第1話/通算31話 「元妻との思い出を、新居に持ち込まないでください」
第4部『夫婦になっても恋人でいられますか?』
前書き
婚姻届を出した。
名字を決めた。
夫婦になった。
これで婚活は終わり。
めでたし、めでたし。
……になるはずでした。
でも、結婚した翌日から始まるのは、
「夫婦として一緒に暮らす」という、もっと面倒な毎日です。
元妻との思い出を、どこに置くのか。
家の中に、誰の居場所を作るのか。
仕事と夫婦の時間を、どう両立するのか。
家事は、どちらがやるのか。
記念日を忘れたら、どうするのか。
そして。
夫婦になったあとも、
「今日もこの人がいい」と思えるのか。
優には、一度結婚して、離婚した過去があります。
喜咲にとっては、初めての結婚です。
同じ「夫婦」になっても、
二人が立っている場所は、少し違う。
だから第4部では、
結婚したから分かり合える二人ではなく、
結婚しても分からないから、何度でも話す二人
を描きます。
恋人から夫婦へ。
でも、
夫婦になったからといって、
恋人であることまで終わる必要はない。
第4部のテーマは、
「夫婦になったあとも、今日この人を選び直す」
です。
付き合ったら、婚活より面倒だった。
では、
結婚したら?
たぶん。
もっと面倒です。
それでも二人は、
一緒にいたいと思えるのでしょうか。
第4部
『夫婦になっても恋人でいられますか?』
始まります。
「これ、何?」
喜咲が持っている写真を見た。
写真の中にいるのは、俺だった。
そして。
俺の隣で笑っているのは、美和だった。
「……写真ですね」
「見れば分かる」
「はい」
「誰との?」
「美和です」
「それも分かる」
「はい」
「じゃあ、私が聞いてること分かる?」
少し考えた。
「なぜ、これがここにあるのか」
「正解」
新婚初日。
婚姻届を出した。
夫婦になった。
手をつないで新居へ帰ってきた。
そして最初に開けた段ボールから、
元妻との写真が出てきた。
我ながら。
かなり悪い。
「すみません」
「謝る前に説明」
「引っ越しのときに、中身を確認していませんでした」
「それは分かる」
喜咲が段ボールの中を見る。
古い写真。
旅行土産。
そして、色違いのペアカップ。
喜咲が一つ持ち上げた。
「これも?」
「美和と使っていたものだと思います」
「……なるほど」
喜咲が黙った。
怒っている。
そう思った。
だから俺は、すぐに答えを出した。
「捨てます」
「待って」
「全部捨てます」
「だから待って」
俺は段ボールを持ち上げかけた手を止めた。
「新居には必要ありません」
「優」
「はい」
「そういうことじゃない」
喜咲が写真を段ボールへ戻した。
静かだった。
だから余計に、何を考えているのか分からなかった。
「嫌じゃないんですか?」
「嫌だよ」
即答だった。
「でも、全部捨てろとは言ってない」
「……違いが分かりません」
「分かれ」
難しい。
喜咲が床に座った。
俺も向かいに座る。
二人の間にあるのは、
俺の過去だった。
「優」
「はい」
「美和さんと結婚してた時間、なかったことにできる?」
「できません」
「でしょ?」
「はい」
「離婚したからって、その前の人生まで消えるわけじゃないじゃん」
俺は段ボールを見る。
写真。
旅行土産。
食器。
昔の俺が選んだもの。
昔の俺が使ったもの。
昔の俺が生きていた時間。
「でも」
喜咲が言った。
「今日から私、ここで暮らすんだよね」
「はい」
「優と」
「はい」
「夫婦として」
「はい」
「返事だけは新婚っぽくないな」
「すみません」
「そこじゃない」
怒られた。
少しだけ。
いつもの喜咲に戻った気がした。
「過去があるのは分かってる」
「はい」
「私だって四十二年生きてきたんだから、何もないわけじゃないし」
「はい」
「でもさ」
喜咲がペアカップを指さした。
「新婚の家の食器棚を開けて、元妻と使ってたペアカップが並んでたら、私は何を飲めばいいの?」
「コーヒーでしょうか」
「そういう話じゃない」
「はい」
間違えた。
「優って、本当にこういうとき強いよね」
「何がです?」
「地雷を踏んでも真顔で次の地雷探すところ」
探してはいない。
だが、否定するとさらに踏みそうなので黙った。
「私が嫌なのは」
喜咲が写真を一枚取った。
「美和さんとの過去じゃない」
「……はい」
「その過去が、何の整理もされないまま、私たちの生活の真ん中に置かれてること」
言われて。
やっと分かった。
これは、
美和の問題ではない。
俺の問題だった。
「すみません」
「またすぐ謝る」
「では、どうすれば」
言ってから気づいた。
まただ。
どうすれば。
喜咲に正解を決めてもらおうとしている。
今日、婚姻届を書くときもそうだった。
名字をどうするか。
俺は、
どちらでもいい、
と言いかけた。
自分の希望を言わず、
決める責任まで相手に渡そうとした。
夫婦になって、
まだ数時間しか経っていない。
それなのに、
もう同じことをしようとしている。
「……俺は」
喜咲が俺を見る。
「うん」
「全部捨てる必要はないと思います」
自分でも少し驚いた。
「うん」
「写真も」
「うん」
「美和と結婚していたことも、離婚したことも、俺の過去です」
「うん」
「なかったことにはしたくありません」
喜咲は何も言わなかった。
怖かった。
でも。
続けた。
「ただ」
段ボールを見る。
「このまま新居に置くのは違うと思います」
「うん」
「喜咲との生活の中に、何も考えず持ち込むものではなかったです」
喜咲が少し笑った。
「言えるようになったじゃん」
「今日、練習しました」
「名字で?」
「はい」
「成長速度、遅いな」
「四十五年かかっていますので」
「そこは医者っぽく分析しなくていい」
◇
二人で段ボールを整理した。
残す。
捨てる。
保留。
「保留、多くない?」
「判断材料が不足しています」
「思い出の整理にエビデンス求めるな」
写真は残すことにした。
ただし、
新居のリビングに飾るものではない。
箱にまとめる。
俺個人の過去として保管する。
ペアカップ。
喜咲が持ち上げる。
「これは?」
「食器としては使えます」
「じゃあ優、これで毎朝コーヒー飲める?」
考えた。
「……嫌です」
「私も嫌」
処分。
次に出てきたのは、
古い映画の半券だった。
「覚えてる?」
「はい」
「美和さんと?」
「はい」
「楽しかった?」
少し迷った。
でも、
嘘をつく理由はなかった。
「楽しかったと思います」
喜咲は半券を見た。
「じゃあ残せば?」
「いいんですか?」
「またそれ」
「……はい」
「私が許可する話じゃないでしょ」
「はい」
「優の人生なんだから」
その言葉が、
胸に残った。
優の人生。
そこには美和との時間もある。
そして今は、
喜咲との時間が始まった。
片方を消さなければ、
もう片方を大切にできないわけではない。
「喜咲」
「何?」
「ありがとうございます」
「何が?」
「捨てろと言わないことです」
喜咲は少し考えた。
「私もね」
「はい」
「美和さんに勝ちたいわけじゃないんだと思う」
俺は黙って聞いた。
「優が一回結婚してることも知ってた」
「はい」
「離婚したことも」
「はい」
「美和さんにも会った」
「はい」
「むしろ私より優の扱い上手かったし」
「それは」
「否定できる?」
「……できません」
「でしょうね」
喜咲が笑った。
でも。
すぐに表情を戻した。
「ただ」
「はい」
「今日、私たち結婚したじゃん」
「はい」
「だから」
喜咲が、
古い写真の入った箱を見る。
それから、
まだ何も入っていない新しい箱を見た。
「今日から始まるものを、ちゃんと大事にしてほしかった」
胸の奥に落ちた。
嫉妬。
ではない。
少なくとも、
それだけではない。
美和との過去を消してほしいわけではない。
俺と喜咲の現在を、
過去と同じ箱へ無造作に入れてほしくない。
そういうことなのだ。
「大事にします」
「うん」
「喜咲との時間を」
「うん」
「でも」
「何?」
「美和との時間も、なかったことにはしません」
喜咲が俺を見る。
「うん」
「それでいい?」
「だから」
喜咲が笑った。
「私に許可取るな」
「……難しいですね」
「結婚?」
「はい」
「初日で言う?」
「事実として」
「さっき役所出たときも言ってたな」
◇
整理が終わった。
古い写真は、
一つの箱にまとめた。
新しい箱は、
まだ空だった。
その横に、
中身を抜いた写真立てが残っていた。
「これ、どうする?」
「使えますね」
「また機能で考えてる」
「写真立てですから」
「じゃあ何入れる?」
考えた。
今のところ、
二人の写真はスマートフォンの中にしかない。
「喜咲との写真」
「……」
「入れたいです」
喜咲が黙った。
「嫌ですか?」
「嫌じゃない」
「では」
「でも」
喜咲がスマートフォンを出した。
「今日の写真、ほとんどないよ」
確かに。
婚姻届。
役所。
新居。
慌ただしくて、
二人の写真をほとんど撮っていない。
「撮りますか?」
「今?」
「はい」
「段ボールだらけだよ」
「今日の記録としては正確です」
「ロマン!」
「必要ですか?」
「少しは必要!」
結局。
段ボールを背景に、
二人で写真を撮った。
一枚目。
俺が真顔すぎて却下。
二枚目。
喜咲が笑いすぎてぶれた。
三枚目。
タイマーに間に合わず、
俺だけ半分しか写っていない。
四枚目。
ようやく、
二人とも写った。
完璧ではない。
新居は散らかっている。
髪も少し乱れている。
俺は笑うのが下手だ。
喜咲は笑いすぎている。
でも。
「これにしよう」
喜咲が言った。
「はい」
「新婚初日の写真」
「はい」
「元妻の写真が出てきた直後だけど」
「説明すると台無しですね」
「説明しなくてもだいぶ台無しだよ」
笑った。
写真立てには、
今日の俺たちを入れることにした。
古い写真は、
古い箱へ。
新しい写真は、
新しい箱へ。
箱のふたに、
喜咲がペンで書いた。
《優と喜咲》
「そのままですね」
「分かりやすいでしょ」
「はい」
「これから増やすから」
「何を?」
「写真」
喜咲が言う。
「旅行とか」
「はい」
「ご飯とか」
「はい」
「喧嘩した日とか」
「喧嘩もですか?」
「あとで笑えるかもしれないじゃん」
「笑えない可能性もあります」
「そのときは捨てる」
「判断が早いですね」
「人生、保留ばっかりにしてたら箱が増えるから」
確かに。
俺は、
《優と喜咲》の箱を棚へ入れようとした。
入らない。
本を少しずらす。
まだ入らない。
仕事の資料を動かす。
ようやく入った。
「入りました」
返事がない。
振り返った。
喜咲が部屋を見ている。
本棚。
収納。
クローゼット。
棚。
俺の本。
俺の仕事の資料。
俺の服。
俺の趣味のもの。
そして。
新しく作った、
《優と喜咲》の箱。
喜咲が、
ゆっくり俺を見る。
「優」
「はい」
「一個、聞いていい?」
「はい」
喜咲は部屋を指さした。
そして言った。
「……で、私の荷物はどこに入れるの?」
第4部 第1話/通算31話 完
次回第4部 第2話/通算32話
「新婚なのに、私の居場所がありません」
元妻との思い出の置き場所は決まった。
ところが、そこで新しい問題が発覚する。
本。
仕事の資料。
服。
趣味のもの。
家の中は、ほとんど優のもので埋まっていた。
「半分空ければいいんですよね?」
「そういうことじゃない」
新婚夫婦、次の戦場は収納です。
「結婚して一緒に暮らすなら、家の中の『自分の場所』はどれくらい欲しいですか?」
感想やコメントで教えてください。
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
Note:momokun https://note.com/momokun1 https://note.com/dreamy_bonobo524
Momokun Official https://momokun.jp/




