【査問会議前夜】第一王女の決意
【査問会議前夜】第一王女の決意
勇者パーティの凱旋、そしてそれに伴う王室や貴族たちの力関係の激変――。
世界を救った英雄を夫として迎え入れた王女ヴィクトリアの存在は、王国における勢力図を根底から塗り替えようとしていた。
かつての彼女は、善良で誰からも敬愛される兄・王太子ルキウスを支え、その背後から国を守っていくことこそが自分の役目だと信じて疑わなかった。幼い頃から抱いてきたその決意に、微塵の曇りもなかったはずだ。
しかし、現実は残酷だった。
有能で人望を集め、さらには「英雄(勇者)」を伴侶に選んだ王女の存在は、旧来の特権にしがみつく貴族たちや王太子の側近にとって、あまりにも巨大で、排除すべき「脅威」に映ってしまったのだ。
彼らは水面下で、王女を政治的舞台から失脚させるための暗烈な陰謀を巡らせ始めていた。
――兄の意向など、もはや関係ない。
あの優しく善良な兄は、自分たちの足元で繰り広げられているドロドロとした権力闘争の陰謀になど、気付きもしないだろう。
貴族たちの暗躍に気付いたとき、彼女の心に浮かんだのは恐怖でも絶望でもなく、冷徹なまでの「歓喜」だった。
(……望むところだ)
そう思ってしまった自分に、驚きはなかった。
心のどこかで、ずっと分かっていたからだ。
政治的な手腕も、大局を見る目も。どう考えても、優しすぎる兄より自分の方が「王位にふさわしい」ということを。
だが、今までその野心や能力を表に出すことはなかった。兄を心から敬愛していたし、国に無用な混乱を招きたくはなかったから。
しかし、もう引き返せない。事はすでに動き出してしまったのだ。
兄を補佐し、穏やかに国を盛り立てていくような平和な未来は、愚かな敵対者たちによって完全に断ち切られた。
…ならば、進むべき道は一つしかない。
――王位を、この手で掴み取る。
これまで、王位など欲したことはなかった。
どれほど優れた才覚があっても、権力の座そのものには何の魅力も感じていなかったのだ。
国は兄が継ぎ、自分はそれを後ろから支えていく……本気でそう思っていた。
……そう、あの勇者と結ばれるまでは。
彼の持つ、圧倒的なまでの「雄」としての魅力。その強靭な肉体と精神。
彼の子供が欲しい。彼の血と遺伝子を、この世に遺したい。
――彼との間に生まれた子に、この国の王位を継がせる。
自分と彼の優れた遺伝子を色濃く受け継いだその子供が王となったとき、この国はどれほど強大で、どれほど完璧な統治を実現できるだろうか。
-見てみたい。そんな最高の未来を、創り上げてみたい。
そう思ってしまった。一度その強烈な欲望に囚われてしまえば、もう踏み留まることなどできなかった。
「ならば、愚かな貴族たちよ。思い知るがいい」
冷ややかな笑みを浮かべながら、王女は静かに毒を含んだ瞳を細める。
お前たちは、決して目覚めさせてはならない「虎」を起こしてしまったのだ。何もしなければ、お前たちが望む通り、無欲な兄がそのまま王位に就いていたというのに。
愚か者どもよ、感謝してやろう。お前たちの陰謀のおかげで、自分が心の底から求めていた「本当の望み」に気付くことができたのだから。
分不相応に多くを望み、己の足元すら見えていない愚か者どもよ。せいぜい今のうちに怯えていればいい。
この国の貴族制度はすでに腐敗し、形骸化し、歴史的な寿命を迎えている。新しい時代にふさわしい、まったく新しい仕組みが必要なのだ。
それを創り上げるのは自分だ。そして、強固となったその基礎を、愛する勇者との間に生まれる子供へと引き継がせる。それこそが、自分が果たすべき新たな宿命だった。
そうだ。
あの聖女には、そのまま教会を徹底的に叩き壊してもらうとしよう。
今の教会もまた、貴族たちと同様に腐敗し、本来の役目を忘れ、私腹を肥やすことと保身にばかり執着している。
主神である女神様への信仰そのものを揺るがしかねない、足手纏い。
私腹を肥やすことしか頭にない愚か者どもには、そんな破滅の未来すら見えていない。
その点、あの聖女はうってつけの存在だった。
――夫が……あの勇者が、心を奪われただけのことはある。
圧倒的なカリスマですべての民衆の心を惹きつけ、旧態依然とした教会の支配から人々を解放し、より本来の女神の教えに近い純粋な信仰の形を築き上げていくだろう。
正直に言えば、しゃくに障る部分はあった。
あの聖女の純粋さと慈愛の深さを、心のどこかで認めてしまう自分がいることが。
そして、夫である勇者の胸の内に今なお刻まれているであろう彼女の存在を思うと、自分の中の「一人の女」としての部分が、嫉妬に似た痛みできしりと音を立てる。
だが、恐れてなどいない。
あの女は自分の敵ではない。夫の愛を奪い合う相手でも、権力を争う相手でもないのだ。
彼女と自分は、向かっている方向が同じだった。
この世界をより良く、正しく立て直していくという壮大な目標と、それをやり遂げる強固な意志。
この腐った世界においてそれを共有できる、数少ない「同志」なのだから。
…女王として即位し、玉座に座るヴィクトリアは、今日も大聖女フィオナに笑顔で語りかける。
大勢の民衆や家臣たちの前で、教会と王家の強固な結びつきを示すために。
そう…王配として隣に座る夫が、大聖女に向けるその笑顔に――ほんの少しだけ、心を軋ませながら。




