第525話 会議は踊る
舞台は再び、UNH国連宇宙軍総合病院へ。
教習所の生徒たちから採取した検体に、不可解な検査結果が見つかりました。
病院に戻ってきた牧村陽子を交え、三人の医師による会議が始まります。
……果たして、その結果は?
「それでは、始めましょうか」
牧村陽子が端末を操作すると、診察室のモニターに検査資料が表示された。
ここはUNH国連宇宙軍総合病院、素粒子内科の診察室。外来の診察時間はすでに終わっている。
室内にいるのは、チーフドクターの牧村陽子、指導医の長谷川潤子、そして研修医の三田大輔の三人だけだ。
陽子は国連宇宙軍日本支部での業務報告を終え、先ほど病院へ戻ってきたばかりだった。
議題は、都営第6ロボット教習所の生徒たちから採取した検体の検査結果である。陽子は事前に概要の報告を受けていたが、資料を三人で突き合わせるのはこれが初めてだった。
「長谷川先生。まずは、気になっている部分からお願いします」
「はい」
潤子はすっと身を乗り出した。
童顔で小柄なため、初対面の患者には医師だと信じてもらえないこともある彼女だが、検査結果を見つめる目つきは、さすがに指導医のそれだ。
「遠野ひかりとマリエ・フランデレン。特にこの二人です」
「ええ、そうですね。ただ、今日のところは結論を急がず、どこまで確認できているかを整理したいと思います」
「異論はありません」
そう言うと潤子は真剣そのものの顔で、画面の一角を凝視した。
「……うーむ」
「どうしました、先生?」
大輔も横から覗き込む。
「これは……チュロスに似てるな」
「はい?」
「ほら。この形。二本のチュロスを交差させたみたいじゃないか」
「Xでしょ! 染色体の模式図です!」
「分かっている。形の話をしているんだ」
「真剣な顔で何言ってるんですか!?」
「シナモンシュガーがかかっていれば、なおいい」
「かけないでください! 検査資料が、いやモニターがベトベトになりますよ!」
潤子は大輔の突っ込みを聞き流すと、今度は隣の図に目を移した。
「こっちは……カニ爪か?」
「それはYです!」
「カニは美味いよなあ。冬のカニは特に」
「Y染色体を見てカニの話する人、初めて見ましたよ!」
「青年。お前はカニが嫌いなのか?」
「大好きですけど、そういう話じゃないです!」
陽子は資料に目を落としたまま、静かに尋ねた。
「長谷川先生、お腹空いているんですか?」
「少々」
「じゃあ、必要な確認を済ませて、早めに終わらせましょう」
優しい笑顔だ。
「ありがとうございます!」
「その前に、まず仕事ですよ」
「もちろんです」
潤子の背筋がぴんと伸びた。
「それで牧村先生。このデータを見た人間は、現在何人ですか?」
声が変わった。
「検査部の担当者と、確認に必要な関係者に限っています。閲覧履歴も確認済みです」
「外部への報告は?」
「詳細な評価が終わるまでは保留しています」
「的確な判断です。今の段階で『分かったこと』と『まだ分からないこと』をごちゃ混ぜにされては困りますから」
「同感です」
大輔は二人の顔を見比べた。
先ほどまでチュロスとカニの話をしていた人とは思えない。だが、検査結果を最初に見たとき、上の判断があるまで口外すべきではないと言い切ったのも、この指導医だった。
やっぱりすごい人なんだよなあ。
感心した、そのとき。
「ところで青年。カニなら焼きガニと鍋、どっちがいい?」
「今、情報管理の話をしてましたよね!?」
「していたとも。だが、カニの調理法も大事な情報だ」
「カニ刺とか蒸しガニもありますって!」
「おお! それも私のデータベースに書き込んでおこう」
「レシピ本じゃないんですって!」
陽子が次の資料を開く。
「今回の件は、三人で役割を分担しながら進めましょう。三田先生にもお願いすることが増えると思います」
「はい。頑張ります! 何でもおっしゃってください!」
「なるほど。まさにチームワークだな」
潤子が大きく、うんうんとうなずいた。
「だったら、まずは互いをよく知る必要がある」
「今度は何ですか?」
「青年。牧村先生の好きな食べ物を知っているか?」
「いや、知りませんけど……」
「それではチームワークが築けんぞ」
「築けますよ! 医療チームなんですから!」
「仕事だけが人間関係ではない。食の好みを知っておけば、みんなで食事する時にも役立つだろう?」
「結局、食事の相談じゃないですか! で、長谷川先生はご存知なんですか!?」
潤子がスッと陽子に向き直る。
「牧村先生。何がお好きですか?」
「知らないんじゃーん!」
ニッコリと微笑む陽子。
「特に好き嫌いはありません」
「素晴らしい! ではカニだな」
「どうしてカニに決まるんですか!」
「それなら次の質問だ。好きな男性のタイプは?」
「食べ物から飛びすぎでしょう!」
潤子は大真面目な顔をしている。
「人となりを知るのも大切だろう?」
陽子は画面から目を離さず、さらりと答えた。
「人の話をちゃんと聞ける人かしら」
「…………」
「…………」
潤子と大輔が顔を見合わせる。
「私ら二人とも、対象外だな」
「俺まで巻き込まないでください!」
その後は陽子が手際よく話を進め、必要な確認事項と明日以降の担当を決めた。検査結果の詳しい分析は、改めて時間を取って行うことにする。
「では、今日はここまでにしましょう」
陽子が保存操作を済ませると、潤子が立ち上がった。
「よし。ではカニだな!」
「まだカニを諦めてなかったんですか!?」
「青年。食べたいものを簡単に諦めるようでは、人生負け組だぞ」
「なんて大げさな……」
「牧村先生もご一緒にどうです?」
「そうですね。長谷川先生のおごりなら」
「ははは、またまたご冗談を」
潤子は笑いながら白衣のポケットを探った。
「……あれ?」
「どうしました?」
「財布がない」
「またですか?」
「またとは何だ、青年!」
左右のポケット、胸ポケット。探しても出てこない。
そのとき、診察室のドアが軽くノックされた。
陽子が資料の表示を閉じ、画面が通常の待機表示に戻ったのを確かめてから声をかける。
「どうぞ」
「失礼しまーす」
顔を出したのは、看護師の相原恵美だった。
「長谷川先生、これ、お忘れじゃありませんか?」
恵美の手には小さな財布があった。
「それだ! どこにあった?」
「三田先生のデスクです。お菓子の袋の下に」
「また俺の机ですか!」
「便利なんだよ、あそこは」
「俺のデスクですよ!」
恵美は呆れた顔をした。
「そうですよ、三田先生。さっき拭いたばかりなのに、また机が汚れてましたよ。もう少しきれいに使ってくださいね」
「だから、それは俺じゃなくて長谷川先生が!」
「またそんなことを言って」
「本当なんだって!」
そのとき、陽子が口を開いた。
「相原さん。食べ物の汚れなら、長谷川先生のものですよ。私、長谷川先生が三田先生のデスクで食事をしているところを見ましたから」
「ええっ!?」
「ほら! 聞いた!? 相原くん!」
大輔は思わず両手を広げた。
「ずっと俺じゃないって言ってたんですよ!」
「すみません、三田先生。てっきり……」
「いやいや、分かってくれればいいんだ!」
ここぞとばかりに、大輔は続けた。
「じゃあ、あの茶色い汚れも長谷川先生が……!」
「念のため言っておくが、あれはカレーじゃないぞ」
「え? じゃあ何なんですか!?」
「…………」
「何で黙るんですか!」
「でも三田先生」
恵美が口を挟んだ。
「あの積み上がった雑誌は、三田先生のものですよね?」
「うっ」
「今日も崩れそうでした。ちゃんと片付けてくださいね」
「……はい」
せっかく取り戻した威勢が、一瞬で消えてしまった大輔である。
「ところで相原さん」
陽子が微笑む。
「この後みんなで食事に行くところなんです。よかったらご一緒しませんか?」
「えっ、いいんですか?」
「ええ。長谷川先生がごちそうしてくださるそうです」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「ちょ、ちょっと待て!」
潤子が慌てて割って入った。
「人数が増えているじゃないですか!」
「みんなで食べた方が楽しいですよ」
陽子は涼しい顔をしている。
大輔も悪い気はしなかった。恵美と仕事以外で食事をする機会など、めったにない。
「青年! お前からも何か言ってくれ!」
「え? 俺ですか?」
大輔は少し考え、それからニヤリと笑った。
「先生。チームワークが大事なんですよね?」
「……何?」
「それに、食べたいものを簡単に諦めちゃいけないんですよね。カニでしたっけ?」
「……青年」
「はい?」
「お前、思ったより記憶力いいな」
「思ったよりって何ですか!?」
長谷川潤子先生、医師としてはとても優秀なんです。
ただ、ちょっと自由奔放なだけで(笑)。
そんな潤子先生に振り回される三田先生と、動じない牧村先生。
この三人の関係も、なかなか楽しいものです。
さて、肝心の検査結果については、また改めて。
次回もよろしくお願いします!




