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第9話/通算29話 「二回目の結婚式は、初めてになりませんか?」

第3部 再婚は恋愛より難しい




結婚することは、決まりました。




めでたし、めでたし。




……で、終わると思っていました。




「優。結婚したら、どこに住む?」




「……今の家では?」




「どっちの?」




「…………」




家をどうする。




家事をどう分ける。




お金をどうする。




親への挨拶は?




結婚式は?




名字は?




そして、再婚するなら避けて通れない。




元妻のことは、どうする?




恋人だったときは、「好き」で乗り越えられた。




でも結婚しようとすると、二人の人生そのものをすり合わせなければならない。




しかも優にとっては二度目。




喜咲にとっては初めて。




過去のある男と、これからを始めたい女。




二人が選んだのは、




「失敗しない結婚」ではありません。




失敗したときも、黙らずに話せる二人になること。




けれど、その答えにたどり着くまでには。




「結婚って、こんなに面倒なの?」




「……婚活より面倒かもしれません」




恋人から夫婦へ。




40代の二人の、やたら現実的で、ちょっと面倒で、それでも笑える再婚準備が始まります。




第3部「再婚は恋愛より難しい」




結婚を決めた二人に待っていたのは、




恋愛よりずっと厄介な「現実」でした。

「優は前の結婚でも、こういうのやった?」


「はい」


答えてから。


遅れて気づいた。


喜咲が聞いているのは、事実だけではない。


白いウェディングドレス。


長いベール。


少し赤い頬。


さっきまで鏡の中の自分を見て、あんなに嬉しそうに笑っていた喜咲が。


今は、鏡越しに俺を見ている。


「……やったんだ」


「はい」


「衣装合わせも?」


「しました」


「そっか」


喜咲は鏡へ視線を戻した。


それだけだった。


責められたわけではない。


怒ってもいない。


でも。


さっきまでとは何かが違う。


「喜咲」


「何?」


「気になります?」


「何が?」


「前の結婚式」


「別に」


出た。


駄目なときの「別に」。


最近、判別精度が上がっている。


あまり嬉しくない能力だ。


「今の『別に』は」


「診断しないで」


「まだ何も言ってません」


「顔に書いてある」


怒られた。


でも。


喜咲は笑わなかった。


◇


衣装合わせを終えて、サロンを出た。


駅へ向かって歩く。


喜咲はいつもより少し静かだった。


「喜咲」


「何?」


「さっきの話」


「まだ続けるの?」


「続けない方がいいですか?」


「……そう聞かれると困る」


「では、聞きます」


「何その結論」


「昨日決めたので」


「何を?」


「困ったときほど、黙らない」


喜咲が俺を見る。


「それ、自分が黙らないって話だったでしょう」


「相手が黙っているのを放置していいとは聞いてません」


「契約書みたいに解釈しないで」


また怒られた。


でも。


今度は少し笑った。


「前の結婚式のこと、聞きたいですか?」


喜咲はすぐには答えなかった。


「……聞いたら嫌?」


「嫌ではありません」


「本当に?」


「答えられることなら」


「じゃあ」


少し間が空いた。


「どんな式だった?」


「ホテルでした」


「大きかった?」


「八十人くらいだったと思います」


「結構ちゃんとやったんだ」


「そうですね」


「指輪も?」


「買いました」


「新婚旅行は?」


「行きました」


「どこ?」


答えた。


喜咲は「そっか」と言った。


それから。


黙った。


三つ聞いて。


三回とも。


答えは、同じだった。


俺には経験がある。


「喜咲」


「うん」


「何が気になってるんです?」


「別に」


「二回目です」


「数えなくていい」


「でも」


「本当に、美和さんに嫉妬してるとかじゃないから」


初めて。


美和の名前が出た。


「分かっています」


「勝ちたいわけでもない」


「はい」


「前の結婚をなかったことにしてほしいわけでもない」


「はい」


「だって、それがあったから今の優がいるんでしょう?」


俺は少し驚いた。


「そうだと思います」


「だったら、消してほしいなんて思わない」


「はい」


「でも」


喜咲の足が止まった。


俺も止まる。


「何です?」


「……分かんない」


「何が?」


「自分でも」


喜咲は困ったように笑った。


「ちょっとだけ、寂しくなった」


◇


駅前のカフェに入った。


喜咲はカフェラテ。


俺はコーヒー。


向かい合って座る。


「さっきね」


喜咲が言った。


「ドレス着たとき、すごく嬉しかった」


「そう見えました」


「本当は、かなり浮かれてた」


「それも見えました」


「そこは見ないでよ」


「無理です」


白いドレスで、あれだけ嬉しそうに笑っていた。


見ない方が難しい。


「42歳で何浮かれてるんだって、自分でもちょっと思ったけど」


「それはもう解決しました」


「何が?」


「喜咲が着たい年齢が、着る年齢です」


喜咲が黙った。


「……それ」


「はい」


「もう一回言うの、ずるくない?」


「なぜです?」


「分かってないならいい」


また分からない。


だが。


今は追及しない。


喜咲はカフェラテのグラスを両手で持った。


「私にとっては、初めてなんだよね」


「はい」


「ウェディングドレスも」


「はい」


「結婚指輪も」


「はい」


「結婚式も」


「はい」


「結婚するのも」


そこで。


喜咲は少しだけ笑った。


でも。


その笑顔は寂しそうだった。


「全部、初めて」


「はい」


「なのに優は、全部やったことあるんだなって」


俺は答えなかった。


ようやく。


喜咲が何を気にしているのか。


少し分かった気がした。


「頭では分かってるんだよ?」


喜咲は続けた。


「優がバツイチなの、最初から知ってた」


「はい」


「結婚してたんだから、式もする。指輪も買う。旅行だって行く」


「はい」


「当たり前なの」


「そうですね」


「だから、こんなの気にする方がおかしいと思ってた」


「おかしくはないと思います」


「そう?」


「はい」


「何で?」


「知っていたことと、気にならないことは同じではないので」


喜咲が俺を見る。


「……最近、急にまともなこと言うよね」


「最近?」


「前はもっと駄目だった」


「評価が厳しいですね」


「三十点から七十点になったくらい」


「かなり上がってます」


「喜ぶんだ」


「上昇率は高いです」


喜咲が笑った。


少しだけ。


空気が戻る。


でも。


まだ終わっていない。


「喜咲」


「うん」


「もう少し聞いていいですか?」


「何?」


「一番嫌なのは何です?」


喜咲は考えた。


長くはなかった。


「……優が慣れてること」


「慣れてる?」


「うん」


喜咲は視線を落とした。


「私が一個一個ドキドキしてる横で」


少しだけ。


声が小さくなる。


「優は、一回通った道なんだなって思うこと」


その言葉が。


一番分かりやすかった。


「今日だって」


「はい」


「私、ドレス着るだけで緊張してた」


「はい」


「でも優は、前にもドレス姿の人を待ってたんでしょう?」


「……はい」


「指輪を選ぶのも二回目」


「はい」


「結婚式を決めるのも二回目」


「はい」


「婚姻届を書くのも」


喜咲が俺を見る。


「二回目」


「はい」


否定できない。


全部。


事実だ。


「私だけが初めてなの、ちょっと嫌」


画像

ようやく。


本当の言葉が出た。


◇


俺は考えた。


何と答えるべきか。


「気にしなくていい」


違う。


気にしているのだから。


「過去のことです」


違う。


過去が消えるわけではない。


「今は喜咲しか見ていません」


たぶん。


そういう話でもない。


「前より幸せです」


一番駄目だ。


比較してどうする。


「……ごめん」


喜咲が言った。


「何がです?」


「困るよね」


「困っています」


「そこは否定してよ」


「嘘になるので」


「本当にそういうところあるよね」


「でも」


俺は喜咲を見る。


「喜咲が面倒だから困っているわけではありません」


「じゃあ何?」


「ちゃんと答えたいからです」


喜咲が黙った。


俺はもう一度考える。


美和との結婚は消えない。


結婚式をした。


指輪も買った。


旅行にも行った。


夫婦だった。


それを。


喜咲を安心させるために小さく言うのは違う。


「喜咲」


「うん」


「結婚式は二回目です」


喜咲の表情が止まった。


言い出しとしては。


かなり悪い。


でも。


ここを誤魔化したくなかった。


「指輪を選ぶのも二回目です」


「うん」


「婚姻届を書くのも二回目になります」


「……うん」


「それは変えられません」


喜咲は何も言わない。


「でも」


一度、息を吸った。


「喜咲と結婚するのは初めてです」


喜咲が俺を見る。


「……それ」


「はい」


「屁理屈じゃない?」


「そうかもしれません」


「二回目は二回目でしょう」


「はい」


「経験済みじゃん」


「はい」


「じゃあ何が初めてなの?」


俺は少し考えた。


今度は。


答えが出た。


「喜咲がウェディングドレスを着て出てくるのを待つのは、今日が初めてでした」


喜咲が黙る。


「喜咲と結婚式をどうするか考えたのも初めてです」


「……うん」


「離婚しない約束ではなく、黙らない約束をしたのも」


「うん」


「喜咲と新しい家を探したのも」


俺は言った。


「全部、初めてです」


喜咲は何も言わなかった。


だから。


最後に一つだけ言った。


「俺にとって、結婚は二回目です」


「うん」


「でも」


喜咲を見る。


「喜咲との結婚は、一回目です」


沈黙。


少し長い。


失敗したか。


そう思ったとき。


喜咲が顔をそらした。


「……それ、ずるくない?」


「何がです?」


「そういうの」


「どういうのです?」


「分かってないならいい」


耳が。


少し赤い。


たぶん。


間違った答えではなかったらしい。


◇


一週間後。


俺たちは結婚指輪を見に来ていた。


「優」


「はい」


「これと、これなら?」


二つの指輪を見せられた。


危険な質問だ。


「どちらでも」


言いかけた。


止めた。


喜咲の目が細くなる。


「今、言いかけたよね?」


「生存しました」


「何から?」


「選択ミスから」


どこかで同じ会話をした気がする。


二つを見る。


正直。


違いは分かる。


ドレスよりは。


少しだけ。


「こっち」


右を指す。


「理由は?」


「喜咲に似合いそうだから」


「またそれ?」


「今回は指輪です」


「具体性は?」


「細い方が喜咲の指に合うと思います」


喜咲が自分の手を見る。


「……成長した」


「七十五点くらいですか?」


「七十二点」


「二点上がりました」


「細かい」


喜咲が笑った。


今度は俺の指輪を選ぶ。


「優は?」


「何がです?」


「どれがいい?」


「どれでも」


「はい、アウト」


早かった。


「俺の指輪ですよ?」


「だからでしょう」


「機能は同じでは?」


「結婚指輪に機能性を求めないで」


「外れにくい方が」


「そういうところ」


結局。


俺もいくつか試した。


指輪をつける。


久しぶりだった。


「どう?」


喜咲が聞く。


「違和感があります」


「前もつけてたでしょう?」


その瞬間。


二人とも止まった。


一週間前なら。


少し気まずくなったかもしれない。


でも。


今日は違った。


「はい」


俺は答えた。


「つけてました」


「そっか」


「でも」


「うん」


俺は左手を見る。


「この指輪をつけるのは初めてです」


喜咲が俺を見る。


一秒。


二秒。


「……優」


「はい」


「それ、便利に使い始めてない?」


「駄目ですか?」


「駄目」


「なぜ?」


「何でも『喜咲とは初めて』で解決しようとしてる」


「事実ですが」


「屁理屈です」


「前回も言われました」


「成長してないじゃん」


笑われた。


でも。


喜咲は俺の左手を取った。


指輪を見る。


「これ、どう?」


「俺は好きです」


「じゃあ、これにする?」


「はい」


「本当に?」


「はい」


「前の指輪と比べてない?」


少しだけ。


いたずらっぽい顔だった。


だから。


俺も正直に答えた。


「比べてません」


「本当?」


「前の指輪をほとんど覚えていないので」


「それはそれで美和さんに怒られそう」


「もう怒られる立場ではありません」


「また言った」


二人で笑った。


店員が少し困った顔で笑っている。


そして。


指輪が決まった。


喜咲の指輪。


俺の指輪。


二人で選んだ。


一度目とは違うから選んだわけではない。


前より高いからでも。


前より特別だからでもない。


今。


二人でこれがいいと思った。


それだけだった。


「ねえ、優」


店を出てから、喜咲が言った。


「はい」


「分かったかも」


「何がです?」


「初めてじゃなくてもいいんだね」


俺は喜咲を見る。


「私、たぶん」


喜咲は左手を見る。


まだ指輪はない。


受け取りは後日だ。


それでも。


薬指を少しだけ触った。


「優にも全部、私と同じくらい初めてでいてほしかったんだと思う」


「はい」


「でも無理じゃん」


「はい」


「そこは少しくらい否定してよ」


「物理的に無理なので」


「ほんと、そういうところ」


「すみません」


喜咲が笑う。


「でも」


「はい」


「同じ回数じゃなくても、一緒に始めることはできるから」


俺は。


その言葉を頭の中で繰り返した。


同じ回数じゃなくても。


一緒に始める。


たぶん。


再婚というのは。


そういうものなのかもしれない。


◇


家。


家事。


お金。


親。


元妻。


婚前契約。


結婚式。


指輪。


一つずつ。


俺たちは話した。


何度も止まった。


何度も意見が違った。


何度も。


「大丈夫」


と言いかけた。


そのたびに。


少しずつ話した。


そして。


残る大きな問題は。


もうほとんどない。


そう思っていた。


その夜。


俺の家で、結婚関係の書類を整理していた。


「式場、これで終わり」


喜咲がファイルへ書類を入れる。


「はい」


「指輪は来月受け取り」


「カレンダーに入れました」


「新居の契約も終わった」


「はい」


「両親への連絡も」


「終わっています」


「じゃあ」


喜咲が一枚の紙を取り出した。


「最後」


テーブルに置かれた。


婚姻届。


「これ書けば終わり?」


「提出もあります」


「そういう意味じゃない」


「では、ほぼ終わりです」


「ほぼ、ね」


喜咲がペンを持つ。


俺も持った。


氏名。


生年月日。


住所。


本籍。


父母の氏名。


一つずつ。


欄を埋めていく。


順調だった。


今までの結婚準備が嘘のように。


迷わない。


揉めない。


止まらない。


そして。


俺たちのペンが。


同時に止まった。


《婚姻後の夫婦の氏》


夫の氏。


妻の氏。


二つの選択肢。


俺は喜咲を見る。


喜咲も俺を見る。


沈黙。


そういえば。


ずっと。


先送りしていた。


「……優」


「はい」


喜咲が婚姻届を指さす。


「名字」


「はい」


「どっちにする?」


答えは。


まだ。


決まっていなかった。




第3部 第9話/通算29話 完

次回 第3部 第10話/通算30話

「付き合ったら、婚活より面倒でした」

家を決めた。


家事も決めた。


お金のことも話した。


親にも会った。


元妻にも報告した。


婚前契約についても話した。


結婚式も、指輪も決めた。


あとは婚姻届を出すだけ。


そのはずだった。


《婚姻後の夫婦の氏》


たった一つの欄を前に、二人のペンが止まる。


「名字、どっちにする?」


第3部、最終話。


恋人なら「好き」でいられた。


夫婦になるには、最後まで決めることが多すぎる。


そして二人は、ようやく気づく。


「結婚って、こんなに面倒なの?」


「婚活より面倒ですね」


婚活の終わり。


そして、結婚生活の始まりへ。


「相手にとっては二回目。でも、自分にとっては初めて」


あなたなら、少し気になりますか?


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