第4話/通算24話 「夫婦の財布、見せられますか?」
第3部 再婚は恋愛より難しい
結婚することは、決まりました。
めでたし、めでたし。
……で、終わると思っていました。
「優。結婚したら、どこに住む?」
「……今の家では?」
「どっちの?」
「…………」
家をどうする。
家事をどう分ける。
お金をどうする。
親への挨拶は?
結婚式は?
名字は?
そして、再婚するなら避けて通れない。
元妻のことは、どうする?
恋人だったときは、「好き」で乗り越えられた。
でも結婚しようとすると、二人の人生そのものをすり合わせなければならない。
しかも優にとっては二度目。
喜咲にとっては初めて。
過去のある男と、これからを始めたい女。
二人が選んだのは、
「失敗しない結婚」ではありません。
失敗したときも、黙らずに話せる二人になること。
けれど、その答えにたどり着くまでには。
「結婚って、こんなに面倒なの?」
「……婚活より面倒かもしれません」
恋人から夫婦へ。
40代の二人の、やたら現実的で、ちょっと面倒で、それでも笑える再婚準備が始まります。
第3部「再婚は恋愛より難しい」
結婚を決めた二人に待っていたのは、
恋愛よりずっと厄介な「現実」でした。
「じゃあ、お金は?」
喜咲が言った。
俺は止まった。
家事の話が、ようやく終わった直後だった。
料理。洗濯。掃除。ゴミ。五十対五十ではなく、
「得意な方がやる。でも、当たり前にはしない」
そこまで決めて、俺は少し安心していた。
なのに喜咲は、さらに大きな案件を出してきた。
「結婚したら、生活費どうする?」
「生活費」
「家賃、光熱費、食費。日用品。それから貯金」
「……なるほど」
「あと、お互いの収入」
「…………なるほど」
喜咲が俺を見る。
「優」
「はい」
「『なるほど』で時間稼いでる?」
バレた。
◇
「じゃあ私からね」
喜咲は、あっさり自分の収入を言った。
「はい、次」
「次?」
「優」
「言うの?」
「結婚するのに?」
逆に聞かれた。
仕方なく俺も答える。
喜咲は「ふうん」と一度うなずいただけだった。
「それだけ?」
「何を期待してるの?」
「いや、もっと驚くとか」
「お医者さんだし」
「その反応も嫌だな」
「面倒だね」
ひどい。
そのまま貯金額の話になった。
喜咲は、そこも普通に話した。
俺も答えた。
ここまではよかった。
問題は、その次だった。
「毎月、固定で出ていくお金は?」
「家賃とか?」
「それ以外」
俺は少し黙った。
喜咲の目が細くなる。
「何?」
「いや……あるけど」
「あるんだ」
「別に変なものじゃない」
「優」
「はい」
「その言い方、一番怖い」
そうなのか。
「借金あるの?」
「ありません」
即答した。
「ローン?」
「違う」
「誰かにお金貸してる?」
「貸してない」
「じゃあ何?」
俺はコーヒーカップに手を伸ばした。
冷めていた。
「……親に、毎月少し援助してる」
喜咲が止まった。
「親御さんに?」
「うん。離婚してからも、ずっと」
「それだけ?」
「それだけ」
喜咲が大きく息を吐いた。
「借金かと思った」
「だから違うって」
「言うまでが長いの」
それは申し訳ない。
でも、俺が引っかかっていたのは援助そのものではなかった。
結婚したら。
自分のお金の使い道を、どこまで相手に説明するものなのだろう。
「結婚しても続けたい?」
喜咲が聞いた。
「できれば」
「じゃあ続ければ?」
あまりに普通に言われて、俺は顔を上げた。
「いいの?」
「なんで私の許可がいるの?」
「いや、結婚したら家計は二人のものになるし」
「全部?」
俺は黙った。
「優は、私が本を買うたびに報告してほしい?」
「別に」
「友達とご飯食べるたびに?」
「いらない」
「服は?」
「好きに買えばいいと思う」
「じゃあ、同じじゃない?」
言われてみればそうだった。
ただ。
「親への援助は、服とは違うでしょう」
「もちろん。だから、こうして話してくれたのはよかったと思う」
喜咲は少しだけ声を柔らかくした。
「でも、知ることと、許可することは違うよ」
その言葉に、俺は黙った。
◇
夫婦になれば、財布も一つ。
収入も支出も全部共有する。
俺の中には、どこかそんな感覚があった。
でも喜咲は違った。
「共有するお金と、自分のお金を分ければいいんじゃない?」
「分ける?」
「家賃、光熱費、食費、日用品。二人の生活に必要なお金は二人で出す」
「うん」
「将来の貯金も相談する」
「うん」
「でも残りは、それぞれのお金」
本。服。趣味。友人との食事。
そして、結婚前から続けてきた支出。
「全部一緒にしなくても、夫婦になれるんじゃない?」
俺はすぐには答えられなかった。
家もそうだった。
どちらかの家に入るのではなく、二人の家を探す。
家事もそうだった。
五十対五十に割るのではなく、得意な方がやる。でも当たり前にはしない。
結婚するからといって、何もかも一つにする必要はないのかもしれない。
二人になる。
でも、一人であることまでやめるわけじゃない。
「……それ、いいかも」
「でしょう?」
「共有口座を作る?」
「いいね」
「毎月、決めた額を入れる」
「うん」
「生活費はそこから」
「うん」
「貯金も別に決める」
「うん」
俺はスマートフォンを取り出した。
「じゃあ表を」
「待って」
「なぜ?」
「今、ちょっといい雰囲気だったのに」
「家計管理には表が必要でしょう」
「結婚生活をExcelにしないで」
Excelに罪はない。
◇
結局、決めたのは三つだけだった。
二人で共有するお金。それぞれが自由に使うお金。そして、大きな支出は事前に話す。
細かい金額は、新居が決まってから。
「こんな曖昧でいいのかな」
俺が言うと、喜咲は肩をすくめた。
「一緒に暮らしてないんだから、最初から完璧には決められないでしょう?」
また、それだ。
家事のときと同じ。
俺はたぶん、失敗しないルールを先に作りたがる。
でも生活は、ルール通りにはいかない。
「足りなかったら?」
「増やす」
「多かったら?」
「減らす」
「揉めたら?」
「話す」
喜咲は迷わなかった。
そして少しだけ真面目な顔になる。
「ただ、一個だけ約束して」
「何?」
「お金のことで困ったら、黙らない」
俺は息を止めた。
「『大丈夫』って言って、一人で抱えないこと」
金の話をしていたはずなのに。
たぶん、それだけの話ではなかった。
「……分かった」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ仮採用」
「また仮?」
「夫婦生活に永久ライセンスはありません」
どこで覚えた、その言い回し。
でも。
悪くない。
完璧なルールじゃなくていい。
変わったら、また話せばいい。
それが俺たちの結婚なのかもしれない。
◇
テーブルには、家事分担のメモ。
その下には家計のメモ。
ゴミ袋。洗剤。家賃。貯金。
結婚が、どんどん現実になっていく。
まるでロマンチックではない。
なのに、不思議と嫌ではなかった。
そのとき。
喜咲のスマートフォンが震えた。
「あ」
「どうした?」
「優のお母さん」
「母?」
喜咲が画面を読む。
そして俺を見る。
「『喜咲さんのご両親には、いつご挨拶するの?』だって」
俺は止まった。
「……挨拶」
「うん」
「ご両親に」
「うん」
「結婚の?」
「ほかに何の挨拶があるの?」
財布より怖い案件が来た。
喜咲が笑う。
「優」
「はい」
「まさか『娘さんを僕にください』とか言わないよね?」
俺は考えた。
「……言わない方がいい?」
喜咲の笑顔が消えた。
「絶対に言わないで」
第3部 第4話(通算24話) 完
次回 第3部 第5話(通算25話)
「42歳で『娘さんをください』は言わないで」
喜咲の実家へ、結婚の挨拶。
四十五歳、医師、離婚歴あり。十分な大人のはずなのに、優は人生最大級に緊張していた。
「娘さんを僕にください、は絶対言わないで」「では、『結婚させていただきたい』」「私の許可はもう取ったでしょうが」
笑って始まるはずだった挨拶。
しかし、喜咲の父が静かに尋ねる。
「一度、結婚に失敗しているんですよね」
優は、「今度こそ失敗しません」とは答えなかった。
優と喜咲の「夫婦のお金」の決め方について、皆さんならどうするか、ぜひコメントやメッセージで教えてください。
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