第五話 査問会議②
王都の中心にそびえ立つ大聖堂の巨大な大広場。
その中央にしつらえられた特設の壇上には、世界中から集まった数千人の民衆が固唾を呑んで見守る中、聖女フィオナが立たされていた。
特等席である貴賓席には、ヴィクトリアが冷ややかな優越感を湛えた笑みを浮かべて座り、その傍らではアルスたちが複雑な表情でステージを見据えている。
そして、壇上の周囲を固めるのは、枢機卿をはじめとする教会の最高幹部たちだった。
彼らの顔には、「今度こそこの不遜な聖女を社会的に抹殺し、教会の権威を絶対のものにしてやる」という醜悪な確信が満ちていた。
「―聖女フィオナよ!」
最高位の枢機卿が、魔道具で声を何倍にも増幅させ、広場全体に響き渡る大音声で糾弾の口火を切った。
「貴様は長年、神の代弁者として崇められながら、その実、教会の教義を嘲笑し、神聖なる偶像を冒瀆した!
さらには、結婚して五年も経ちながら子宝に恵まれぬのは、貴様が女神様の信仰を失い、その寵愛を完全に失っている証左に他ならない!
まさに信仰の裏切り者、偽りの聖女である!」
その言葉は、あらかじめ仕組まれた悪意の劇薬だった。
民衆の間から「まさか……」「子供がいないのは神罰なのか……?」と、どよめきと動揺のざわめきが広がる。
剣聖の顔が青ざめる。彼は、自分達の間に子供ができないのは、自分の身体のせいではないのかと疑い始め、フィオナに相談していたから。
貴賓席で、ヴィクトリアはふっと冷ややかに鼻を鳴らし、聖女が絶望に染まる瞬間を心待ちにしていた。
だが――フィオナは、びくとも動じなかった。
彼女の脳裏にあったのは、この公開の査問で、夫である剣聖の心の傷を踏みにじられたことへの怒りだった。
彼女にとって自分の名誉などどうでもよかったが、愛する男の痛みを抉ったことだけは、絶対に許せなかった。
フィオナはため息をつくように小さく息を吐くと、ごく自然な、しかし底冷えのするような冷徹な瞳で、枢機卿たちを睥睨した。
「……まだそんな下劣な戯言を言っているのですか?」
魔道具なしでも、不思議と広場全体の空気を凍らせる澄んだ声が、人々の耳にまっすぐ届いた。
「教会では、古くは癒しの奇跡を行えるかどうか、その力の強さが聖職者の地位や評価の基準でしたね。
それは奇跡の大きさが、女神様への信仰の度合い、寵愛の度合いを直接示すものだったから……違いますか?」
枢機卿が「なッ……何を今更……!」と気色ばむ。しかしフィオナは容赦なく言葉を突き立てた。
「そこまで他人の信仰の有無や、女神様の寵愛について気に病まれるのでしたら…枢機卿の方々。
さぞや、その身に宿る素晴らしい癒しの奇跡で、この場にいらっしゃる民衆の病や怪我を瞬く間に治して見せられるのでしょうね?
さあ、ぜひみせていただきましょう。
本当に女神様の寵愛を受けているのなら、簡単なことでしょう?」
「ぐっ……! ぶ、無礼な!一介の聖女風情が神の代理人に何を……!」
「組織が巨大化するにつれて、変質していったのはあなた方でしょう」
フィオナの声が、裁判官の宣告のように広場を支配していく。
「『癒しの奇跡』の力など、とうの昔に枯れ果て…残ったのは私腹を肥やすための政治力と、権力闘争ばかり。
女神様の寵愛を受けるような、善良で無欲な聖職者たちを、寄付金の多い貴族の治療のみに良いようにこき使い!大金を集め!腐敗の温床を作り上げたのは、ほかならぬあなた方枢機卿たちではありませんか!」
「き、貴様……! 異端だ! 処刑しろ! 女神の敵だぁっ!」
図星を突かれた枢機卿たちが、醜態を晒しながら怒号を上げ、衛兵に排除を命じようと喚き散らす。
だが、時すでに遅かった。
フィオナの論理的かつ圧倒的な正論、そして何より彼らの焦りと醜い叫びを聞いた民衆の目は、すでに冷めきっていた。
「……噂は本当だったんだな」
「教会の幹部連中、奇跡なんて使えないのかよ……」
「今まで俺たちから巻き上げた寄付金はどこへ消えてたんだ……?」
広場を埋め尽くしていた民衆のどよめきは、やがて冷たい怒りのざわめきへと変わっていった。
信じていた教権の裏側と腐敗が、衆人環視の場で完全に暴かれたのだ。
教会は、その求心力を完全に失い崩壊しようとしていた。
壇上で、枢機卿たちは真っ青になり、冷や汗を滝のように流しながら震え出した。
「そ、そんな……馬鹿な……我々が、なぜこんなことに……!」
もはや打つ手がない。縋るような、泣きすがるような目で、枢機卿たちは貴賓席に座る第一王女へと視線を向けた。
―そうだ、我々には王室の後ろ盾が、あのヴィクトリア殿下が味方にいるはずだ! 王女殿下なら、この無礼な聖女を断罪して助けてくれるに違いない……!
「お、王女殿下っ……! お助けくだ……っ!」
すがるように叫んだ枢機卿に向かって、ヴィクトリアは、これ以上ないほど冷ややかな、氷のような微笑みを向けた。
彼女はゆっくりと立ち上がると、人々の注目が集まる中、気高く澄んだ声でこう告げたのである。
「―お騒がせですね、枢機卿方。
民衆を欺き、私腹を肥やし続けたあなた方のような寄生虫に、王室が加担するなどといつ錯覚したのです?」
――は?
枢機卿たちの脳が、一瞬でフリーズした。
「なっ……! 王女殿下、お約束では……! 我々と共に、あの聖女を
「約束など交わした覚えはありませんわ。
むしろ、感謝しているくらいよ。
あなた方のような腐敗した害悪が、自らの足で墓穴を掘り、こうして民衆の目の前で自滅してくれたのですからね」
ヴィクトリアは鮮やかな手際で、冷酷なまでの政治的罠の全貌を明かした。
彼女が公開査問を勧めたのは、教会を救うためなどでは一切ない。
むしろ、教会の中枢をこの大舞台におびき出し、二度と這い上がれないほどの致命傷を与えて完全解体するための、完璧な「断頭台」として仕組まれた謀略だったのだ。
「王女……貴様……ハメたな……っ! 最初から、我々を潰す気で……っ!」
「今さら気づいたのですか? 愚かですね」
ヴィクトリアは冷ややかな嘲笑を浮かべ、それからすっと表情を引き締めると、混乱と怒りに満ちた民衆の方へと向き直った。
彼女の瞳に宿るのは、冷酷な野心と、この国を我が手で刷新するという揺るぎない決意だった。
「善良なる国民よ!お聞きなさい!」
ヴィクトリアの凛とした声が、広場全体に響き渡る。
「長年、この国を蝕み、神聖なる信仰を踏みにじってきた腐敗した教会制度は、本日をもって終焉を迎えます!
王室は教会組織を解体し!真に民衆のための、そして本来の女神の教えに則った新しい信仰と救済の仕組みを、ただちに再構築することをここに誓います!」
その瞬間、広場を埋め尽くした民衆の間から、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
教会への不満と怒り。その熱は、新時代を切り開く王室への絶大な支持へと一気に変わっていく。
壇上の隅で、すべてを失った枢機卿たちは、自分たちが完璧なまでに手のひらの上で踊らされていたこと、そしてその巨大な悪意の罠に自ら飛び込んでいたことに遅すぎた絶望を抱き―そのまま白目を剥いて、ガクンと意識を失い、次々とその場に崩れ落ちていった。
静かに、そして完璧に仕組まれたヴィクトリアの宗教クーデターは、大聖堂の広場にて、鮮烈な幕引きを迎えたのだった。
公開査問会議の喧騒がようやく収まりを見せた大聖堂の隅で、騒動の中心にいたフィオナは、一件落着とばかりにホッと息をついていた。
彼女はまっすぐヴィクトリアのもとへと歩み寄り、パッと明るい笑みを浮かべて頭を下げた。
「王女様! ありがとうございました!」
しかし、その純粋な感謝を受け止めるヴィクトリアの表情は、どこまでも冷ややかだった。
彼女はすっと目を細め、冷淡なトーンで言い放つ。
「別に、あなたを救った訳ではありません。
腐敗した教会の再建は、我が国にとって目下の懸念事項でした。
それを首尾よく解決するのに都合が良かったと言うだけのこと。
感謝されるいわれなどありませんわ」
ツンとそっぽを向くヴィクトリアに、フィオナは「はあ……相変わらず、お厳しいですねぇ」と、どこか呑気な様子で肩をすくめる。
そこへ、どっと疲労の色を浮かべたアルスが、安堵の表情を浮かべて駆け寄ってきた。
「おい、フィー!大丈夫か? よかったな!」
アルスのその言葉を聞いた瞬間、ヴィクトリアの表情が一変した。
愛する夫が自分以外の女に向けた、その心からの安堵と優しさに、ヴィクトリアの胸のうちは複雑な疼きに引き裂かれる。
―分かっている。彼女は敵ではない、同じ目的を共有する同士なのだと頭では理解していても、夫の関心が別の女に向くことに対する独占欲が、彼女のなかの「一人の女」としての感情をきしりと軋ませる。
だが、それも一瞬のこと。
ヴィクトリアはすぐに表情を切り替えると、今度はアルスに向かって、とろけるような甘い笑顔を向けた。
「この国の未来のため…そして、あなたの大切なお仲間を助けるために、わたくし、とっても頑張りましたのよ?」
そう言って、ヴィクトリアはあからさまに甘えるような仕草で、アルスの腕にしなだれかかった。
「あ、あれ……? 王女様、さっきと言っていることが……」
さっきまでの氷のような冷たさと、今のヴィクトリアあまりのデレデレ具合とのギャップに、フィオナは目を丸くし、きょとんとした顔で首を傾げる。
そのフィオナの間抜け面を一瞥すると、ヴィクトリアはすっと冷たい視線を送り、無言で「余計なことを言うな」とばかりにギッと睨みつけた。フィオナは「ひっ」と小さな声を出し、慌てて口を閉じた。
そしてヴィクトリアは、再びうっとりとした上目遣いでアルスを見上げた。
「ねぇ、あなた♡ がんばったわたくしに、素敵なご褒美♡ いただけますわよね?♡」
突然の猛烈なアプローチと、普段の気高い彼女からは想像もつかない甘えように、フィオナは呆気にとられていた。
アルスは完全に気圧されて、冷や汗を流しながら、タジタジの様子でかろうじて返事をする。
「も,もちろん…。…その、頑張ってくれたし……な?」
「まあ♡ うれしい! 今夜のご褒美♡たっぷりと…期待していますね♡」
満足げに微笑んだヴィクトリアは、もう夜が待ちきれないとばかりにアルスの腕をぐいと引き寄せ、逃がさないと言わんばかりに歩き出す。
「ほら、早く帰りましょ? あなた♡」
戸惑うアルスを強引に連れ去っていくヴィクトリアの背中を見送りながら、フィオナは「うわぁ……」と遠い目をし、その場に残された大賢者は「まったく、どいつもこいつも……」と深く深いため息をつくのだった。
公開査問会議の喧騒が嘘のように遠ざかり、その翌日からは、息つく暇もないほど慌ただしい日々が始まった。
何よりも急務だったのは、崩壊した教会組織の再編と、民衆の信仰への根本的な立て直しだ。
かつての枢機卿たちのように私腹を肥やす者が二度と権力を握らないよう、まずは癒しの能力を持つ者たちの選別と、正確な能力の測定が行われていった。
見つかったのは、純粋に女神の寵愛を受け、人々を救うことだけに心を砕いてきた者たちだった。彼らは皆、一様に人格者であり、悪意とは無縁の善人ばかりだ。
だが、ここで一つの問題が浮き彫りになる。
どれほど人柄が良く清らかな心を持っていても、組織を動かす経営能力や、政治的な駆け引きの適性があるかどうかは全く別の話だったからだ。
そこでヴィクトリアと実務を仕切る者たちが導き出した解決策は、徹底的な役割分担だった。
各組織の責任者には、純粋な癒しの能力と信仰心を持つ者たちを据え、その補佐となる副責任者には、優秀な事務担当の者を配置する。
これにより、かつてのように政治能力に長けた野心家が良いように権力と資金を私物化する構造を完全に排除し、癒しの力が正しく人々救うために使われる新しい指示系統へと生まれ変わらせたのである。
そして、その新しい頂点に立たされることになったのは――他でもない、大聖女フィオナその人だった。
現時点で最も高い癒しの能力を持ち、何より女神から直接神託を受けた実績を持つ彼女が、暫定的なトップに就くのは当然の流れだった。
本人は「そんなの絶対無理です! 私、書類仕事とか苦手だし、みんなの前に立つのも胃が痛くなるから嫌です!」と両手をぶんぶんと振って全力で拒絶したが、ヴィクトリアに冷徹かつ容赦のない笑みでこう言い放たれたのだ。
「何を言っているの。この一大改革のきっかけを作ったのはあなたよ。蒔いた種なら、責任を持って最後まで刈り取りなさいな?」
そのニヤニヤと楽しそうなヴィクトリアの圧に屈し、フィオナは項垂れながらも、新体制のトップとしての重い荷物を背負わされることになったのだった。
もっとも、フィオナ本人が実際にこなした「仕事」といえば、地味で泥臭い書類仕事などではなかった。
彼女が担ったのは、かつての討伐の旅で各地を巡った折に知り合った、村々での素朴で信用のおける者たちのリストアップ程度。
あとはせいぜい、「この人なら本当に村人たちのために癒しの奇跡を使えます」と太鼓判を押すことくらいだった。
それもそのはずで、彼女が暫定トップに据えられた最大の理由は、なにもその実務の才を買われたからではない。
すべては、「大聖女がトップに君臨している」という圧倒的な象徴的役割のためだった。
これまでの腐敗しきった教会は民衆からの信用を完全に失い、人々の心から神への信仰すらも奪い去りかけていた。
だからこそ、そのトップには、権力に執着せず、無私の心で各地を巡り、泥まみれになりながら無償で奇跡を施して回った本物の「聖女」が必要だったのだ。
彼女がそこに座っているだけで、民衆は「あのフィオナ様が率いるなら安心だ」と納得し、失いかけていた信仰心をもう一度穏やかに取り戻していく。
実務は有能な副責任者たちが回し、フィオナはただ「みんなの心のよりどころ」としてそこにいる ―それだけで、新体制の教会は驚くほど順調に、新たな一歩を踏み出していたのだった。




