第二王女②【引きこもり王女の旅立ち】「…旅に出よう」
王城の一室。
厚いカーテンを閉め切った暗い部屋の中で、第二王女セレスティアはベッドに座り、ぼんやりと窓の向こうの光を見つめていた。
剣聖レオンハルトに政略結婚を断られてから、彼女は部屋から一歩も出られなくなっていた。
「……どうして、私じゃだめだったの?」
その問いは、誰にも届かない。彼女自身にも答えが出せなかった。
大聖女フィオナの優しさが眩しくて。
剣聖の誠実さが痛くて。
姉の強さが、あまりにも遠くて……。
自分だけが、止まった時間の中に置き去りにされている気がした。
そんなある日のこと。
兄である元・王太子ルキウスが、後継争いを避けるためにすべてを捨てて出奔したという噂が、ひそかに耳に入ってきた。
(……あの人らしいな)
驚きはしなかった。むしろ、どこか羨ましかった。
侍女が扉の前に置いていった冷めた食事を見つめながら、第二王女はふと思う。
(……このままじゃ、だめだわ)
彼女はゆっくりと、力なくベッドから立ち上がった。
鏡に映る自分は、王族としての気品を保ちながらも、いつ音を立てて壊れてもおかしくないほど脆い少女だった。
「……旅に出よう」
その言葉は、誰にも聞こえないほど小さかった。
彼女は静かに、しかし迷いのない手つきで旅支度を始めた。
王族らしい豪華なドレスや宝石は、すべて部屋に残していく。
代わりに身につけたのは、旅装用のフード付きの質素な外套と、わずかな金貨だけ。
そして——幼い頃に大好きな姉からもらった、小さな髪飾りをそっと胸に抱いた。
(……誰にも言わずに行こう)
ただ、何も知らせずに消えれば、誘拐を疑われて城が大騒ぎになってしまうかもしれない。
自分の意思で出ていくこと、決して探さないでほしいことを簡潔に記し、家族への最後の挨拶として机の上へ置いた。
部屋を出ると、静まり返った王城の廊下に出る。
姉は政務と国家改革で手が離せない。勇者はそんな姉を傍らで支えている。
大聖女は大聖堂の旗印となり、剣聖はその愛しい妻の隣に控えている。
——彼女の旅立ちを止める者は、城の中に一人もいなかった。
王城の大きな門の前で、セレスティアはふと足を止めた。
「……私、ずっと弱かったな」
「……きっと、このままここにいたら……一生、変われない」
彼女は深く息を吸い込み、ゆっくりと重い門をくぐった。
王都の街並みは活気に満ち溢れ、人々の幸せそうな笑い声が響いている。
セレスティアはフードを深くかぶり直し、誰にも気づかれないようにそっと歩き出した。
「……いつか、笑って戻れるかな」
その呟きは、柔らかな秋の風の中に溶けて消えた。
彼女は旅人として、歩き出す。
王族としてではなく——ただの一人の少女として。
その小さな背中は、王都の喧騒の中にゆっくりと紛れて消えていった。
王城では、彼女の部屋だけが静かに空いたまま残された。
この時はまだ……誰も知らなかったのだ。
第二王女が、己の痛みを抱えたまま、自分だけの新しい人生を歩み始めたことを。




