【第二王子の嘘】「僕は子供が作れない」大賢者の『秘密』を隠すため、嘘で結ばれた打算と純愛の婚姻
今日から第二王子編です。
大賢者ヴァレリアとの政略結婚の影に隠された想いと優しい嘘。
切ない恋のお話になります。
整然と区切られた王宮の応接室。窓から差し込む午後の光が、机の上に広げられた書類の山と、微動だにせず佇む一人の男の姿を照らし出していた。
第二王子――。王位継承権の先にある、いわゆる「お飾り」あるいは「スペア」の立場にある彼は、自ら淹れた紅茶のカップをそっとテーブルに置き、対面の席に座る、燃えるような赤髪の美女に視線を向けた。
そこに座っているのは、大賢者ヴァレリアだった。世界を救ったパーティの頭脳であり、理の極みに達した、歴代最高の魔法使い。
彼女は今、面倒くさそうに眉をひそめながら、目の前の男を見据えている。
「……何のつもりよ、第二王子殿下」
「そう冷たい目で見ないでくれ、ヴァレリア。僕たちは魔法学校…いや、その前からの古い付き合いだろう? 殿下なんて堅苦しい呼び方はよしてくれ」
男は穏やかに微笑んだ。その整った顔立ちは、誰が見ても非の打ち所がない貴公子のものである。だが、その瞳の奥には、長年隠し続けてきた静かな切なさと、ほんのわずかな決意が宿っていた。
「……この時期にあなたが私を訪ねてきた時点で、何か裏があるのは分かっているわ。王族か門閥貴族のバカ息子との縁談、ってとこかしら?
魔王を倒した英雄の一人…その私の強大な魔術と名声を、手元に縛り付けておきたくなったんでしょう?
でもね、私は誰の言いなりにもならない。結婚する気もないわ」
冷徹に言い放つ大賢者に対し、王子は慌てる様子もなく、ただ静かに首を横に振った。
「怒らないで最後まで聞いて欲しい。
…あなたが大聖女を愛していることも、そのことを隠し通すつもりでいることも、俺は理解している」
ピクリ、と大賢者の肩が揺れた。
普段はどんな難解な呪文を解く時でも動じない彼女が、初めて見せたあからさまな動揺だった。
「なっ……何を……っ!」
ジュリアスは、ヴァレリアの動きを手で制すると、
「驚かないでほしい。
このことは、僕以外の者は気付いていないし、僕は誰にも言う気はない。
もちろん、これを交渉材料にする気も無い。断じてね」
王子は滑らかに、しかし一言一言を噛み締めるように言葉を紡いだ。
「冷静に考えてほしい。王家の一部や門閥貴族は、貴女の力と知性を恐れている。敵対しないことを示しておかないと、今後面倒なことになる。
そして、貴女の立場上、理由を明かさずに婚姻を拒み続けることは難しい。
だが、同性愛は今の教会の教義では異端だ。その秘密を明かすどころか…知られれば、貴女はより難しい立場に追い込まれる」
正論だった。逃げ場のない、完璧な包囲網の提示。
大賢者は歯噛みした。彼が言う通り、自分の本懐は自由な魔法研究と仲間たちとの穏やかな日常であり、下らない権力闘争に巻き込まれるのは御免だった。
しかし、それを回避するための「結婚」というカードが、これほどまでに重荷に感じられたことはない。
そんな彼女の絶望を先回りするように、王子は穏やかな微笑みを崩さずに提案を続けた。
「そこで、僕の提案だ。――僕との婚姻を受けてもらえないか?」
「……は?」
意外な言葉に、間抜けな返事を返してしまう。
「貴女に夫婦生活や妻としての務めを求める気はない。研究なりなんなり、好きにしてくれ。
あなたの才能を縛るのは、我が国にとっての損失でしか無いからね」
大賢者は目を丸くした。政略結婚であれば、跡継ぎを産むことや、夫への従属が義務付けられるはずだ。それらを一切免除するというのなら、いったいこの男は何のメリットがあって自分と結婚しようというのか。
「……そんな結婚…あなたに何の得があるのよ。
跡継ぎも作れないような形だけの夫婦なんて、王族のあなたにとって何の利益にもならないでしょう」
大賢者の疑問を、男はあらかじめ用意していたかのような、少し自嘲気味な笑みで受け流した。
「……あぁ、実はね」
男は、わずかに視線を伏せた。それは、嘘をつく時に人間が無意識に見せる、ほんの小さな演技の隙だった。
「私は、子供の頃に高熱を出し、子供を作る能力を失っているんだ……。もちろん、これは外部には一切漏れていない、極秘の話だ。私の「王太子に万が一があった時のスペア」と言う役割を、根本から覆してしまう秘密だからね。
これからの人生を共に過ごすことになる君だから話す、完全に内密の話だ」
もちろん、それは真っ赤な嘘だった。
彼の身体に何の障害もない。
すべては、「子供を作れない自分と一緒になることで、彼に子供を諦めさせなければならない」と言う余計なプレッシャーや罪悪感を、大賢者ヴァレリアに与えないためについた、人生最大の優しい嘘だった。
「……だから、子供ができずとも、貴女の立場が悪くなることもない。お互いに干渉せず、それぞれの自由を保障し合う。悪くはない条件だろう?
どうせ誰かと結婚せねばならぬなら、すべてを理解した上でそれを受け入れられる僕ほど、条件が整った者は居ないと思うよ?」
理詰めの説得。それは隙がなく、大賢者にとってこれ以上ないほど「安全」で「都合のいい」解決策だった。
彼女は沈黙した。頭の中で計算を巡らせる。彼の言う通り、これ以上の条件を他から引き出すのは不可能に近い。
合理的に判断して…この婚姻は受けるべきだ。
―彼女は知らなかった。
目の前の男が、魔法学校の入学前から、ずっと自分を見つめ続けていたこと。
形骸化していた「平民の特待生枠」が大賢者に割り当てられたのは、彼の働きかけがあったからだと言うこと。
彼女が誰に目を向け、誰のために微笑み、どんな痛みを隠しているのかを、誰よりも近くで、誰よりも深く観察していたこと。
そして、彼女が自分以外の誰かを愛していると知りながら、それでも彼女の隣に居られるなら「形だけでも、道具にされても構わない」と本気で願っている男の、歪で、あまりにも一途な恋心が存在していることを。
「……あなたが、そこまで私に譲歩する理由が分からないわ」
大賢者は疑わしげに目を細めたが、これ以上の拒絶の理由は思いつかなかった。
「政治的な打算さ。最強の魔女を身内に置くことは、我が身の安全保障にもなるからね」
男は嘘の笑顔を作りながら、心の中でそっと息をついた。
(どうか、この利己的な打算の芝居が、君を縛る鎖になりませんように)
「大賢者が王族に加わることの政治的利益…僕個人にとっても、王家にとっても、それは計り知れないほど大きい。
だが、それだけじゃないよ?
英雄と言う重荷を背負わされた、大切な学友の人生を、少しでも助けてあげたい、そんな親切心も…ゼロではないんだw」
最後は学友の時の口調にもどり、冗談めかして場の雰囲気を和らげる。
大賢者は深く息を吐き、そして、観念したように頷いた。
「……わかったわ。あなたの提案、受けてあげる。ただし、約束は守ってもらうわよ」
「ああ、誓おう」
こうして、世界を救った大賢者は、すべてを見通す知性を持ちながら、たった一つの「優しい嘘」に気付かないまま、形だけの結婚を受け入れたのだった。
それは、打算と計算の裏に隠された、決して報われないと知る男の、静かなる勝利だった。




