第3話「42歳を条件から外す男」
大人のラブコメ、始まります!
恋愛経験はある。
結婚だって経験した。
仕事も、それなりにできる。
なのに、好きな人の前では驚くほど不器用。
45歳のバツイチ医師・小鳥遊優と、婚活に疲れた42歳・東海林喜咲。
二人を引き合わせたのは、運命でも理想の条件でもありません。
「夜の相性も大切です」
プロフィールに残ってしまった、たった一行の誤記でした。
名前を読み間違えて減点され、余計なひと言で怒られ、いい大人二人が恋愛だけは初心者のように右往左往。
それでもなぜか、また会いたくなる。
「条件の合う人」と「好きな人」は、本当に同じなのでしょうか。
笑って、すれ違って、ときどき胸がきゅっとする。
そんな二人の面倒で楽しい大人の恋を、ぜひ見届けてください。
第1部「婚活アプリは恋を保証しない」
「子どもが欲しいので、できれば三十五歳以下の女性がよくて」
東海林喜咲は、笑顔を崩さなかった。
「そうなんですね」
完璧だったと思う。
声も。
表情も。
相手を責めない返事も。
四十二歳。
婚活歴五年。
こういう時の笑い方くらい、とっくに覚えている。
向かいに座る高橋大輔、四十八歳は、申し訳なさそうに続けた。
「東海林さんがどうこう、という意味ではないんです」
「はい」
「すごく話しやすいですし、お仕事もしっかりされているし。ただ、結婚を考えるなら、子どものことは最初に話しておいたほうが誠実だと思って」
「そうですね」
正しい。
腹が立つくらい、正しい。
いや。
正しいから、腹を立てることすらできない。
「だったら」
喜咲は水を一口飲んだ。
「どうして私とマッチしたんですか?」
「ああ、それは」
高橋が少し照れたように笑った。
「プロフィールが面白かったので」
「面白かった?」
「《新商品のプリンを一日に七個食べたことがあります》って」
「そこ?」
「気になって」
喜咲は思わず笑った。
「仕事ですよ」
「でも七個は多いですよね」
その瞬間。
別の男の声が頭に浮かんだ。
『胃は仕事だと思ってくれません』
喜咲の笑顔が止まる。
……なんで今、小鳥遊さんが出てくるのよ。
「東海林さん?」
「何でもないです」
目の前の高橋は、悪い人ではない。
清潔感がある。
話し方も穏やか。
収入も安定している。
店員への態度も丁寧。
そして。
「東海林さん」
「はい」
「しょうじさん、で合ってますよね?」
「……合ってます」
「どうしました?」
「いえ」
一発で読まれた。
普通なら加点だ。
なのに、なぜか物足りない。
『とうかいりんさん?』
『帰ります』
『まだ何も注文してない!』
最悪だった初対面を思い出す。
喜咲は心の中で首を振った。
比較するな。
今日は高橋さんと会っている。
小鳥遊優の再試験ではない。
「もし不快でなければ」
高橋が言った。
「今日は普通に食事を楽しみませんか?」
「いいんですか?」
「せっかく予約しましたから。それに」
少し笑う。
「結婚相手じゃなければ食事をしてはいけない、という規約もないでしょう」
「婚活アプリの?」
「はい」
喜咲も笑った。
やっぱり。
いい人だった。
だからこそ。
胸に刺さった小さな棘を、相手のせいにはできなかった。
四十二歳は、ただの年齢だったはずなのに
食事は普通に楽しかった。
高橋は仕事の話も面白く、聞き上手だった。
会計もスマート。
最後まで減点らしい減点はない。
駅へ向かう途中、高橋が言った。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「最初に失礼な話をしてしまって」
「失礼じゃないですよ。大事なことですから」
これは本心だった。
「東海林さんも、きっといい人が見つかりますよ」
「ありがとうございます。高橋さんも」
笑って別れた。
十歩。
二十歩。
角を曲がって、高橋の姿が見えなくなる。
そこでようやく。
喜咲は笑顔をやめた。
「……疲れた」
駅のホームのベンチに座り、婚活アプリを開く。
自分のプロフィール。
四十二歳。
昨日も四十二歳だった。
今日突然、七歳増えたわけじゃない。
仕事をする時も。
友達と飲む時も。
映画を見る時も。
四十二歳なんて、ただの年齢だ。
なのに婚活アプリでは。
三十五歳以下。
四十歳以下。
子ども希望。
初婚希望。
年収。
職業。
身長。
条件を一つ追加するたび、人が画面から消えていく。
それが婚活だ。
五年もやっている。
分かっている。
それでも。
『できれば三十五歳以下の女性がよくて』
思ったより。
痛かった。
理解できることと。
傷つかないことは。
どうやら別らしい。
「四十二歳は欠点じゃない」
帰宅してソファに座ると、奈緒からメッセージが来た。
《どうだった?》
《いい人だった》
即、既読。
《その言い方はナシだったな》
婚活七年目。
こういう時だけ無駄に鋭い。
《子ども欲しいから35歳以下希望だって》
少し間が空いた。
《傷ついた?》
《別に》
《はい嘘》
《うるさい》
《電話する?》
《今日はいい》
《了解》
それで終わればいいのに。
もう一通。
《四十二歳は欠点じゃないからね》
喜咲は画面を見つめた。
「……分かってるわよ」
分かっている。
慰められると、逆に苦しい。
四十二歳でも大丈夫。
四十二歳なのに若い。
四十二歳は欠点じゃない。
そんなふうに言われるたび。
まるで本当は欠点なのに、みんなで必死に否定しているような気分になる。
私は。
ただ四十二歳なだけなのに。
スマートフォンを伏せる。
今日はもう婚活のことを考えたくない。
プリンでも食べよう。
そう思った時。
スマートフォンが震えた。
奈緒ではない。
表示された名前を見て。
喜咲の指が止まった。
小鳥遊 優。
慰め方を知らない男
《東海林さん》
《何ですか》
《東海林って、一発変換できるようになりました》
「…………」
喜咲は二度読んだ。
《だから?》
《前は「しょうじ」で出なかったので》
《何て打ってたの》
《とうかいりん》
《喧嘩売ってる?》
《違います》
《初対面からずっと売ってるけど》
《事故です》
吹き出した。
なんなの、この会話。
今日のことを何も知らないから。
慰めない。
励まさない。
ただ、名字の変換に成功したことを報告してくる。
《ちなみに「小鳥遊」は出ますか?》
《出る》
《本当に?》
《たかなし》
《すごい》
《なめてる?》
《感動しています》
また笑った。
さっきまで胸に刺さっていた棘が、少しだけ小さくなる。
《小鳥遊さん、暇なの?》
《今、風呂上がりです》
《聞いてない》
《質問されたので》
《医者って会話下手なの?》
《医者全体を巻き込まないでください》
《じゃあ小鳥遊優個人が下手》
少し間があった。
《そこまで限定されると反論しづらい》
喜咲は声を出して笑った。
今日。
こんなふうに笑ったのは初めてだった。
条件から外す男
《東海林さんは今日は何してたんですか》
指が止まった。
言う必要はない。
まだ付き合っていない。
婚活アプリで二回会っただけ。
《婚活》
送った。
既読。
五秒。
十秒。
《そうなんですね》
それだけ。
なんだ。
その返事。
別にいいけど。
何を期待していたの、私は。
《いい人だった》
《よかったですね》
「……腹立つ」
理由は分からない。
《でも条件が合わなかった》
《そうなんですか》
《子ども欲しいから35歳以下が希望だって》
送信してから後悔した。
二回しか会っていない男に話すことじゃない。
《ごめん。忘れて》
そう打ちかけた時。
返信が来た。
《東海林さん、42歳ですよね》
胸の奥が、少し冷えた。
《そうだけど》
《じゃあ条件から外れますね》
分かってる。
そんなこと。
今日、十分分かった。
ところが。
次の一文が来た。
《もったいないですね》
《何が》
《その人が》
喜咲は眉を寄せた。
《なんで》
《東海林さん、面白いのに》
「……そこ?」
《よく笑うし》
続く。
《プリン七個食べるし》
《それ仕事》
《減点厳しいし》
《褒めてる?》
《名前間違えるとずっと言われるし》
《喧嘩売ってる?》
少し間が空いた。
そして。
《でも、一緒にいると楽しいです》
指が止まった。
三十五歳以下。
四十二歳。
条件外。
対象外。
さっきまで数字ばかり見ていた。
でも、この男は。
そこを見ていない。
《だから》
続きが来る。
《年齢だけで会わないなら、俺はもったいないと思います》
喜咲は画面を見つめた。
《小鳥遊さん》
《はい》
《今、慰めようとしてる?》
しばらく返事がない。
《いえ》
《即答》
《慰め方が分からないので》
「でしょうね」
笑ってしまった。
《ただ》
《俺なら、東海林さんを42歳だからって条件から外さないです》
胸が。
一度だけ、強く鳴った。
「……何よ、それ」
四十二歳。
今日一番嫌だった数字を。
この男は、何でもないことみたいに通り過ぎた。
今日いちばん笑った相手
それで会話が終わればよかった。
終わらなかった。
《ところで》
《何》
《東海林の「海」って必要ですか?》
《は?》
《しょうじなら東林でも》
《人の名字を改造するな》
《気になって》
《小鳥遊に鳥いる?》
《います》
《遊んでる?》
《たぶん》
《たぶんって何》
《先祖に聞かないと》
《夜中に笑わせないで》
《笑ったんですか》
《減点》
《なぜ》
《調子に乗るから》
時計を見る。
二十三時を過ぎていた。
いつの間にか、かなり話している。
《明日仕事ですよね》
《小鳥遊さんもでしょ》
《はい》
《寝たら》
《東海林さんが返信するので》
《私のせい?》
《かなり》
《じゃあ返さない》
《困ります》
《なんで》
既読。
少し長い。
《楽しいので》
喜咲は。
また笑った。
《私も》
そう打った。
送信ボタンに指を置く。
でも。
消した。
代わりに。
《減点五点》
《今のどこが!?》
《秘密》
《理不尽です》
《婚活に公平な審判はいません》
《またそれ》
《覚えた?》
《患者さんの検査値も覚えるタイプなので》
《だから私を患者にするな》
送信。
喜咲は時計を見た。
一時間近い。
高橋とは二時間以上食事をした。
いい人だった。
話も楽しかった。
条件もよかった。
それなのに。
今日一番笑った相手は。
今日会った男ではなかった。
プロフィールにない条件
ベッドに入ってから。
喜咲は婚活アプリを開いた。
高橋のプロフィール。
誠実だった。
いい人だった。
子どもが欲しい。
だから三十五歳以下の女性を希望する。
それも高橋にとって、大切な条件なのだろう。
誰も悪くない。
画面を閉じる。
今度は。
小鳥遊優。
四十五歳。
医師。
バツイチ。
真面目。
不器用。
空気を読まない。
名前を間違える。
慰め方を知らない。
減点される。
条件だけなら。
完璧には程遠い。
なのに。
「……なんで、この人なんだろ」
まだ。
好きじゃない。
たぶん。
でも。
話したい。
また会いたい。
嫌なことがあった夜に。
どうでもいい名字の話をしたい。
婚活アプリには、
《つらい日に、くだらない話を一時間できる人》
なんて検索項目はない。
《年齢ではなく、自分を見てくれる人》
というチェックボックスもない。
年齢は検索できる。
年収も。
職業も。
結婚歴も。
子どもの希望も。
でも。
今日一番笑わせてくれる人は。
検索できない。
喜咲はスマートフォンを伏せた。
その時。
また震えた。
「何よ、もう」
優だった。
《すみません。一つだけ》
《何》
《喜咲って一発変換できるようになりました》
「…………」
《今さら!?》
《前は「きしょう」で》
《言うな!》
《すみません》
《減点五十》
《増えてる!》
喜咲は枕に顔を埋めて笑った。
《もう寝る。おやすみ》
すぐに既読がつく。
そして。
《おやすみなさい、喜咲さん》
指が止まった。
名字ではない。
喜咲さん。
たった四文字。
なのに。
画面を消せなかった。
十秒。
二十秒。
「……ずるいなあ」
四十二歳。
婚活歴五年。
いろんな条件を見てきた。
いろんな条件から外されてきた。
自分だって。
いろんな男を条件から外してきた。
なのに今。
条件表のどこにも書けない男が。
少しずつ。
気になり始めている。
婚活アプリは恋を保証しない。
恋というものは。
もしかすると。
条件からはみ出したところから始まるのかもしれない。
喜咲はもう一度だけ画面を見る。
《おやすみなさい、喜咲さん》
小さく笑った。
「おやすみ、優さん」
言葉は。
画面のこちら側だけに落ちた。
まだ。
送れない。
でも。
次に会った時。
自分はこの男を、何と呼ぶのだろう。
それだけが。
なぜか少し。
楽しみだった。
第3話 完
次回 第4話「元妻の話をする男はモテない」
「まだ好き?」
喜咲の質問に、優は即答した。
「ないです」
「早っ」
笑って終わるはずだった。
けれど。
「じゃあ、どうして離婚したの?」
その一言で、優は黙る。
浮気でもない。
大喧嘩でもない。
元妻を嫌いになったわけでもない。
なのに、結婚は終わった。
喜咲はまだ知らない。
優が他人には優しいのに、
自分の本当の気持ちだけは、
驚くほど言葉にできない男だということを。




