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第4話/通算第34話 「仕事と私、どっちが大事とは聞きたくない」

第4部『夫婦になっても恋人でいられますか?』




前書き




婚姻届を出した。




名字を決めた。




夫婦になった。




これで婚活は終わり。




めでたし、めでたし。




……になるはずでした。




でも、結婚した翌日から始まるのは、




「夫婦として一緒に暮らす」という、もっと面倒な毎日です。




元妻との思い出を、どこに置くのか。




家の中に、誰の居場所を作るのか。




仕事と夫婦の時間を、どう両立するのか。




家事は、どちらがやるのか。




記念日を忘れたら、どうするのか。




そして。




夫婦になったあとも、




「今日もこの人がいい」と思えるのか。




優には、一度結婚して、離婚した過去があります。




喜咲にとっては、初めての結婚です。




同じ「夫婦」になっても、




二人が立っている場所は、少し違う。




だから第4部では、




結婚したから分かり合える二人ではなく、




結婚しても分からないから、何度でも話す二人




を描きます。




恋人から夫婦へ。




でも、




夫婦になったからといって、




恋人であることまで終わる必要はない。




第4部のテーマは、




「夫婦になったあとも、今日この人を選び直す」




です。




付き合ったら、婚活より面倒だった。




では、




結婚したら?




たぶん。




もっと面倒です。




それでも二人は、




一緒にいたいと思えるのでしょうか。




第4部




『夫婦になっても恋人でいられますか?』




始まります。

「優、それ……断れる?」


喜咲が聞いた。


俺はスマートフォンを見る。


病院からの電話は、もう切れている。


呼ばれた。


行く必要がある。


ただ。


本当に、俺でなければならないのか。


そこまで考えていなかった。


「確認します」


「うん」


俺はもう一度、病院へ電話した。


状況を確認する。


短いやり取りのあと、分かった。


俺でなくても対応できる。


少しだけ迷ってから、言った。


「今日は行けません」


電話を切る。


喜咲が俺を見る。


「断れた?」


「はい」


「怒られなかった?」


「怒られてはいません」


「病院、大丈夫?」


「大丈夫です」


言ってから。


二人とも黙った。


喜咲が、じっと俺を見る。


「優」


「はい」


「今の『大丈夫』は、本当に大丈夫?」


「本当に大丈夫です」


「ならいい」


エレベーターの扉が開いた。


俺たちは予定どおり、デートに出た。


近所を歩いて。


まだ開いていたカフェでコーヒーを飲んだ。


九十分。


それだけだった。


でも。


喜咲は楽しそうだった。


俺も楽しかった。


だから俺は。


これで一つ、問題を解決したと思っていた。


違った。


「大丈夫」


三日後。


夕食を一緒に食べる約束をしていた。


仕事帰りに待ち合わせる。


店も予約した。


午後六時十二分。


病院から連絡が入った。


帰れない。


俺は喜咲へメッセージを送った。


《すみません。遅くなります》


すぐに返事が来た。


《大丈夫》


午後七時。


《かなり遅くなりそうです》


《大丈夫。先に食べるね》


そして。


その日の予定はなくなった。


翌日。


「昨日はすみませんでした」


「仕事なんだから仕方ないでしょ」


「怒っていますか?」


「怒ってないよ」


「本当に?」


「大丈夫」


笑っている。


なら。


大丈夫なのだろう。


そう思った。


数日後。


また予定が潰れた。


そして。


また喜咲は言った。


「大丈夫」


大丈夫。


大丈夫。


大丈夫。


喜咲はそう言っている。


だから俺は。


本当に大丈夫なのだと思った。


仕方ないことと、大丈夫なこと


次の休み。


ようやく二人の予定が合った。


昼から出かけるつもりだった。


朝。


電話が鳴った。


俺は画面を見る。


病院。


その瞬間。


隣でコーヒーを飲んでいた喜咲が言った。


「行っていいよ」


まだ何も言っていない。


「内容を確認してからです」


「呼ばれるんでしょ?」


「まだ分かりません」


「大丈夫だから」


また。


その言葉だった。


俺は電話に出た。


話を聞く。


今回は。


行ったほうがいい。


電話を切った。


「すみません」


「うん」


「昼からの予定は」


「また今度でいいよ」


「本当に?」


喜咲が笑った。


「大丈夫」


俺は立ち上がった。


着替える。


鞄を持つ。


玄関へ向かう。


靴を履く。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


ドアノブに手をかけた。


そのとき。


何かが引っかかった。


振り返る。


喜咲は、さっきと同じ場所に座っていた。


コーヒーカップを持っている。


でも。


飲んでいなかった。


「喜咲」


「何?」


「本当に大丈夫ですか?」


「だから、大丈夫だって」


俺は知っている。


この「大丈夫」を。


自分が、何度も使ってきた言葉だからだ。


俺は鞄を置いた。


「少しだけ時間があります」


「病院行くんでしょ?」


「行きます」


「じゃあ早く行ったほうがいいよ」


「その前に確認したいです」


「何を?」


「喜咲が、本当に大丈夫なのか」


「大丈夫だよ」


「それです」


喜咲が黙った。


「俺も、ずっと言っていました」


「何を?」


「大丈夫って」


喜咲の表情が変わった。


「俺が『大丈夫です』って言うと、喜咲は止めましたよね」


「……止めたね」


「今、同じことをしています」


「違うよ」


「何がです?」


「優のは、本音を言わない『大丈夫』でしょ」


「喜咲のは?」


「私は……」


止まった。


その時点で。


たぶん。


答えは出ていた。


「仕事なの、分かってるから」


「はい」


「医者なんだから、急に呼ばれることがあるのも分かってる」


「はい」


「患者さんがいるんでしょ」


「はい」


「だったら仕方ないじゃん」


「はい」


「だから大丈夫」


俺は少し考えた。


そして聞いた。


「仕方ないことと、大丈夫なことは同じですか?」


喜咲が俺を見る。


「……何それ」


「俺も今、気づきました」


「自分が散々『大丈夫』って言ってきた人が?」


「はい」


「腹立つ」


「すみません」


「しかも正論っぽく言う」


「すみません」


「二回謝ればいいと思ってる?」


「三回にしますか?」


「そういう問題じゃない」


少しだけ。


喜咲が笑った。


そして。


すぐに笑顔が消えた。


「聞きたくないんだよね」


「何をです?」


「仕事と私、どっちが大事?」


俺は答えなかった。


喜咲も。


答えを求めているわけではなかった。


「そんなの聞いたって困るでしょ」


「はい」


「仕事が大事じゃないなんて言ってほしくないし」


「はい」


「私より仕事を選ぶなとも言いたくない」


「はい」


「患者さんより私を優先してって言う妻にもなりたくない」


「はい」


「でも」


喜咲の声が小さくなった。


「楽しみにしてた予定がなくなったら」


そこで止まる。


俺は待った。


「……寂しいよ」


初めて。


大丈夫ではない言葉が出た。


「はい」


「映画も見たかった」


「はい」


「ご飯も食べたかった」


「はい」


「今日だって、出かけたかった」


「俺もです」


喜咲が俺を見る。


「だったら最初から言ってよ」


「喜咲もです」


「私は今言った」


「俺も今言いました」


「張り合うな」


喜咲が笑った。


俺も。


少しだけ笑った。


夫婦の「大丈夫禁止検定」


その日の夜。


帰宅したのは遅かった。


喜咲はまだ起きていた。


「おかえり」


「ただいま」


「病院、大丈夫だった?」


「病院は大丈夫です」


「優は?」


反射的に、


大丈夫です、


と言いそうになった。


やめた。


「疲れました」


喜咲が笑った。


「よろしい」


「採点されるんですか?」


「夫婦の『大丈夫禁止検定』」


「禁止なんですか?」


「全部禁止したら日常会話が死ぬでしょ」


「では、どうします?」


「ルール作る?」


「はい」


俺はスマートフォンを出した。


「書くの?」


「忘れるので」


「新婚夫婦って、こんなにルール作るもの?」


「俺たちは必要みたいです」


「自覚あるんだ」


喜咲が笑う。


「じゃあ、一個だけ」


「はい」


「仕事で予定が潰れるのは仕方ない」


入力する。


「でも」


喜咲が続けた。


「キャンセルされたほうは、寂しかったって言っていい」


指が止まった。


「それだけですか?」


「それだけ」


「代わりの日を決めるとか」


「それも大事」


「キャンセル回数の上限は」


「会社の規約みたいにするな」


「では」


俺は画面を見る。


《予定が潰れたら、寂しかったと言っていい》


「これで?」


「うん」


かなり曖昧だ。


数値もない。


期限もない。


でも。


二人が必要だと思うなら。


たぶん。


それでいい。


仕事を減らしたわけではない。


急な呼び出しがなくなるわけでもない。


予定が潰れなくなるわけでもない。


ただ。


寂しいときに、


大丈夫なふりをしなくていい。


それだけだった。


でも。


俺たちには、


それが必要だった。


「寂しいです」


一週間後。


今度こそ。


夕食を食べる予定だった。


俺の仕事は終わった。


予定どおり。


珍しい。


俺は待ち合わせ場所へ向かった。


午後七時。


喜咲からメッセージが来た。


《ごめん》


嫌な予感がした。


《仕事終わらない》


続けて。


《今日、無理かも》


俺は画面を見る。


以前なら。


《大丈夫です》


と返したと思う。


仕事なら仕方ない。


喜咲も忙しい。


俺が我慢すればいい。


でも。


それをやめると決めた。


文字を打つ。


消す。


もう一度打つ。


送信した。


《寂しいです》


既読。


返事が来ない。


一分。


二分。


三分。


電話が鳴った。


喜咲だった。


「もしもし」


『優』


「はい」


『今の何?』


「寂しいです」


『メッセージで見た』


「では、なぜ聞いたんです?」


『確認したかったの!』


「本音です」


電話の向こうで。


沈黙。


それから。


喜咲が言った。


『……それ、ずるい』


「何がです?」


『私が仕事やめて帰りたくなる』


「それは困ります」


『じゃあ言うな』


「言っていいルールです」


『自分で作ったルールに強いな』


「二人で作りました」


喜咲が笑った。


『ごめん。今日は無理』


「はい」


『でも』


「はい」


『私も会いたかった』


胸の奥にあったものが、


少しだけ軽くなった。


予定は潰れた。


会えないことも変わらない。


仕事も減っていない。


何も解決していない。


でも。


大丈夫なふりをする必要は、


なくなった。


夫婦になったら、


相手を困らせないことが優しさだと思っていた。


違うのかもしれない。


困らせるかもしれなくても。


寂しい。


会いたい。


嫌だった。


そう言えることも。


たぶん。


一緒に生きるということなのだ。


『優』


「はい」


『次の休み、絶対デートね』


「分かりました」


『仕事入れないで』


「努力します」


『そこは「はい」って言え』


「はい」


『よろしい』


電話が切れた。


俺は一人で笑った。


そして。


予約していた店をキャンセルする前に、


次の予定をカレンダーへ入れた。


《デート》


今度も。


仕事より先に。


第4部 第4話/通算第34話 完


次回 第4部 第5話/通算第35話


「結婚したら、親戚まで増えるんですか?」


結婚したのは、


優と喜咲。


そのはずだった。


でも。


結婚すると、


家族だけではなく、


親戚まで増える。


「奥さん」


「お嫁さん」


「小鳥遊さん」


悪意はない。


むしろ。


みんな親切だった。


だからこそ。


喜咲は言いづらい。


自分の中から、


「東海林喜咲」が少しずつ薄くなっていく気がする、と。


妻になっても。


喜咲は喜咲。


俺は、そう思っていた。


でも。


結婚して変わったのは、


名字だけではなかった。




優と喜咲は、夫婦になってもまだ恋愛初心者です。


仕事、名字、家族。


結婚したあとに始まる「二人で答えを作る生活」を、これからも描いていきます。


「予定が仕事でキャンセルになったとき、『寂しかった』と相手に言えますか?」


ぜひ感想やコメントで教えてください。

この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。

Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524

Momokun Official https://momokun.jp/

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