第8話/通算28話 「結婚式、誰のためにやるんですか?」
第3部 再婚は恋愛より難しい
結婚することは、決まりました。
めでたし、めでたし。
……で、終わると思っていました。
「優。結婚したら、どこに住む?」
「……今の家では?」
「どっちの?」
「…………」
家をどうする。
家事をどう分ける。
お金をどうする。
親への挨拶は?
結婚式は?
名字は?
そして、再婚するなら避けて通れない。
元妻のことは、どうする?
恋人だったときは、「好き」で乗り越えられた。
でも結婚しようとすると、二人の人生そのものをすり合わせなければならない。
しかも優にとっては二度目。
喜咲にとっては初めて。
過去のある男と、これからを始めたい女。
二人が選んだのは、
「失敗しない結婚」ではありません。
失敗したときも、黙らずに話せる二人になること。
けれど、その答えにたどり着くまでには。
「結婚って、こんなに面倒なの?」
「……婚活より面倒かもしれません」
恋人から夫婦へ。
40代の二人の、やたら現実的で、ちょっと面倒で、それでも笑える再婚準備が始まります。
第3部「再婚は恋愛より難しい」
結婚を決めた二人に待っていたのは、
恋愛よりずっと厄介な「現実」でした。
「俺は、どちらでも」
「……私も、どちらでもいい」
意見は一致した。
少なくとも。
昨日の俺は、そう思っていた。
◇
「では、挙式についてですが」
ブライダルサロンの担当者が、パンフレットを開いた。
白いチャペル。庭園。披露宴会場。
ページの中では、知らない新郎新婦が全員幸せそうに笑っている。
「ご家族だけの少人数婚から、ご友人や職場の皆さまをお招きする披露宴までございます。お二人は、どのくらいの規模をお考えですか?」
「俺は、どちらでも」
言ってから、隣を見た。
喜咲が笑っている。
笑っているのに、なぜか怖い。
「あ」
昨日決めたばかりだった。
困ったときほど、黙らない。
大丈夫じゃないのに、大丈夫と言わない。
そして俺は開始三分で、新しい禁止語を増やしたらしい。
「……今の、駄目でした?」
「別に」
駄目なときの「別に」だ。
医学書には載っていない。
でも、離婚経験者には分かる。
たぶん。
「喜咲は?」
「私も、どちらでもいいよ」
昨日と同じ答えだった。
担当者が俺たちを交互に見る。
「では、ご親族中心でご検討されますか?」
「そうですね」
親は見たいだろう。
友人も何人かは呼びたい。
職場まで広げると、誰を呼んで誰を呼ばないかの方が大仕事になる。
「家族と、本当に親しい友人だけなら」
俺が言うと、喜咲もうなずいた。
「私も、それくらいでいいかな」
話はまとまった。
はずだった。
なのに。
喜咲は、さっきからパンフレットの同じページを見ていた。
ウェディングドレスのページだった。
◇
サロンを出て、駅へ向かう。
「優」
「はい」
「小さい式でいいよね」
「俺はそう思っています」
「家族と友達だけ」
「はい」
「派手なのもいらない」
「俺もです」
喜咲は「そっか」と言った。
それだけだった。
昨日までの俺なら、ここで話は終わっていたと思う。
意見は一致した。
問題は解決した。
次へ進めばいい。
でも。
昨日、俺たちは十三文字を決めた。
『困ったときほど、黙らない。』
あれは俺専用の注意書きではない。
たぶん。
「喜咲」
「何?」
「本当はどうしたいです?」
足が止まった。
「何が?」
「結婚式」
「だから、小さい式でいいって」
「それは規模の話です」
喜咲が俺を見る。
「俺が聞いてるのは、喜咲が何をしたいかです」
「……急にどうしたの?」
「昨日、黙らないと決めたので」
「それ、自分が黙らないって話じゃなかった?」
「相手が黙っているのを放置していいとは書いてません」
「契約書みたいに解釈しないで」
怒られた。
でも、喜咲は歩き出さなかった。
俺も急かさなかった。
答えを当てる必要はない。
聞けばいい。
昨日、ようやく分かったことだ。
しばらくして。
喜咲が小さく息を吐いた。
「……笑わない?」
「内容によります」
「そこは笑わないって言うところでしょう」
「では、笑いません」
「遅い」
喜咲は俺から目をそらした。
そして、駅前のショーウインドーを見るようなふりをして言った。
「一度くらい」
「はい」
「ウェディングドレス、着てみたかった」
声は小さかった。
さっき式場で「どちらでもいい」と言った人の声ではなかった。
「じゃあ、着ればいいじゃないですか」
「簡単に言うね」
「難しいんですか?」
「私、42歳だよ?」
「はい」
「そこは否定してよ」
「年齢は否定できません」
「医者、本当にそういうところあるよね」
「職業は関係ないと思います」
「もっと悪い」
喜咲が笑った。
でも、その笑いはすぐに小さくなった。
「二十代の頃は、普通に考えてたんだよね。結婚したらドレス着るんだろうなって」
「はい」
「でも、そのうち結婚しなくてもいいかなって思うようになって。婚活を始めた頃には、式なんて別にいらないって思ってた」
少し間が空く。
「お金もかかるし。今さらって感じもするし」
今さら。
その言葉だけが引っかかった。
「ウェディングドレス着たいって、42歳で言うの、ちょっと恥ずかしい」
俺には、よく分からなかった。
だから、そのまま聞いた。
「どうしてです?」
「どうしてって……若い子が着るイメージあるでしょう」
「でも、喜咲が着たいんですよね?」
「……うん」
それなら。
答えは俺には簡単だった。
「喜咲が着たい年齢が、着る年齢でしょう」
喜咲が止まった。
俺を見る。
何も言わない。
「……何です?」
「優」
「はい」
「そういうこと、急に言うのずるくない?」
「何がです?」
「分かってないならいい」
顔をそらされた。
耳が少し赤い。
たぶん。
間違った答えではなかったらしい。
◇
一週間後。
俺たちは、またブライダルサロンにいた。
今度は打ち合わせではない。
衣装合わせだった。
「本当に今日やるの?」
「予約しましたから」
「心の準備ってものがあるでしょう」
「一週間ありました」
「こういうときだけ計画的だよね」
「仕事でも準備は大切なので」
「手術じゃないから」
どこかで聞いた会話だった。
衣装室には、白いドレスが並んでいた。
同じ白なのに全部違う。
レース。
シルク。
袖のあるもの。
肩が出るもの。
裾が長いもの。
俺には半分も違いが分からない。
喜咲は違うらしい。
さっきまで「恥ずかしい」と言っていたのに、スタッフに説明されるうちに顔が真剣になっていく。
「優」
「はい」
「これと、これなら?」
二着を示された。
危険な質問だ。
「どちらでも」
言いかけて止めた。
喜咲の目が細くなる。
「今、言いかけたよね?」
「生存しました」
「何から?」
「選択ミスから」
二着を見る。
正直、どちらも白い。
でも。
「こっち」
右を指した。
「理由は?」
「喜咲に似合いそうだから」
「具体性ゼロ」
「まだ着てないので」
「じゃあ、着てくる」
「お願いします」
試着室のカーテンが閉まった。
俺は椅子に座った。
不思議だった。
一度目の結婚でも、似たような場所に座ったことがある。
ドレスを待った。
式場を決めた。
指輪も選んだ。
その記憶は消えていない。
でも今は。
過去のことより、カーテンの向こうにいる喜咲が、どんな顔で出てくるのかが気になった。
「お待たせしました」
スタッフの声。
カーテンが開いた。
白いドレスを着た喜咲が立っていた。
言葉が止まった。
「……どう?」
聞かれている。
答えなければならない。
「考えています」
「そこ考えるところ?」
「違います」
立ち上がった。
「似合ってます」
喜咲が待っている。
「すごく」
「足しただけじゃん」
「語彙が足りません」
「普段あれだけ理屈っぽいのに」
「こういうときに使える理屈がないんです」
喜咲が吹き出した。
鏡を見る。
スタッフがベールを整える。
その間も、喜咲は鏡の中の自分を見ていた。
少し照れている。
でも。
嬉しそうだった。
「……着てよかった」
小さな声だった。
俺は、その一言で十分だった。
「はい」
「優」
「何です?」
「ありがと」
「俺は何もしてません」
「そういうところ」
「はい?」
「まあいいや」
分からない。
でも。
分からなければ聞けばいい。
そう思えるようにはなった。
「何がです?」
「今は教えない」
「昨日の約束は?」
「困ってないから対象外」
また抜け道を使われた。
やはり契約書は必要だったかもしれない。
喜咲はもう一度、鏡を見る。
白いドレス。
少し赤い頬。
さっきより自然な笑顔。
その顔を見て。
俺もようやく思った。
結婚式をするか、しないか。
そんな二択ではなかった。
誰を呼ぶのか。
何をするのか。
何をしないのか。
そして。
自分たちは何をしたいのか。
「結婚式って」
喜咲が鏡越しに言った。
「誰のためにやるんだろうね」
親のため。
友人のため。
相手のため。
自分のため。
たぶん、一つではない。
「少なくとも」
俺は言った。
「やりたい人が我慢するためにやるものではないと思います」
「それ、答えになってる?」
「俺なりには」
「七十点」
「高いですね」
「昨日まで三十点だったから」
上がった。
悪くない。
喜咲が笑う。
俺も笑った。
今度こそ。
意見が一致した気がした。
そのときだった。
喜咲が鏡越しに俺を見た。
「ねえ、優」
「はい」
「一つ、聞いていい?」
「何です?」
喜咲は自分のドレスを見た。
それから。
俺を見る。
「優は前の結婚でも、こういうのやった?」
第8話/通算28話 完
次回 第3部 第9話/通算29話
「二回目の結婚式は、初めてになりませんか?」
優にとっては、二回目。喜咲にとっては、初めて。
結婚式。指輪。新婚旅行。
比べたいわけじゃない。過去を消してほしいわけでもない。
それでも、喜咲の胸に小さな引っかかりが生まれる。
「私だけが初めてなの、ちょっと嫌」
二回目の結婚は、本当に「二回目」なのか。
次回、二人が向き合うのは、元妻ではなく、比べたくないのに比べてしまう気持ち。
結婚式で「本当はやりたいけれど、今さら言いにくい」と感じることはありますか?
この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。
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