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第9話/通算第59話 「産科受診と夫婦それぞれの仕事が重なった」

第6部『夫婦の時間は、誰のものですか?』




前書き




「私、決めた。大型プロジェクトに参加する」




妻がそう宣言した翌日。




俺との時間が、妻の予定表から消え始めた。




会議、打ち合わせ、資料確認。




共有カレンダーは仕事の予定で埋め尽くされ、夫婦の時間は次の日曜日の《デート》だけになっていた。




しかも、その約束さえ仕事に奪われるかもしれない。




「……日曜日以外、俺との予定がありません」




「私、仕事を選んじゃいけなかったのかなって……」




45歳のバツイチ医師・小鳥遊優。




42歳の食品メーカー企画部長・小鳥遊喜咲。




婚活アプリで出会い、恋をして、再婚した二人。




第5部で喜咲は、悩み抜いた末に、自分の人生を生きるため仕事を続ける決断をした。




優も、その挑戦を応援すると約束した。




けれど、現実は甘くなかった。




妻の夢を応援するほど、夫婦の時間が失われていく。




寂しいと言えば、妻の決断を否定してしまうかもしれない。




何も言わなければ、自分だけが我慢し続けることになる。




そんな二人に、やがて想像もしていなかった人生の転機が訪れる。




それは、仕事の予定や夫婦の約束だけでは答えを出せない出来事だった。




結婚したのに、どうしてこんなに難しいんだろう。




仕事を選ぶこと。




愛する人を選ぶこと。




そして、予想もしなかった未来と向き合うこと。




どちらか一方が我慢するだけでは、夫婦は続かない。




では、二人は何を選べばいいのか。




笑って、喧嘩して、悩んで、それでも互いの手を離さない。




大人の婚活・結婚ラブコメ。




第6部『夫婦の時間は、誰のものですか?』開幕。




夫婦でいることは、同じ予定表を共有することではない。




予定どおりにいかない人生を、それでも二人で選び直すことなのかもしれない。



「優。今度は、どの予定を消すつもり?」


画面には、三つの予定が並んでいた。


喜咲の大型プロジェクト会議。俺の診療。そして、次の産科受診。


どれも大切だ。どれも簡単には動かせない。


なのに俺の指は、また妻の予定に近づいていた。


「……消すつもりはありません」


「じゃあ、そのマウスは何をしようとしてたの?」


「……予定の詳細を確認しようと」


「本当?」


画面の端に小さく開いた編集メニューが、俺の言い訳を否定していた。


喜咲はそれを見て、眉を上げる。


「この間、約束したよね」


「……お互いの予定を、勝手に消さない」


「正解。で、今は?」


俺はそっとメニューを閉じた。


「……まだ、未遂です」


「未遂って言えば許されると思わないで」


声は厳しいのに、口元は少し笑っていた。


この前の夜、俺たちはちゃんと話し合った。妊娠したからといって、俺が喜咲の仕事を決める権利はない。心配なら、心配だと伝える。本人の希望を、最初に聞く。


分かったつもりだった。


それでも、三つの予定が同じ場所でぶつかると、俺の頭はたちまち昔のやり方に戻ろうとする。


誰かの予定を動かせば、空欄ができる。


空欄ができれば、問題は片づく。


けれど、そこに書かれているのは、単なる文字ではない。


それぞれが引き受けてきた仕事と、まだ先の見えない妊娠の時間だった。


消せないのは、予定だけじゃない


「病院に行くのは私だよね」


「……はい」


「優に一緒に来てほしい気持ちもある。でも、優の診療を全部止めてまでとは思ってない」


喜咲は自分の会議予定を指先でなぞった。


「私も同じ。今の企画、ずっと準備してきた。会議を軽く見てるわけじゃないの」


「……知っています」


「うん。だから、知ってる人と相談したい」


そう言われて、胸の奥が小さく痛んだ。


前の言い合いで、俺は彼女の予定を減らすことばかり考えていた。仕事の中身も、任せられる範囲も、まず本人に尋ねるべきだったのに。


今度はその反省から、俺の勤務を調整しようとしていた。


「……俺のほうで何とかできないか、確認します」


「それ、私の仕事を守るために、自分の仕事を全部引き受け直すってこと?」


「……全部、とは」


「言ってない。でも考えてたでしょ」


否定できなかった。


患者さんには、それぞれ受診の理由がある。俺が一人で「その日は診療を休みます」と決めていいわけではない。勤務を調整するなら、職場と相談しなければならない。


同じことが、喜咲の仕事にも言える。


「……守ろうとして、今度は自分の予定を勝手に動かすところでした」


「自分の予定だからって、全部一人で決めなくていいんだよ」


「……耳が痛いです」


「夫婦そろって、話し合いが下手だね」


「……上達はしているつもりなんですが」


「じゃあ、実技試験」


喜咲は俺の前に、共有カレンダーを戻した。


「三つの予定を、どちらか一人が我慢する以外の方法で考えましょう」


俺は深くうなずいた。


「……承知しました」


「まず、その『承知しました』を会議っぽくしないで」


いきなり減点らしい。


夫婦の予定表に、議事録はいらない


「予定には、三種類あると思うの」


喜咲が画面を指した。


「決まっているもの。相談してから決めるもの。動かせるもの」


「……《確定》《相談中》《変更可能》ですね」


「そうそう」


「……分類の基準を統一しましょう」


「やっぱり会議が始まった」


「……誤解です。家庭内の情報整理です」


「それ、会社で聞くやつ!」


彼女が笑ったおかげで、張りつめていた空気がゆるんだ。


産科受診は、今のところ《確定》。必要な診療の時期や予約について変更を考えるなら、まず医療機関に確認する。俺が付き添えるかどうかだけを理由に、喜咲の受診を遅らせない。


俺の診療も、現時点では《確定》。勤務上の調整が可能かどうかを相談する余地はあるが、勝手に空欄にしない。


喜咲の会議は《相談中》。会議の日程そのものを動かせるとは限らない。それでも、仕事の分担や関わり方を本人が検討できる。


「私の仕事は、私が中身を見て考える。優の仕事は、優が職場に確認する。それでいい?」


「……はい。どちらも、相談する前に結論を出さない」


「うん。じゃあ色を変えよう」


画面の色が、三つに分かれた。


今までどちらかが譲るかどうかの印に見えていた予定が、次に何をすればいいかを示す印に変わった。


「……分かりやすくなりましたね」


「でしょ?」


「……では、決定事項を議事録にまとめて」


「作らなくていい!」


即答だった。


「夫婦の予定表って、こんなに会議体なの?」


「……議事録は不要、という議事は残しておきますか」


「優!」


俺が笑うと、喜咲も声を立てて笑った。


その笑顔を見て、俺は気づく。


前回は、予定を守るために彼女の表情を見失っていた。


今日は、画面より先に彼女の顔を見て話せている。


たぶん、俺たちに必要だったのは、完璧な予定表ではない。


予定表を閉じても続けられる会話だった。


付き添えない日も、夫でいたい


「一つ、聞いてもいい?」


喜咲が笑いをおさめた。


「……何でしょう」


「もし今回、優が来られなかったら、がっかりする?」


答えはすぐに浮かんだ。


がっかりする。もちろん、一緒に行きたい。


でも、それをそのまま伝えたら、喜咲が俺の勤務を気にしてしまうのではないか。


「……大丈夫です」


言いかけて、止めた。


喜咲は何も言わず、俺を見ている。


この沈黙を埋めるために、また都合のいい返事をするところだった。


「……本当は、付き添いたいです」


「うん」


「前の診察も、内診室の外で待っていました。心拍を確認できた瞬間は見ていません。それでも、診察室であなたから聞いたとき、嬉しかった」


あのとき喜咲が、声を震わせながら俺に知らせてくれたことを覚えている。


「次も、できれば同じ場所で、あなたの話を聞きたいんです」


「そっか」


「……でも、俺が行けなくても、受診は予定どおりにしてほしい」


「それは私もそう思う」


「……あとで聞いたことを教えてもらえたら、一緒に考えられますから」


喜咲は少しだけ視線を落とした。


「私ね、優が一緒に来てくれたら嬉しい。でも、来られないからって、私のことを大切にしてないとは思わないよ」


胸の奥で、何かがほどけた。


「……ありがとうございます」


「そこは『俺も同じです』じゃない?」


「……俺も同じです」


「遅い」


彼女は笑って、俺の手の甲に指を重ねた。


付き添えるかどうかは、まだ《相談中》。それでも、来られない場合にどうするかは決められた。


受診は喜咲が予定どおりに行う。診察で聞いたことは、帰ってから二人で話す。俺に確認したいことがあれば、次の診察へ持っていく。


同じ場所にいることだけが、二人で受診に向き合う方法ではない。


俺はそれを、医師としてではなく、夫としてようやく理解し始めていた。


仕事を続ける、という言葉の続き


「ところで、私の会議のこと」


喜咲は指を離し、仕事の予定をもう一度開いた。


「参加の仕方は考えてみる。準備の一部をチームに任せられるかもしれないし」


「……会社に、妊娠のことを伝えますか」


「まだ決めてない」


迷いのない答えだった。


「いつ、誰に、どこまで話すか。それはもう少し考えたい。仕事の調整と、妊娠を伝える範囲は、全部同じ問題じゃないでしょう?」


「……そうですね」


「私がどう働きたいのか、まず整理したい。それから必要なことを相談する」


「……俺から何かしてほしいことはありますか」


喜咲は少し考え、首をかしげた。


「決める前に、私の話を聞いて」


「……はい」


「あと、優も自分の仕事のこと、ちゃんと話して」


俺は共有カレンダーに目を戻した。


職場と相談しなければ分からないこともある。確認した結果、どうしても調整できない日があるかもしれない。


それを、妻への申し訳なさだけで埋める必要はない。


「……勤務の調整が可能か、職場で確認します。結果が分かったら、一緒に考えてもらえますか」


「もちろん」


「……あなたの仕事も、どうしたいか教えてください」


「うん。私が先に決めないで、ね」


「……お互いに」


喜咲は満足そうにうなずいた。


三つの予定は、消えなかった。


それでいいのだと思う。


消さないまま、できることを一つずつ探せばいい。


「……ちなみに、もう一つ追加してもいいですか」


「何の予定?」


「……二人で話す時間です」


喜咲が目を丸くした。


「今、話してるじゃない」


「……今後も、という意味です」


「また予約制?」


「……できれば、あなたと話す時間は確保したいので」


喜咲は笑いながら、新しい予定を入力した。


《二人で話す時間》


日付は未定。区分は《相談中》。


「これ、仕事より優先?」


「……優先順位をつける前に、相談したい予定です」


「よろしい」


その声は、前回よりずっと優しかった。


最後まで、空欄にできない質問


カレンダーを閉じると、テーブルには一冊のノートが残った。


この前の夜に、次の診察で聞きたいことを書いたノートだ。


「予定は何とか整理できそうだね」


喜咲がページを開く。


「でも、こっちは増えてる」


妊娠初期の体調。


今後の診察で確認すること。


仕事を続けるうえで相談しておきたいこと。


その下に、一行だけ、少し大きな文字があった。


『42歳の妊娠について』


喜咲はペン先をその文字の上で止めた。


「ねえ、優」


「……はい」


「年齢のこと、ちゃんと聞いておきたい」


「……そうですね。担当の先生に、分からないことを聞きましょう」


「聞いたら、何かが分かるんだよね」


「……少なくとも、今より考える材料は増えると思います」


「そっか」


喜咲は質問を一つ書き足した。それから、書いたばかりの文字を指で隠すように手を置いた。


「数字の話、聞くの怖い」


いつもの軽口はなかった。


俺は口を開きかけた。


医師として知っている一般的な説明はある。年齢とともに変わること、検査で分かることと分からないこと。言葉にしようと思えば、いくらでも出てくる。


けれど、彼女が今、求めているのは説明の先取りではない。


喜咲は、怖いと言った。


まずは、その言葉を受け取るべきだった。


「……俺も、一緒に聞きたいです」


「付き添えなかったら?」


「……帰ってきてから、一緒に聞いたことを整理します」


喜咲は小さくうなずいた。


そしてノートの端に、もう一行書き添えた。


『聞いたあと、二人で話す』


予定表の空欄なら、探せる。


会議なら、相談できる。


でも、これから聞く数字を都合よく書き換えることはできない。


喜咲はペンを置いた。


俺は医師としての説明を飲み込んだ。


予定表の空欄は埋められる。


けれど、42歳の妊娠について、彼女が抱く不安に、今の俺は答えを書き込めなかった。



第9話/通算第59話 完


次回予告


第10話/通算第60話

「42歳の妊娠、数字だけでは決められません」


次の産科受診で、喜咲と優は年齢に伴う妊娠のリスクや出生前検査について説明を聞く。知りたい。でも、知るのが怖い。数字だけでは決められないことを、二人はどう受け止めるのか。


この作品を第1話から読む


『婚活アプリのプロフィールに「夜の相性も大切です」と書いた女とマッチしました』第1話


https://note.com/momokun1/n/n91436e4030cb?magazine_key=mfe06874c3331




仕事も受診も大切な二人。あなたなら、相手と予定が重なったとき、どんなふうに相談しますか? 感想をコメントで聞かせていただけると嬉しいです。

この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。

Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524

Momokun Official https://momokun.jp/

Tales https://tales.note.com/momokun1

なろう https://mypage.syosetu.com/3115683/

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