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第1話/通算第51話 「妻の予定表から、俺との時間が消えました」

第6部『夫婦の時間は、誰のものですか?』


前書き


「私、決めた。大型プロジェクトに参加する」


妻がそう宣言した翌日。


俺との時間が、妻の予定表から消え始めた。


会議、打ち合わせ、資料確認。


共有カレンダーは仕事の予定で埋め尽くされ、夫婦の時間は次の日曜日の《デート》だけになっていた。


しかも、その約束さえ仕事に奪われるかもしれない。


「……日曜日以外、俺との予定がありません」


「私、仕事を選んじゃいけなかったのかなって……」


45歳のバツイチ医師・小鳥遊優。


42歳の食品メーカー企画部長・小鳥遊喜咲。


婚活アプリで出会い、恋をして、再婚した二人。


第5部で喜咲は、悩み抜いた末に、自分の人生を生きるため仕事を続ける決断をした。


優も、その挑戦を応援すると約束した。


けれど、現実は甘くなかった。


妻の夢を応援するほど、夫婦の時間が失われていく。


寂しいと言えば、妻の決断を否定してしまうかもしれない。


何も言わなければ、自分だけが我慢し続けることになる。


そんな二人に、やがて想像もしていなかった人生の転機が訪れる。


それは、仕事の予定や夫婦の約束だけでは答えを出せない出来事だった。


結婚したのに、どうしてこんなに難しいんだろう。


仕事を選ぶこと。


愛する人を選ぶこと。


そして、予想もしなかった未来と向き合うこと。


どちらか一方が我慢するだけでは、夫婦は続かない。


では、二人は何を選べばいいのか。


笑って、喧嘩して、悩んで、それでも互いの手を離さない。


大人の婚活・結婚ラブコメ。


第6部『夫婦の時間は、誰のものですか?』開幕。


夫婦でいることは、同じ予定表を共有することではない。


予定どおりにいかない人生を、それでも二人で選び直すことなのかもしれない。

 妻の予定表から、俺が消えた。


 いや、正確には消えていない。


 次の日曜日には、ちゃんと残っている。


《デート》


《場所:未定》


 昨日、俺が登録した予定だ。


 問題は、その周囲だった。


 月曜日から土曜日まで、共有カレンダーが仕事の予定で埋め尽くされている。


 会議。打ち合わせ。資料確認。関係者との調整。


 しかも、その予定は今朝から増え続けていた。


「……喜咲」


「何?」


「……これは、何かの間違いでしょうか」


 向かい側でパンを食べていた妻が顔を上げた。


「何が?」


「……予定表です」


「ああ、それ? 大型プロジェクトの予定を入れ始めたの」


「……ずいぶん多いですね」


「まだ仮の予定もあるよ。参加するって決めたから、まず全体を把握しないとね」


 喜咲は何でもないように言った。


 昨日、妻は大型プロジェクトへの参加を正式に決めた。


 仕事を辞めるかもしれないと悩んだ末に、自分の意思で選んだ道だ。


 俺も、その決断を応援すると約束した。


 もちろん、後悔はしていない。


 ただ。


「……喜咲」


「今度は何?」


「……日曜日以外、俺との予定がありません」


 妻の手が止まった。


「……は?」


「……共有カレンダーに、二人の予定が見当たりません」


「日曜日、あるじゃん」


「……あります」


「消えてないじゃん」


「……そのとおりです」


「じゃあ、何が問題なの?」


 俺は画面を見直した。


 日曜日の《デート》は、確かに残っている。


 妻が約束を破ったわけではない。


 なのに、なぜか落ち着かなかった。


「……予定が整理されていて助かります」


「急に褒めた!」


 喜咲が目を丸くする。


「何? 文句を言われるのかと思った」


「……文句ではありません」


「じゃあ何?」


 答えようとして、言葉が止まった。


 自分でも、まだ分からなかった。


 ただ一つ、気づいたことがある。


 昨日まで楽しみだった日曜日が、今朝は少し遠く感じられた。


 * * *

【夫の浮気相手は、カレンダーですか?】

 その日、俺は三度、共有カレンダーを確認した。


 朝食後に一度。


 診療の合間に一度。


 そして帰宅する前に、もう一度。


 画面を開くたび、予定が増えていた。


 もっとも、すべてが確定した仕事ではない。


 喜咲もそう説明していた。


 俺自身、医師として働いているのだから、仕事の都合で予定が変わることは理解している。


 それでも気になった。


 日曜日のデートの場所は、まだ決まっていない。


 どこへ行くか。


 何を食べるか。


 何時に出かけるか。


 そんな相談をしたかった。


 俺はメッセージを入力した。


『日曜日の行き先、いつ相談できますか?』


 送信する直前、指が止まった。


 今、喜咲は仕事をしている。


 昨日ようやく決めた新しい挑戦だ。


 その初日から、夫がデートの相談を催促するのはどうなのだろう。


 俺は文章を消した。


 代わりに送ったのは、いつもの一文だった。


『今日もお疲れさまです』


 しばらくして、返信が届いた。


『ありがとう。今日は少し遅くなるかも』


『了解しました』


 画面を閉じる。


 これでいい。


 そう思ったはずなのに、帰宅途中でもう一度カレンダーを開きそうになった。


 ……重症かもしれない。


 夜、喜咲が帰宅した。


「ただいまー」


「……お帰りなさい」


「優、今日も早かったね」


「……今日は比較的、予定どおりでした」


「いいなあ。私、まだ頭の中が仕事でいっぱい」


 妻はバッグを置き、ソファに腰を下ろした。


 疲れている。


 けれど、その表情には昨日までなかった明るさもあった。


 自分で選んだ仕事に向かう人の顔だった。


 俺は、その顔が好きだ。


 だから何も言わず、隣に座った。


「……ねえ、優」


「何でしょう」


「今日、何回カレンダー見た?」


「……正確には数えていません」


「数えてないだけで、何回も見たんでしょ」


「……はい」


「浮気を疑ってる夫みたい」


「……相手はカレンダーです」


「カレンダーと浮気してる女って何!?」


 喜咲が吹き出した。


「しかも、私よりカレンダーを見てるんじゃない?」


「……否定できません」


「そこは否定して!」


 妻が笑う。


 俺も少し笑った。


 だが、喜咲の笑顔は長く続かなかった。


「……そんなに気になる?」


「……何がですか」


「私の予定」


 俺は返事に迷った。


「ちゃんと共有してるよね」


「……はい」


「日曜日も空けてあるよね」


「……あります」


「だったら……」


 そこで妻が言葉を止めた。


 続きを聞かなくても分かった。


 だったら、何が不満なの?


 喜咲は、そう聞きたかったのだろう。


 そして俺にも、その答えが見つからなかった。


 * * *

【仕事を選んだ妻は、夫を選ばなかったのですか?】

 夕食のあと、喜咲が俺を呼んだ。


「優。ちょっと話そう」


 ソファに並んで座る。


 妻はスマートフォンをテーブルに置いた。


「朝のことなんだけど」


「……予定表ですか」


「うん」


 喜咲はしばらく画面を見つめてから、口を開いた。


「私ね、ちょっと怖かった」


「……何がですか」


「優に責められるのが」


 思わず妻を見た。


「……俺が?」


「そう」


「……そんなつもりはありません」


「分かってる。でも、予定が増えたって言われたとき、昨日の決断が間違ってたのかなって思った」


 胸が詰まった。


「……違います」


「昨日、優は応援してくれたでしょ」


「……はい」


「すごく嬉しかった。だから今日、頑張ろうって思えた」


 妻は膝の上で手を握った。


「でも、次の日には夫との時間がないって言われたら……」


 言葉が途切れる。


「私、仕事を選んじゃいけなかったのかなって」


「……そんなことはありません」


 今度は、すぐに答えた。


「……喜咲が仕事を選んだことを、後悔してほしくありません」


「じゃあ、何が寂しいの?」


 単純な質問だった。


 なのに、答えるのが難しかった。


 仕事をしている喜咲が嫌なのではない。


 忙しくなることも、覚悟していた。


 昨日、妻は言った。


 仕事もしたい。


 一人になりたい日もある。


 それでも一緒にいる?


 俺は答えた。


『今日も喜咲がいいので』


 その気持ちは、今も変わらない。


 ただ、あのとき俺は一つだけ、考えていなかった。


「……日曜日のことです」


「日曜日?」


「……行き先を、まだ決めていません」


「うん。それが?」


「……俺は、喜咲と相談したかったんです」


 妻が瞬きをした。


「……それだけ?」


「……はい。でも、いつ話せばいいのか分からなくなりました」


 喜咲は黙っていた。


 俺は続けた。


「……予定は残っています。でも、喜咲と話す時間まで予定にしないと消えそうで」


 言葉にした瞬間、胸の奥が少し軽くなった。


 ああ、そうか。


 俺が欲しかったのは、日曜日という一日だけではなかった。


 一緒に行き先を考える時間。


 何を食べたいか聞く時間。


 くだらないことで笑う時間。


 そんな小さな時間が、仕事の予定に押し出されてしまう気がしたのだ。


「……日曜日に会えれば、それで十分だと思っていたんです」


「……うん」


「……でも、本当は違いました」


 俺は妻を見た。


「……喜咲と過ごす時間を、もっと欲しいと思っています」


 妻の目が少し揺れた。


「……だったら、最初からそう言ってよ」


「……すみません」


「私、仕事を選んだから責められてるのかと思った」


「……責めていません」


「うん。今なら分かる」


 喜咲は小さく息を吐いた。


「でもね、優。私も怖かったんだよ」


 妻が俺の手を取った。


「やっと自分で決めたのに、優を寂しくさせてるって分かったら、また迷っちゃいそうで」


 その手は温かかった。


 俺たちは、同じことを恐れていた。


 自分の希望を口にしたら、相手の自由を奪ってしまうのではないか。


 昨日、互いの人生を尊重すると決めたばかりなのに。


 俺は、また自分の本音を飲み込もうとしていた。


「……喜咲」


「何?」


「……俺は、仕事を続ける喜咲を応援しています」


「うん」


「……でも、寂しいときには寂しいと言ってもいいですか」


 妻は少し驚いた顔をした。


 それから、笑った。


「もちろん」


 俺の手を握り直す。


「私も、忙しいって言っていい?」


「……もちろんです」


「一人になりたい日があっても?」


「……はい」


「でも、デートしたい日もある」


「……それは嬉しいです」


 喜咲は俺の肩に頭を預けた。


「じゃあ、全部言おうよ」


「……全部?」


「そう。嬉しいことも、寂しいことも、面倒くさいことも」


 妻が笑う。


「結婚したんだから」


 俺はうなずいた。


 相手の人生を尊重することと、自分の希望を黙ってしまうことは違う。


 そんな当たり前のことを、俺はまた妻に教えられた。


 * * *

【デートを決めるための予約が必要です】

「じゃあ、決めよう」


 喜咲がスマートフォンを取り出した。


「……何をですか」


「日曜日のデート」


「……はい」


「優はどこに行きたい?」


 俺は少し考えた。


「……ゆっくり食事ができるところがいいです」


「いいね」


「……あまり時間を気にしなくていい場所が希望です」


「うん」


「……それから、できれば手をつないで歩きたいです」


 妻が固まった。


「……優」


「何でしょう」


「最後のやつ、急にかわいくない?」


「……四十五歳の男性に対する評価としては、少々複雑です」


「いいじゃん。かわいい夫で」


「……医学的に、かわいさに年齢制限はありません」


「医学を巻き込むな!」


 妻が笑った。


 俺も笑った。


「私はね、おいしいもの食べたい」


「……賛成です」


「あと、仕事のことを考えない時間が欲しいかな」


 その言葉を聞いて、少し安心した。


 妻も同じことを望んでいたのだ。


「……では、候補を探しましょう」


「うん。でも、もう遅いし、今日はあんまり時間ないんだよね」


 喜咲が時計を見た。


 俺も確認する。


「……十五分なら、どうでしょう」


「十五分?」


「……行き先を相談する時間です」


 俺は共有カレンダーを開いた。


《日曜日のデート相談》


《所要時間:15分》


 妻が画面をのぞく。


 そして、数秒間黙った。


「……優」


「何でしょう」


「デートの予約より、デートを決める予約が先って何?」


「……合理的だと思います」


「合理的すぎるわ!」


 喜咲が声を上げて笑った。


「私たち、夫婦だよね?」


「……婚姻届は提出済みです」


「そういう確認じゃない!」


 笑いながら、妻が俺の腕をたたいた。


「でも、ありがと」


「……何がですか」


「ちゃんと一緒に考えようとしてくれて」


 妻は俺の肩にもたれた。


「ねえ、優。全部予定にしなくてもいいんだからね」


「……はい」


「話したいときは、話したいって言って」


「……分かりました」


「私も、忙しいときはちゃんと言うから」


 十五分の相談は、結局二十分になった。


 行き先はまだ決まらなかった。


 それでも、楽しかった。


 明日また候補を見ようと話して、妻はスマートフォンを閉じた。


 予定を管理することが目的ではない。


 二人が話すために、予定を使えばいい。


 その違いを、ようやく理解できた気がした。


 * * *

【消えていない約束】

 寝る前、共有カレンダーを開いた。


 仕事の予定は相変わらず多い。


 これからも増えるのだろう。


 それでも。


《次の日曜日 デート》


《場所:未定》


 その文字は残っていた。


 さらに、今日新しく登録した相談時間もある。


 たった十五分。


 けれど、その時間に俺たちは笑った。


 寂しいと伝えられた。


 妻の不安も聞けた。


 俺はスマートフォンを伏せた。


 もう、今夜は予定表を見なくていい。


「……優」


 ベッドに入った喜咲が呼んだ。


「何でしょう」


「カレンダーには嫉妬しないで」


「……努力します」


「努力目標なの!?」


「……強敵なので」


「だから、相手はカレンダーでしょ!」


 妻が笑った。


 俺も笑った。


 そのときだった。


 喜咲のスマートフォンが短く震えた。


「……あれ?」


 妻が画面を確認する。


 仕事の連絡だった。


 大型プロジェクトの関係者から、今後の予定について確認したいというメッセージ。


 まだ正式な依頼ではない。


 ただ、次の日曜日にも短時間の確認対応をお願いする可能性がある、と書かれていた。


「……日曜日?」


 妻の声が小さくなった。


 俺は何も言わなかった。


 まだ決まったわけではない。


 予定の変更を求められたわけでもない。


 妻がデートを取り消したわけでもない。


 それなのに。


 さっきまで温かかった胸の奥が、急に冷たくなった。


「……優」


 妻がこちらを見る。


「これ、まだ決定じゃないからね」


「……分かっています」


「私も、何でも引き受けるつもりはないよ」


 昨日、妻はそう決めた。


 役割も仕事量も確認する。


 必要なら調整する。


 すべてを一人で背負わない。


 俺は、その決断も応援している。


 だから、いつもなら答えられたはずだった。


 仕事なら仕方ありません。


 必要なら対応してください。


 俺は大丈夫です。


 そう言えば、妻は安心するかもしれない。


 でも、それでは昨日までの俺と同じだ。


 喜咲は画面を伏せた。


 そして、少し迷ってから口を開いた。


「……優」


「……はい」


「もし、日曜日に仕事の連絡が来たら……」


 妻は、俺の答えを待っていた。


 いつもなら「仕事なら仕方ありません」と言えた。


 けれど、今日は。


 どうしても、その言葉が出てこなかった。


第51話 完


次回予告

第6部 第2話/通算第52話

「デートの予定に、仕事を入れないでください」

 ようやく取り戻した、夫婦の時間。


 楽しみにしていた日曜日がやってくる。


 けれど、出かける直前。


 喜咲のスマートフォンに、仕事の確認依頼が届く。


「仕事なら仕方ありません」


 そう言いかけた優は、言葉を飲み込んだ。


 妻の仕事を応援したい。


 でも、今日だけは二人で過ごしたい。


 その二つは、両立できないのだろうか。


 夫婦になってからのデートは、仕事より後回しにしてもいいのですか?




仕事を頑張る相手を応援したい。


でも、夫婦の時間も大切にしたい。


その二つの気持ちは、どちらかを我慢しなければ両立できないのでしょうか。


あなたなら、大切な人との時間をどう守りますか?


ぜひ感想やコメントで聞かせてください。

この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。

Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524

Momokun Official https://momokun.jp/

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