第2話「医者だからって、夜に強いとは限りません」
大人のラブコメ、始まります!
恋愛経験はある。
結婚だって経験した。
仕事も、それなりにできる。
なのに、好きな人の前では驚くほど不器用。
45歳のバツイチ医師・小鳥遊優と、婚活に疲れた42歳・東海林喜咲。
二人を引き合わせたのは、運命でも理想の条件でもありません。
「夜の相性も大切です」
プロフィールに残ってしまった、たった一行の誤記でした。
名前を読み間違えて減点され、余計なひと言で怒られ、いい大人二人が恋愛だけは初心者のように右往左往。
それでもなぜか、また会いたくなる。
「条件の合う人」と「好きな人」は、本当に同じなのでしょうか。
笑って、すれ違って、ときどき胸がきゅっとする。
そんな二人の面倒で楽しい大人の恋を、ぜひ見届けてください。
第1部「婚活アプリは恋を保証しない」
二回目のデートで、その質問をするな
「……残念ですか?」
小鳥遊優、四十五歳。医師。
完全停止。
東海林喜咲は、目の前の男が本当に呼吸しているのか、一瞬だけ心配になった。
「小鳥遊さん?」
「…………」
「先生?」
「……今、正解を探しています」
「診察じゃないんだから」
「下手なことを言うと減点されそうなので」
「もうされてます」
「質問された時点で詰んでません?」
喜咲は三秒耐えた。
四秒目で吹き出した。
「ちょ、ちょっと待って……その顔……!」
「笑うところですか?」
「だって、真剣すぎる!」
「こっちは命がかかってるんです」
「婚活で死なないから!」
「社会的には死ぬ可能性があります」
もう駄目だった。
喜咲はテーブルに顔を伏せた。
肩が震える。
笑いが止まらない。
優も最初は困った顔をしていたが、やがてつられたように笑い始めた。
二人で笑った。
前回よりも、ずっと大きく。
周囲の客を気にして声を抑えようとすると、余計におかしくなる。
四十二歳と四十五歳。
婚活アプリで出会った男女が、プロフィールの誤記ひとつで腹を抱えている。
喜咲は思った。
婚活でこんなに笑ったのは、いつ以来だろう。
そもそも。
二回目のデートに来ていること自体、少しだけ悔しい。
初デートの帰り。
自分から、
《次に会ってから決めます》
と送ってしまった。
誤記ではない。
勢いでもない。
もう一度会ってみたいと思った。
だから今日、会っている。
それを認めるのが少し悔しくて。
ほんの少しだけ、嬉しい。
「で」
笑いを収めた喜咲は、水を一口飲んだ。
「改めて確認しますけど」
優の表情が警戒態勢に戻った。
「《夜の相性も大切です》は、本当に誤記ですから」
「はい」
「本当は《夜型なので、生活リズムの相性も大切です》」
「前回聞きました」
「変な意味じゃありませんから」
「分かってます」
「本当に?」
「はい」
喜咲は少しだけ身を乗り出した。
「残念ですか?」
「二回やるんですか!?」
優の声が裏返った。
喜咲はまた笑った。
この人。
やっぱり面白い。
真面目だから面白い。
狙っていないから、もっと面白い。
婚活アプリのプロフィールには、そんなこと一文字も書いていなかった。
医者はモテる、という都市伝説
料理が運ばれてきた。
優が選んだのは、小さなイタリアンだった。
高級すぎない。
安っぽくもない。
静かすぎず、うるさすぎない。
「いい店ですね」
「よかった」
「何軒調べたんですか?」
「三軒です」
「やっぱり」
「何がです?」
「小鳥遊さん、そういうところ妙に真面目ですよね」
「店選びでふざける必要あります?」
「その返しが真面目なの」
優は納得していない顔をした。
喜咲は前菜を食べながら、改めて目の前の男を見る。
四十五歳。
医師。
清潔感あり。
会話もできる。
少なくとも、自慢話を二時間続けるタイプではない。
条件だけなら。
婚活市場では、かなり強いはずだ。
「小鳥遊さん」
「はい」
「医者ってモテるでしょ?」
優のフォークが止まった。
「その質問、困るんですよね」
「なんで?」
「モテると言ったら嫌な奴ですし、モテないと言ったら嘘っぽい」
「じゃあ事実だけ聞きます。モテた?」
「尋問になってません?」
「問診です」
「医者に問診するんですか」
「患者さんの気持ちが分かっていいでしょ」
「婚活の既往歴まで聞かれるとは思いませんでした」
「ありますか? 恋愛の基礎疾患」
「基礎疾患扱いしないでください」
また笑う。
会話が続く。
不思議なくらい。
婚活では沈黙が怖かった。
沈黙が来るたび、
合わないのか。
つまらないと思われたか。
次はないのか。
頭の中で勝手に採点表が開く。
でも。
優との沈黙は少し違う。
この男の場合。
単に考えすぎているだけだと分かってきた。
そして大抵。
考えすぎた末に、妙な答えを出す。
「学生の頃は普通でした」
「出た。普通」
「普通以外にどう表現すれば」
「告白された人数」
「覚えてません」
「モテた男の回答」
「違います」
「じゃあ告白した人数」
「それ、今ここで言う必要あります?」
「あります」
「なぜ?」
「私が面白いから」
「東海林さん、だんだん遠慮がなくなってません?」
「二回目ですから」
優が少し笑った。
「二回目って、そんなに強いんですね」
「一回目を突破した人だけが来られるステージです」
「俺、突破してたんだ」
「ギリギリ」
「まだ減点二点でしたよね?」
喜咲は目を丸くした。
「覚えてるの?」
「患者さんの検査値も覚えるタイプなので」
「私を患者にするな」
二人でまた笑った。
その笑いが落ち着いたあと。
喜咲は何気なく言った。
「でも」
「はい?」
「結婚はしたんですよね」
優の笑顔が。
ほんの少しだけ止まった。
プロフィールには「バツイチ」としか書けない
しまった。
喜咲は思った。
プロフィールには書いてあった。
《婚姻歴:あり》
知っていた。
だから初デートでは触れなかった。
「ごめんなさい。聞かない方がよかった?」
「いえ」
優は首を振った。
「隠していることでもないので」
声はいつも通りだった。
でも。
さっきまでより少しだけ静かだった。
「一度、結婚しています」
「うん」
「離婚しました」
「それもプロフィールで知ってる」
「ですよね」
「私、ちゃんと全部読んでますから」
「夜の相性も?」
「そこに戻すな!」
今度は喜咲が固まった。
優が笑っている。
「仕返しです」
「この人、学習してる……!」
「医者なので」
「絶対関係ないでしょ」
喜咲も笑った。
悔しい。
一本取られた。
けれど。
笑いが消えると、優はグラスへ視線を落とした。
婚活では。
離婚理由は重要だ。
浮気。
借金。
暴力。
家族問題。
価値観の不一致。
再婚相手を探しているのなら、確認して当然なのかもしれない。
条件表だけを見るなら。
聞くべきだ。
でも。
今は少し違った。
この人が何をしたのかではなく。
この人が、どんな顔で離婚を語るのか。
そっちが気になった。
「元妻のこと」
優が先に口を開いた。
「悪く言うつもりはありません」
「うん」
「いい人でした」
それだけだった。
喜咲は待った。
続きはない。
「……そっか」
だから。
喜咲もそれ以上聞かなかった。
まだ二回目だ。
聞けば、答えてくれるのかもしれない。
でも。
全部聞かなければ相手を判断できないわけじゃない。
「東海林さん」
「はい」
「聞かないんですか?」
「何を?」
「離婚した理由とか」
喜咲は少し考えた。
「聞いてほしい?」
「……いえ」
「じゃあ今日は聞かない」
優が顔を上げた。
「婚活なのに?」
「婚活だからって、初診で全部脱がせる必要ないでしょ」
「言い方」
「…………」
「…………」
喜咲は自分の発言を脳内再生した。
そして。
額を押さえた。
「違う! 心の話!」
「分かってます」
「今ちょっと笑ったでしょ!」
「笑ってません」
「医者の顔でごまかすな!」
優が耐えきれず吹き出した。
喜咲も笑った。
最悪だ。
どうしてこの男と話していると、会話が毎回そっちへ転がるのか。
元をたどれば。
自分のプロフィールのせいだった。
さらに最悪だ。
でも。
笑いながら、喜咲は気づいた。
優の目が。
ほんの少しだけ柔らかくなっている。
聞かなかったことを。
たぶん。
嫌がってはいない。
「結婚には向いてないのかもしれません」
デザートが来る頃には、会話はまた軽くなっていた。
仕事の話。
休日の話。
好きな食べ物。
喜咲が仕事で新商品のプリンを一日に七個食べた話をすると、優は真顔になった。
「健康診断、大丈夫ですか?」
「商品企画への感想がそれ?」
「医者なので」
「職業病!」
「でも七個は多いです」
「仕事です」
「胃は仕事だと思ってくれません」
「正論が腹立つ」
優が一瞬考えた。
「胃だけに?」
喜咲はフォークを置いた。
「減点十点」
「なぜ!?」
「今のおじさんギャグ」
「言ってない!」
「言った!」
「たまたまです!」
「四十五歳が『たまたま』で胃をかけたら、それはもうおじさんギャグなの!」
「年齢差別だ!」
また笑う。
優も笑っている。
笑いが落ち着いたところで。
優が、ぽつりと言った。
「こういうの、久しぶりです」
「こういうの?」
「誰かと食事して」
優は少し照れたように水を飲んだ。
「くだらないことで笑うの」
喜咲は返事をしなかった。
できなかった。
今までの会話と。
ほんの少しだけ温度が違った。
「……すみません」
「何が?」
「ちょっと重かったですね」
「別に」
「婚活の二回目で言うことじゃない」
「婚活の二回目で《夜の相性》を何度も確認してる女もいるから」
「三回です」
「数えるな」
優が笑った。
でも。
その笑みはすぐに薄くなった。
「離婚してから」
そこで言葉が止まる。
「次は失敗しないようにしようと思ってました」
「うん」
「条件を見て。相性を考えて。ちゃんとした人を探して」
「うん」
「でも」
優は困ったように笑った。
「そもそも俺、結婚には向いてないのかもしれません」
喜咲は。
茶化さなかった。
茶化せなかった。
この男は。
店を三軒調べる。
質問には正解を探す。
相手に失礼がないように考えすぎる。
何でも真面目にやろうとする。
なのに。
自分自身についてだけは。
妙に自信がない。
「小鳥遊さん」
「はい」
「それ、今決めること?」
優が目を瞬いた。
「え?」
「向いてるか、向いてないかなんて」
喜咲は最後のケーキを切った。
「一回失敗したくらいで決めたら、婚活五年の私はとっくに出場停止よ」
優が吹き出した。
「そこ笑うところ!?」
「すみません」
「減点」
「今のは不可抗力です」
「異議は認めません」
「厳しいなあ」
いつもの会話に戻った。
でも。
少しだけ違う。
さっきまで喜咲が見ていたのは、
《四十五歳・医師・バツイチ》
というプロフィールだった。
今は。
離婚して。
少し傷ついて。
それでも、もう一度誰かと出会おうとしている。
不器用な男が座っている。
プロフィール欄には。
そんなことは書けない。
三回目を断る理由
店を出ると、夜風が気持ちよかった。
駅まで二人で歩く。
前回より。
少しだけ距離が近い。
ような気がする。
気のせいかもしれない。
測るものでもない。
「今日はありがとうございました」
優が言った。
「こちらこそ」
「楽しかったです」
「私も」
今度は。
迷わず言えた。
優が少し笑う。
その顔を見て。
喜咲は余計なことを言った。
「今日の減点、かなり戻りましたよ」
「本当ですか?」
「はい」
「今、何点?」
「秘密」
「そこ教えてくださいよ」
「次に会った時に」
言ってから。
気づいた。
まただ。
また自分から、
次
と言った。
優も気づいたらしい。
「じゃあ」
少しだけ嬉しそうに言う。
「次もあるんですね」
「…………」
「東海林さん?」
「減点」
「なんで!?」
「気づかなくていいところに気づいたから」
「理不尽すぎる!」
「婚活に公平な審判はいません」
「その名言、前にも聞きました」
「覚えてるの?」
「患者さんの検査値も覚えるタイプなので」
「だから私を患者にするな!」
駅前で。
二人はまた笑った。
そして。
「じゃあ、また」
「はい。また」
別れた。
電車に乗った喜咲は、スマートフォンを開いた。
奈緒からメッセージが来ている。
《二回目どうだった?》
少し考える。
《笑った》
すぐ既読。
《また?》
《また》
《で?》
《何が》
《また会いたい?》
喜咲の指が止まった。
前回なら。
少し迷った。
今日は。
《まあ》
送信。
三秒後。
《好きじゃん》
《違う》
《じゃあ何》
喜咲は考えた。
《経過観察》
即座に返ってきた。
《医者に影響されてんじゃねえよ》
「……うるさい」
喜咲は笑いながらスマートフォンを伏せた。
その頃。
優のスマートフォンにも神崎からメッセージが来ていた。
《二回目どうだった》
《楽しかった》
《夜の相性は》
《誤記だった》
既読。
沈黙。
やがて。
《お前、残念だった?》
優は眉をひそめた。
《東海林さんにも同じことを聞かれた》
《で、なんて答えた》
《答えられなかった》
《四十五歳医師、診断不能》
《うるさい》
優はスマートフォンを伏せた。
けれど。
すぐにまた手に取った。
婚活アプリを開く。
東海林喜咲。
四十二歳。
食品メーカー企画職。
婚活歴五年。
よく笑う。
減点が厳しい。
名前を間違えると一生言われる。
そして。
自分が、
「結婚には向いてないのかもしれません」
と言った時。
笑わなかった。
プロフィールには書かれていない情報が。
少しずつ増えている。
その時。
メッセージが届いた。
喜咲からだった。
《今日はありがとうございました》
続けて。
《次はもっと楽しい話にしましょう》
優は画面を見る。
次。
前回も見た二文字。
なのに。
今回は少し違って見えた。
《はい。次は減点ゼロを目指します》
すぐ返ってくる。
《無理です》
《即答》
《医者だからって、婚活に強いとは限りませんね》
優は笑った。
《認めます》
少し間が空いた。
そして。
新しいメッセージが届く。
《でも、今日の小鳥遊さんは前回より好きでした》
優の指が止まった。
心臓も。
たぶん一拍。
止まった。
直後。
もう一通。
《人として、です。変な意味じゃありませんから》
「…………」
優は天井を見上げた。
この人は。
どうして毎回。
最後の一行で全部ひっくり返すんだ。
返信欄を開く。
書く。
消す。
また書く。
消す。
そして。
送った。
《残念です》
既読。
三秒。
五秒。
十秒。
《減点二十》
「なんで!?」
誰もいない部屋で叫んだ。
その直後。
もう一通。
《でも、また会いましょう》
優は画面を見つめた。
減点二十。
なのに。
たぶん今。
初デートの前より、ずっと点数は高い。
婚活アプリは恋を保証しない。
条件が合っても、好きになるとは限らない。
条件だけでは分からないこともある。
二回目のデートを終えた二人は。
まだ恋人ではない。
好きだとも言わない。
ただ。
三回目を断る理由だけは、もう探していなかった。
第2話 完
次回 第3話「42歳を条件から外す男」
次の婚活相手は、悪い人ではなかった。
だからこそ。
その一言は、思った以上に痛かった。
「子どもが欲しいので、できれば三十五歳以下の女性がよくて」
四十二歳。
笑顔で別れた喜咲は、一人になってから、自分が傷ついていることに気づく。
そんな夜。
優から届いたのは、慰めでも励ましでもなかった。
《東海林って、一発変換できるようになりました》
「……何、この人」
気づけば一時間。
今日いちばん笑った相手は、今日会った男ではなかった。




