第五話 査問会議③
だが、この急激な変化に、誰よりも強い危機感を募らせている者たちがいた。
―第一王子派の門閥貴族たちだ。
彼らは当初、聖女が公開査問で弾劾され、社会的に失脚していく様をワイングラス片手にニヤニヤと眺めるつもりだった。
あわよくば、その聖女をかばう英雄の権威をも傷つけ、自分たちの政治的足場を固めようと目論んでいたのだ。
しかし、蓋を開けてみればどうだ。
頼みの綱であった教会の中枢は完全に解体され、目障りなはずの大聖女が新体制のトップとして民衆の絶大な支持を一身に集めている。
しかも、そのすべての筋書きを裏で描き、教会という巨大な宗教勢力を手玉にとって手に入れたのは、ほかならぬ最大の政治的障壁、第一王子派が最も恐れていた目の上のたんこぶ、ヴィクトリアその人だった。
ヴィクトリアが本当の障壁となる場合には、教会が『破門』をチラつかせ、言う事をきかせる算段までしていたのに。
大聖女がトップに立った今、破門の危機に瀕しているのは、むしろ自分達の方ではないのか?
凱旋式の日、聖女と剣聖を聞こえよがしにコキ下ろしたりすべきでは無かった……と。
自分たちの知らないところで王国の中枢と宗教勢力がヴィクトリアの手によって完全に刷新され、気づけば王女の権力が盤石なものへと変わりつつある。
先代の遺産にすがり、既得権益にしがみついていただけの第一王子派の貴族たちは、自分たちの足元が音を立てて崩れ去っていくのを目の当たりにし、その焦燥と恐怖は、ついにピークへと突き落とされていたのだった。
【第一王女 執務室】
「しかし、すごいな……君は」
静かな夜の執務室。アルスはデスクの上の書類の山を見渡しながら、感心したような、そしてどこか呆れたような声を漏らした。
椅子に座って書類に目を落としていたヴィクトリアは、手元の書類からふと顔を上げ、優雅に微笑む。
「救国の英雄だなんだと言われても、今の俺達四人にできることは、せいぜい魔物を倒すくらいで、国の仕組みを変えるような実務じゃ大したことはできない。
改めて、ずっと政治の中心に居続けてきた王族の凄みを感じるよ。
……まったく、敵わないな」
アルスの言葉には、偽らざる本心と深い感嘆が込められていた。
先日の査問会議をきっかけに、長年の懸案事項だった教会の腐敗を見事に一掃したヴィクトリアは、今やその勢いのまま、制度疲労を起こしている古臭い貴族社会の改革へとメスを入れようとしていた。
自分たちは武力をもって魔王を討ち果たし、世界を救った。
だが、剣を振るうだけでは、その後の人々の暮らしや社会を維持することはできない。
政治の持つ巨大な影響力を、アルスは今さらながらに痛感させられていた。
「君と結婚できて……本当に良かったよ」
アルスはふっと笑い、隣にいる妻へと視線を向ける。この国を立て直し、自分の足元をしっかりと支えてくれる彼女を選ぶことは、英雄として、この国を救うという責務を果たす上で、これ以上ない選択だった。
今では心からそう思える――思える、はずだった。
……いや。
そう思いたいだけなのだろうか。
ふと脳裏をよぎる、あの日の聖女の姿。
胸の奥底にトゲのように引っかかったままの、言語化できない想い。
この微かな疼きと消えない未練の棘は、これから先の長い年月の中で、いつか綺麗に抜ける日が来るのだろうか。
アルスはグラスに残った酒を飲み干し、押し寄せる複雑な感情を、ぐっと心の奥底へと押し隠すのだった。
「あら、いくら政治力があったところで……」
ふと、ヴィクトリアの手が止まる。彼女は柔らかく、しかし芯のある眼差しをアルスに向けて静かに首を横に振った。
「あなた方の武力が無ければ、いつかは魔王に世界を支配されていたかもしれません。
いくら政治力があったとて……圧倒的な武力の前では、その時の権力者の意向次第で、簡単に全てを奪われてしまうこともあるのです。
自衛できるだけの武力があってこその、政治力ですわ」
彼女は慈愛に満ちた、優しげな微笑みを浮かべる。
「それを肌で分かっているからこそ、民衆はこぞってあなた方を讃えるのですわ。
あなた方は今、何もしていないなんてことはない……。
あなた方がそこに居るだけで、敵対勢力への強力な抑止力として働き、この国の安全と平和の維持にしっかりと寄与されているのですわ」
それは単なるお世辞ではなく、国家の頂点に立つ者としての偽らざる真実であり、彼女なりの最大の賛辞だった。
「でも…そう言ってもらえて嬉しいですわ」
山積みの書類を鮮やかな手際で次々と片付けながら、ヴィクトリアは満足げにふわりと微笑んだ。
その瞳には、夫からの素直な賛辞に対する喜びと、確かな手応えが宿っている。
「あなたがそこまで頼ってくれるなら、がんばっている甲斐があるというもの。
…ねえ。今夜も、素敵なご褒美を期待してもよろしいかしら?」
ふと手を止めたヴィクトリアは、上目遣いに、しかし逃がさないと言わんばかりの熱い目線をアルスへと送る。
国政の改革を主導する才気煥発な姿とは裏腹に、夫の前で見せるその濃厚なまでの執着と甘え。
昼の公務でも夜の寝台でも、彼女はいつだって驚くほどに精力的であった。
「ハハ……毎日、すごい元気だね……?」
アルスは冷や汗をにじませ、少し気圧されたような引きつった笑みを浮かべる。
「あら……。支配階級に生まれ育ったわたくしに、そういう甘美な世界や、男にすべてを委ねて支配される悦びを教え込んだのは、いったいどなただったかしら?」
ヴィクトリアはふっと艶やかに微笑むと、意味ありげにトロリと唇を舌で舐め見せた。
「もうわたくし、あなた無しでは満足できない身体にされてしまいましたわ。
…これだけのことをしておいて…当然、責任はとっていただけるのでしょうね?♡」
圧倒的な熱量と迫力に気圧されながらも、アルスは観念したようにふっと肩の力を抜き、諦めたような、しかしどこか温かい笑みを返した。
時に政治の謀略に翻弄され、それぞれが胸の内に割り切れない想いや葛藤を抱えてはいるものの―なんだかんだで、この二人はこうして上手くやっていくのだろう。
政治力と武力。その両輪があってこそ、国の運営はうまく回る。まるで、その形をそのまま夫婦にしたように。
歪ながらも確かに結ばれた絆を乗せて、執務室の夜は更けていくのだった。




