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第7話/通算27話 「結婚する前から離婚の話をするんですか?」

第3部 再婚は恋愛より難しい




結婚することは、決まりました。




めでたし、めでたし。




……で、終わると思っていました。




「優。結婚したら、どこに住む?」




「……今の家では?」




「どっちの?」




「…………」




家をどうする。




家事をどう分ける。




お金をどうする。




親への挨拶は?




結婚式は?




名字は?




そして、再婚するなら避けて通れない。




元妻のことは、どうする?




恋人だったときは、「好き」で乗り越えられた。




でも結婚しようとすると、二人の人生そのものをすり合わせなければならない。




しかも優にとっては二度目。




喜咲にとっては初めて。




過去のある男と、これからを始めたい女。




二人が選んだのは、




「失敗しない結婚」ではありません。




失敗したときも、黙らずに話せる二人になること。




けれど、その答えにたどり着くまでには。




「結婚って、こんなに面倒なの?」




「……婚活より面倒かもしれません」




恋人から夫婦へ。




40代の二人の、やたら現実的で、ちょっと面倒で、それでも笑える再婚準備が始まります。




第3部「再婚は恋愛より難しい」




結婚を決めた二人に待っていたのは、




恋愛よりずっと厄介な「現実」でした。

「……考えたことはある」


言った瞬間、喜咲の表情から笑みが消えた。


第26話の最後に美和が残した一言。


「婚前契約とか、ちゃんと話した?」


そして今、俺はごまかさなかった。


「考えたこと、あるんだ」


「あります」


「私と?」


「……結婚する相手ができたら、一度は話した方がいいと思っていました」


「それ、安心していい答え?」


「俺にも分かりません」


「今日、何回目?」


「分からないと言った回数ですか?」


「うん」


「数えるのはやめましょう」


「成長したと思ったのに」


駅へ向かっていた足が止まる。


今日はもう十分だと思っていた。


元妻に再婚を報告した。


元妻と婚約者が会った。


俺が我慢しているときほど「大丈夫」と言う癖まで共有された。


これ以上、結婚に関する問題は出ないと思っていた。


甘かった。


結婚は、問題が解決すると次の問題が番号札を持って待っているらしい。


「で、婚前契約って何を決めるの?」


喜咲が聞く。


「財産とか。生活費とか。もし離婚した場合のこととか」


「……最後の一個だけ急に重くない?」


「婚前契約なので」


「これから結婚する人間に離婚って言う?」


「可能性としては」


「優」


「はい」


「その続きを言う前に、一回考えて」


「考えました」


「速い」


生存本能だ。


「結婚する前だからこそ、話せることもあると思います」


「弁護士?」


「医者です」


「知ってる」


喜咲は歩き出した。


三歩進んで振り返る。


「ちゃんと話す?」


「今?」


「今」


◇


十分後。


俺たちは駅前のファミリーレストランにいた。


さっき三人で食事をしたばかりなのに、テーブルにはコーヒーとカフェラテが並んでいる。


「それで?」


喜咲がストローの袋を折りながら聞く。


「優は何を決めたいの?」


「大きなお金を使うときは相談するとか。仕事を辞めるなら事前に話すとか」


「普通じゃない?」


「普通だから決めておくんです」


「親への援助は?」


「もう話しました」


「家事は?」


「この前揉めました」


「家は?」


「今も探してます」


「じゃあ、もう結構話してるよね」


「そうですね」


喜咲は少し黙った。


「それ、契約じゃないと駄目?」


俺の手が止まった。


「どういう意味です?」


「今言ったこと。お金のことも、仕事のことも、親のことも。必要になったら二人で話せばいいんじゃない?」


「でも、先に決めておけば揉める可能性を減らせます」


「全部?」


「全部とは言ってません」


「優なら全部決めようとする」


「……否定しにくいですね」


喜咲が笑う。


「家探しだけであれだけ揉めたのに?」


「揉めましたね」


「家事も」


「揉めました」


「お金も」


「話し合いました」


「私の実家に行く前、質問十八個作った」


「それはもう忘れてください」


「忘れない」


俺はコーヒーを飲んだ。


苦い。


「婚前契約を作っても、書いてない問題が絶対出るよ」


「その都度、追加する方法も」


「何年後かに上下巻になるよ」


「電子版なら検索しやすいですね」


「夫婦生活大辞典を作る気?」


少し笑った。


でも。


喜咲は笑ったあと、俺を見た。


「ねえ、優」


「はい」


「本当は何が怖いの?」


答えが止まった。


「怖い?」


「さっきから、契約の話をしてるように見えない」


「そんなことは」


「じゃあ聞く」


喜咲の声が少しだけ低くなる。


「私と離婚する準備をしてるの?」


胸の奥を突かれた。


「違います」


即答した。


それだけは違う。


「喜咲と離婚したいなんて思ってません」


「じゃあ、なんで別れるときのことを今から決めたいの?」


説明しようとした。


離婚率がどうとか。


財産分与がどうとか。


再婚では事前に確認しておいた方がいいことがあるとか。


いくらでも言葉はあった。


でも。


どれも俺の答えではなかった。


「別に、深い意味はありません。大丈夫です」


そこまで言って。


止まった。


喜咲も何も言わない。


数時間前の声が戻ってきた。


『この人、我慢してるときほど「大丈夫」って言うから』


俺は目を閉じた。


まただ。


何も変わっていない。


いや。


今なら止められる。


「……いや」


言い直した。


「大丈夫じゃないです」


喜咲が目を上げる。


「優?」


「怖いんだと思います」


「何が?」


言いたくなかった。


口に出せば、自分が二度目の結婚に怯えていると認めることになる。


それでも。


困ったら黙らない。


分からなかったら分からないと言う。


昨日、喜咲の父親にそう言った。


今日、美和にも弱点を見抜かれた。


ここでまた黙ったら、何のために再婚するのか分からない。


「喜咲と離婚したいんじゃない」


一度息を吸う。


「もう一度、離婚するのが怖いんです」


言った。


店内の音が急に大きく聞こえた。


食器の音。


子どもの声。


注文を取る店員。


喜咲は何も言わなかった。


俺は続けるしかなかった。


「美和と結婚したときも、離婚するなんて思ってませんでした」


当然だった。


最初から終わると思って結婚したわけではない。


「もっと分かりやすく壊れるものだと思ってたんです。大きな喧嘩をするとか。決定的な何かが起きるとか」


でも違った。


少しずつ会話が減った。


仕事が忙しい。


今日は疲れている。


また今度でいい。


自分で何とかできる。


そんな小さな理由を積み重ねた。


「大丈夫って言ってました」


何度も。


「本当は大丈夫じゃなかったのに」


喜咲は黙って聞いている。


「気づいたときには、何を話せばいいのか分からなくなっていました」


だから。


二度目は決めておきたかった。


お金。


仕事。


家。


家事。


親。


そして、もし別れることになったら。


先に決めておけば失敗しない。


そう思いたかった。


「……だから契約?」


喜咲が聞いた。


「たぶん」


「私を疑ってるんじゃなくて?」


「違います」


今度は迷わなかった。


「俺自身が怖いんです。また同じことをするのが」


喜咲はカフェラテを一口飲んだ。


それから。


「私も怖いよ」


思っていなかった言葉だった。


「喜咲も?」


「初婚だから、何が起きるか分からないし」


少し笑う。


「優みたいに経験から学べるものもない」


「離婚経験を参考資料みたいに言わないでください」


「大事な資料でしょ」


否定できない。


「私たち、家のことでも揉めた。家事でも、お金でも揉めた」


「はい」


「これからも揉めると思う」


「そこはもう少し希望を」


「希望だけで結婚する年齢じゃないでしょう」


強い。


「だからね」


喜咲が俺を見る。


「離婚しない約束はできないよ」


胸の奥が冷えた。


分かっていたはずなのに。


実際に喜咲の口から聞くと、思った以上に刺さった。


「……そうですか」


「傷ついた?」


「少し」


「ごめん」


喜咲は一度視線を落とした。


そして。


「でも」


顔を上げる。


「離婚したくなったときに黙らない約束ならできる」


俺は動けなかった。


「……黙らない?」


「うん。その前でもいい」


喜咲が指を一本立てる。


「嫌なことがあったら言う」


二本目。


「分からなかったら、分からないって言う」


三本目。


「相手が傷つくかもしれないからって、勝手に黙らない」


四本目。


「大丈夫じゃないのに、大丈夫って言わない」


「最後、俺専用ですよね」


「特別条項」


「契約書っぽくなってきました」


「そこ喜ぶところじゃないから」


笑ってしまった。


ほんの少し。


胸の奥が軽くなった。


離婚しない保証はない。


十年後も同じ気持ちだという保証もない。


俺も変わる。


喜咲も変わる。


仕事も。


親も。


生活も。


全部を今決めることなんてできない。


でも。


変わったときに話すことはできる。


「それなら」


俺は言った。


「契約書にします?」


喜咲が固まった。


「今の流れで?」


「大事な約束なので」


「優、ロマンチックって言葉知ってる?」


「知識としては」


「実践して」


難しい。


喜咲がスマートフォンを取り出した。


「契約書はいらない」


「じゃあ?」


「メモでいい」


新規メモを開く。


タイトル。


『結婚前に決めたこと』


「何て書く?」


俺は少し考えた。


長い文章はいらない。


細かな条件もいらない。


今の俺たちに必要なのは。


たぶん、一つだけだ。


「困ったときほど、黙らない」


喜咲が入力する。


『困ったときほど、黙らない。』


たった十三文字。


十八個の想定質問より短い。


婚前契約書より短い。


でも。


守るのは、たぶんこっちの方が難しい。


「送るね」


メッセージが届く。


俺は保存した。


「これで婚前契約終了?」


「正式な契約ではありませんけど」


「また細かい」


「職業病です」


「医者の?」


「俺の」


喜咲が笑った。


俺も笑った。


二度目の結婚が怖くなくなったわけではない。


たぶん。


怖いままだ。


でも。


怖いと言えた。


それだけで、一度目とは少し違う。


◇


店を出ようとしたとき、俺のスマートフォンが鳴った。


知らない番号だった。


「病院?」


「なら登録されています」


出る。


「はい、小鳥遊です」


『突然のお電話失礼いたします。先日お問い合わせいただきましたブライダルサロンの件ですが』


止まった。


喜咲を見る。


「どうしたの?」


俺はスマートフォンを少し離した。


「ブライダルサロン」


喜咲も止まった。


「あ」


完全に忘れていた顔だった。


結婚。


家。


家事。


お金。


親。


元妻。


婚前契約。


そこまで来て。


まだ残っていた。


結婚式。


『ご希望の日程について確認が取れまして、一度ご来館いただいて詳しくご相談できればと思うのですが』


「はい。分かりました」


日程を確認して電話を切る。


数秒。


喜咲と顔を見合わせる。


「結婚式」


喜咲が言った。


「ありましたね」


「忘れてたの?」


「喜咲もでしょう」


「私は半分くらい覚えてた」


「それは忘れていた側です」


駅へ向かって歩き始める。


「どうする?」


喜咲が聞いた。


「何を?」


「結婚式」


少し考える。


式を挙げる。


挙げない。


家族だけ。


友人も呼ぶ。


職場はどうする。


また決めることが増えた。


でも。


さっき俺たちは決めたばかりだ。


困ったときほど、黙らない。


だから俺は。


ちゃんと自分の気持ちを言った。


「俺は、どちらでも」


隣を見る。


喜咲が一瞬だけ黙った。


そして。


「……私も、どちらでもいい」


笑った。


俺も笑った。


意見は一致した。


少なくとも。


そのときの俺は、そう思っていた。


この「どちらでもいい」が。


今日いちばん危険な言葉だったことを。


まだ知らなかった。


第3部 第7話/通算27話 完


次回 第3部 第8話/通算28話


「結婚式、誰のためにやるんですか?」


「俺は、どちらでも」


「……私も、どちらでもいい」


意見は一致したはずだった。


なのに、結婚式の話を進めるほど、なぜか喜咲の機嫌が悪くなっていく。


親は見たい。


友人は祝いたい。


職場はどこまで呼ぶ?


そして優はようやく気づく。


喜咲の「どちらでもいい」の奥に、まだ言葉になっていない本音があることに。


「……一度くらい、ウェディングドレス着てみたかった」


「着ればいいじゃないですか」


「私、42歳だよ?」


次回、二人が考えるのは「結婚式をするか」ではなく、「誰のためにするのか」。



結婚前に「もし離婚したら」を話すこと。皆さんなら、話しておきたいですか? それとも、結婚前には話したくないですか? 感想やコメントで教えてください。

この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。


note:momokun https://note.com/momokun1


Momokun Official https://momokun.jp/

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