶えている……が、誰とも一致しない。
「ムキ~ッ!」
フットイが癇癪を起すのも当然だ。
確実に競り落とせる今日を狙って、出品したのだ。
にもかかわらず、失敗した。
その後の対応もウィナー親子が先走り、上手くいかなかった。
修正、修正を繰り返しているうちに、ほぼすべての計画が水泡に帰した。
フットイとそこに紐づく腐敗貴族も一掃され、強靭化したドワルムントだけがウハウハだ。
(ふざけるな!)
イライラが募る。
この結果を招いたアンナが許せない。
ただ殺すだけでなく、己の無力さを十二分に認識させたうえで八つ裂きにする。
そのうえでグチャグチャのひき肉にでもしなければ、黒子の心は晴れない。
(くそ!)
自らを焼き尽くすような業火に包まれたせいか、嫌なことを思いだしてしまった。
が、それもこれから起こる殺戮ショーの前菜と思えば悪くない。
「獄炎鎧の完成だ」
すべてを焼き尽くす準備は整った。




