【元王太子の華麗なる出奔】「人生はこうでなくっちゃ!」
王太子の地位を返上し、表舞台から姿を消した第一王子ルキウス。
その後の彼の、素敵な妻との出会いとハッピーライフ!
後の世で「幻の賢王」と讃えられ、数々の元王太子譚が残る彼の、本当の姿とは…?
1. 聖者の退場
反乱事件が鎮圧され、王都に静けさと新たな秩序が戻った数日後。
王城の一室で、王太子は静かに、しかし揺るぎない決意に満ちた表情で自らの去就を表明した。
今回のクーデターは、あくまで彼を支持していた門閥貴族たちが勝手に暴走して引き起こしたものであり、王太子自身にその計画への関与や一味としての加担は一切なかった。それは尋問や証拠の調査によっても完全に証明されている。
だが、彼は自ら進み出て、こう告げたのである。
「自分を次代の王へと押し上げようと、彼らはこのような愚行に走った。その動きを事前に察知し、未然に防ぐことができなかった私にも、指導者としての重大な責任がある。
……ついては、私は王太子の地位を返上する」
さらに彼は、今回の事件解決に誰よりも尽力した王女こそが次の「王太女」にふさわしいと強く支持する旨を公に表明した。
もともと、民衆や志ある家臣たちの間では、その圧倒的な有能さと実績から「王女殿下こそ次代の王に」と望む声は根強く存在していた。
そうした中で、何より第一王子が王太子であることを後ろから支えていたはずの門閥貴族派が完全に失脚した今、王太子本人が自発的に身を引くと言えば、政治的な障害や反発が入り込む余地などどこにもなかった。
(よしっ、完璧だ……!)
臣下たちが神妙な面持ちで感嘆の声を漏らし、妹である王女が複雑な瞳で見つめる中、王太子の脳内は全く別の歓喜に満ち溢れていた。
(評価が爆上がりした上に、スムーズに王位を妹に押し付け……いや、任せられる!
やりたくないやつがやってるより国民にもいいし、妹の方が圧倒的に優秀なのは事実だし!
何より、これで僕は完全に自由の身だ! 最高っ!最高じゃん!!)
「兄様……そのようなご決断……」
震える声で手を差し伸べてくる王女の演技力に心の中で拍手を送りつつ、王太子は慈愛に満ちた(ように見える)完璧な笑顔を浮かべてうなずいた。
「国の未来は、君に託したよ、我が最愛の妹よ」
こうして、彼は一切の未練を残さず、王冠とすべての責任を華麗に投げ捨てたのであった。
2. 歴史の影の立役者
のちに、このクーデターを乗り越えた王国は、新女王となった第一王女の卓越した手腕によって「レグニア王国の最盛期」を迎えることになる。
その歴史の教科書には、こう記される。
−かつて王位を巡る混乱の中、自らの責任を重く受け止め潔く王太子の座を退き、妹である第一王女ヴィクトリアへのスムーズな政権交代を導いた無私の聖者。
その後の政治的混乱を防ぐため、彼は一切の栄誉を捨て、静かに王城を去って二度と戻らなかった。彼こそは、新時代の礎を築いた「影の立役者」であった、と。
民衆は彼の高潔さを讃え、失踪した「幻の賢王ルキウス・レグリア」の伝説を語り継いだ。
3. 出会い
それは、彼が王城から姿を消し、この街に流れ着いて間もない頃のことだった。
大陸有数の交易都市にある、歴史ある大店の店先。
ふらりと立ち寄った彼は、ずらりと並ぶ美術品や生活雑貨の中から、一際静かな光を放つ一品を手に取っていた。値札を見るでもなく、素材の質感と細工の妙を指先で確かめる。
それは、本物の貴族であり、かつ並外れた審美眼を持つ者にしかできない所作だった。
「お客様。大変お目が高い……ご商売をされたら、さぞ素晴らしいお店になることでしょうね?」
声をかけてきたのは、その店の若き看板娘だった。彼女は、彼がただの客ではなく、明らかな「貴族の気品」をまとっていることを見抜いていた。
だが、それを恐れるでも、媚びるでもなく、ただ一人の「目利きの客」として敬意を払っている。その涼やかな瞳には、好奇心と知性が宿っていた。
彼はわずかに眉を上げ、上品に微笑んだ。
「おや、この店は商品だけでなく、従業員も大変素晴らしい。……お名前を伺っても?」
「まあ……そんな……」
彼女は頬を染めながらも、ふっと悪戯っぽく微笑み、こう返したのだ。
「そうですね……またご来店いただけたら……その時には……」
−商売上手なお嬢さんだ。
彼の胸の奥で、かすかに心地よい波紋が広がった。彼女もまた、その短いやり取りの中で、このミステリアスな客に少なからず好意を抱き始めていたし、彼からの好意も感じ取っていた。
だからこそ、「次も必ず来店する」と確信して、あえてそんな含みのある言葉を投げかけたのだ。
そして、その機会はすぐに訪れた。
−具体的な日付を言うならば、その翌日に。
お昼前の店内に、昨日と同じ男がふらりと姿を現す。彼は昨日よりも柔らかい笑みを浮かべながら、彼女の目の前まで歩み寄るついでに、片手間で、だがしかし、しっかりと掘り出しものの逸品を手にとると、自然に、かつスマートにこう切り出したのだ。
「会計を。……待ちきれなくて、すぐに来てしまったよ……」
「やはりお目が高い…お買い上げ、ありがとうございます。……お約束ですものね? わたくし、エレナと申します。今後ともご贔屓にお願い致します」
ワザと業務的に答えると、にっこりと営業スマイルで微笑んだ。
「…手強いなw
よければ、おすすめの美味しいお店を教えてもらえるかい? この辺はまだ詳しくないから、一緒に行ってもらえると助かるんだが……お昼は抜けられる?」
「そうですね……またご来店いただけるのなら……」
冗談めかしてそう答える。
「ハハ……商売上手なお嬢さんだ……ああ、また来ると約束しよう。……ではお願いしても?」
「ええ……この辺りで一番のお店へご案内いたしますわ。お味も……お値段も」
「おおっと……こっちは『しがない旅人』なんだ…お手柔らかに頼むよ?」
ふふ、と小さく笑うと彼女は問いかけた。
「お客様のお名前をお伺いしても……?」
「…ルカ。短くて、覚えやすいだろう?」
偽名を名乗る元王太子と、偽名と薄々気づきながらも面白がり、黙って受け入れる利発な娘。
二人の間には、すでに恋が芽生え始めていた。
4. そして、現在
それから幾年かの月日が流れ――。
大陸有数の交易都市にある大店の広大な店舗兼自宅から、明るくスマートな笑い声が響いていた。
「お義父さん。今季の北方の交易路ですが、隣国との情勢がきな臭くなっているのを見越して、すでに手形を分散させておきました。これなら何か起きても大丈夫かと」
「おぉ、さすがは自慢の婿殿だ! お前さんが来てから、うちの商会は右肩上がりだな!」
「いえ…どこの馬の骨とも分からない私を信用して、大事な一人娘である彼女との結婚を許していただき、本当に感謝しています。
その上、店まで任せていただいて…」
「なに言ってるんだ!こんなに有能で善良ないい婿、大陸中を探し回ったって、そうそう見つかるもんか!
それこそ、王室の中でも探さないとなw」
際どい冗談を返してくる。
(…お義父さんには、話してないはずなんだけどな…)
愛想笑いを浮かべながら冷や汗をたらす。
そう、帳場で番頭や取引先とよどみなく丁々発止のやり取りをしているのは、かつて王太子と呼ばれた男だった。
一日の仕事を終え、奥の居間に引っ込むと、そこにはあの日の看板娘であり、いまや最愛の妻となったエレナが待っていた。
「あなた、お疲れ様。……ふふ、今日もお店での見事な采配、組合の親父さんたちがベタ褒めだったわよ」
「やだな、君の教え方が上手いからさ、愛しい奥様」
自然に微笑みかけながら、妻が淹れてくれた極上の茶をすする。
宮殿の貴族たちが持っていたような特権意識や権力欲は微塵もなく、誰に対してもフラットで温かく、そして自分と対等に知的な会話を楽しめる伴侶。
「ねえ、あなた。また王都の方から変な噂が聞こえてきたわよ? なんでも『無私の聖者として国を救った伝説の元王太子が、隣国の王女様と恋に落ちたらしい』だとか……」
妻がクスリと上品に笑いながら、商品を包んでいた王都のゴシップ紙を振ってみせる。
男は苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「おいおい、困った元王太子様も居たものだなw」
「この間、隣国に取引に行った時のことでなくて?」冷んやりとした雰囲気を醸し出す妻。
「やめてくれよ。そもそも、僕の身分は誰にもバレてないしw
王族なんて、もうこりごりさ。それに、今の僕には、美しくて賢い、世界一の妻が居るのにさ♡」
優しく抱き寄せて、その頬にキスを落とす。
彼は妻の肩越しに王都のゴシップ紙を眺め、
本物の王太子なら、自分が王太子だ!なんて、絶対名乗らないだろうに…と苦笑いを浮かべる。
この当時、元王太子が姿を現さないのをいいことに、各地で元王太子を名乗る不届き者が続出していた。
それが、後の元王太子譚を多様にしている原因の一つだった。
曰く、隣国の王女と恋に落ちた。曰く、海を渡り新大陸で王国を築いた。曰く、魔族の残党の暗躍を防ぐために戦っている…
「みんな、元王太子に夢見過ぎだよね?本当は、この街のしがない『若旦那』なのにさw」
「そうね。…うちの、世界一器用で、ちょっと食えない自慢の旦那様♡」
妻はからかうように微笑むと、自然に彼の胸の中で身を寄せてきた。
王位? 責任? 門閥貴族の陰謀? マグロの王太子妃?
……そんな地獄のようなストレスに満ちた日々は、もう遠い昔の御伽話だ。
格式ばった宮廷ではなく、自分を対等な一人の人間として愛し、穏やかな日常を分かち合える最愛の伴侶。そして、自分の能力を100%活かして大繁盛する商売のやりがい。
「歴史の教科書にどう書かれようと知ったこっちゃないね。……やっぱり、人生はこうでなくっちゃ!」
今日も今日とて、元王太子ルキウス改め商人ルカは、知性とユーモア溢れる妻に軽くあしらわれながら、最高に自由で贅沢な隠居生活を謳歌しているのであった。
新たな元王太子の活躍譚が各地で生まれ続け、増え続けるのを、半ば呆れ、半ば楽しみながら。
明日は、第一王女ヴィクトリアのお話です。




