第3話/通算23話 「家事を半分にしたら、喧嘩が二倍になりました」
第3部 再婚は恋愛より難しい
結婚することは、決まりました。
めでたし、めでたし。
……で、終わると思っていました。
「優。結婚したら、どこに住む?」
「……今の家では?」
「どっちの?」
「…………」
家をどうする。
家事をどう分ける。
お金をどうする。
親への挨拶は?
結婚式は?
名字は?
そして、再婚するなら避けて通れない。
元妻のことは、どうする?
恋人だったときは、「好き」で乗り越えられた。
でも結婚しようとすると、二人の人生そのものをすり合わせなければならない。
しかも優にとっては二度目。
喜咲にとっては初めて。
過去のある男と、これからを始めたい女。
二人が選んだのは、
「失敗しない結婚」ではありません。
失敗したときも、黙らずに話せる二人になること。
けれど、その答えにたどり着くまでには。
「結婚って、こんなに面倒なの?」
「……婚活より面倒かもしれません」
恋人から夫婦へ。
40代の二人の、やたら現実的で、ちょっと面倒で、それでも笑える再婚準備が始まります。
第3部「再婚は恋愛より難しい」
結婚を決めた二人に待っていたのは、
恋愛よりずっと厄介な「現実」でした。
「その『半分』って、誰が数えるの?」
喜咲にそう聞かれて、俺は止まった。
不動産屋を出たあとのカフェ。新居の候補も見つかった。冷蔵庫は喜咲のもの。洗濯機は俺のもの。ベッド問題は危険物として先送り。
ここまでは順調だった。
だから家事だって、半分ずつにすれば公平だと思った。
「料理一回と洗濯一回は、同じ一回?」
「……そこから?」
「ゴミ出しは?」
「一回」
「ゴミ袋を替えるのは?」
「……」
「洗剤がなくなりそうなのに気づいて買うのは?」
「……」
「冷蔵庫の牛乳がなくなりそうなのを覚えておくのは?」
俺はコーヒーカップを置いた。
「喜咲」
「何?」
「家事って、そんなにあるの?」
「優」
「はい」
「今まで、どうやって生きてきたの?」
「四十五年間、それなりに」
「奇跡だね」
そこまで言われる?
◇
「整理しよう」
俺はスマートフォンを取り出した。
複雑な問題は、項目に分ければいい。少なくとも仕事ではそうしてきた。
「家事を全部書き出して、分担する」
「また表を作る気?」
「表は悪くない」
「結婚してから、優の表に対する信頼がどんどん怖くなってる」
失礼な。
表は裏切らない。人間が入力を間違えるだけだ。
俺はメモを開いた。
料理。洗濯。掃除。ゴミ出し。風呂掃除。トイレ掃除。買い物。
「これを半分にすればいい」
「じゃあ料理」
「うん」
「作る」
「一回」
「献立を考える」
「……別?」
「冷蔵庫を見る。足りないものを確認する。買う。しまう。作る。片づける」
「待って」
俺は手を上げた。
「料理一回の周りに、何人いるの?」
「家事を人みたいに数えないで」
料理という一個の家事だと思っていた。
どうやら大家族だったらしい。
「洗濯は簡単でしょう。洗濯機がやるし」
喜咲の目が変わった。
まずい。今日二個目の地雷だ。
「洗濯機が、洗濯物を集めて、洗剤を補充して、干して、畳んで、しまってくれるの?」
「……くれません」
「じゃあ誰がやるの?」
「人間」
「急に主語を大きくしないで」
◇
一人暮らしのときも、家事はしていた。
ただ、俺には基本方針があった。
困ったらやる。
「牛乳がなくなったら買えばいいんじゃない?」
「朝、飲もうとしたときになかったら?」
「その日は飲まない」
「トイレットペーパーは?」
「なくなったら……」
「それは、なくなってからじゃ遅いの」
なるほど。
「在庫管理か」
「その言い方すると急に仕事っぽくなるね」
「家庭にも在庫管理は必要でしょう」
「じゃあ在庫管理担当、優ね」
「今の流れで?」
確かに得意そうなのが腹立たしい。
喜咲がスマートフォンを見ながら言った。
「こういうの、『名前のない家事』っていうんだって」
「名前のない家事?」
「ゴミ袋を替えるとか、洗剤を補充するとか。家事として意識されにくい細かい作業」
「名前あるじゃん」
「そういう意味じゃない」
怒られた。
でも、言われてみれば分かる。
ゴミ出し。
その言葉だけなら、袋を持って集積所へ行くだけだ。
でも、その前には袋を外す人がいる。新しい袋をつける人がいる。残りを確認して、なくなれば買う人がいる。
俺は全部まとめて「ゴミ出し」と呼んでいた。
「俺、前の結婚でも……」
口にしてから止まった。
喜咲は何も言わず、続きを待った。
「頼まれたら、やってた」
「うん」
「料理も、洗濯も、掃除も。だから、自分では家事をしてたつもりだった」
でも。
頼まれたらやる。
その言葉には、頼む人が必要だ。
何が必要か気づく。いつやるか考える。相手に頼む。
俺は作業をしていた。
けれど、家のことを考える役割まで半分持っていたわけじゃない。
「俺さ」
「うん」
「『言ってくれればやる』って、けっこう言ってた」
喜咲が少しだけ苦笑した。
「便利な言葉だよね」
「便利?」
「言う人が、全部気づかなきゃいけないから」
刺さった。
かなり深く。
料理、洗濯、掃除、ゴミ。
項目だけなら平等に割れる。
でも、その項目を作る人が一人なら。
それは、半分じゃない。
「……そういうことか」
ようやく分かった。
「ごめん」
「なんで私に謝るの?」
「いや……昔の俺に?」
「それは本人に言って」
元妻への反省を婚約者に提出するのは、かなり変な構図だった。
◇
少しして、喜咲が言った。
「でも、私もたぶん面倒だよ」
「知ってる」
「そこは否定して」
「ごめんなさい」
今日の俺は地雷処理能力が低い。
喜咲は笑った。
「私、自分のやり方あるから。タオルの畳み方とか、食器を戻す場所とか」
「あるね」
「洗濯するタイミングとか」
「俺、空いたときにやる」
「それ」
「まだ何もしてないけど?」
「想像だけでもう腹立ってきた」
理不尽だ。
いや。たぶん、理不尽でもない。
俺が喜咲の家でタオルを違う畳み方でしまう。喜咲が直す。俺が言う。
「使えれば同じじゃない?」
喜咲が怒る。
逆もある。
喜咲が鍵をいつもの場所と違うところに置く。俺はきっと言う。
「鍵はそこじゃないよ」
第22話で想像した未来だ。
「私も、自分のやり方が正しいって思ってたかも」
喜咲がぽつりと言った。
「優に合わせてもらう前提になってたところ、ある」
今度は俺が黙った。
どちらかだけが悪いわけじゃない。
四十年以上、それぞれのやり方で暮らしてきた。そこに相手が入れば、ズレるのは当然なのだ。
「俺たち、家事を始める前から喧嘩できるんだね」
「相性いいね」
「そこ?」
二人で笑った。
◇
「じゃあ、半分ずつはやめよう」
俺が言うと、喜咲が首をかしげた。
「いいの?」
「そもそも半分を正確に測れない」
「優がそれを言うとは」
「料理一回とゴミ袋交換一回の換算式が作れない」
「作ろうとしてたの?」
「一瞬」
「怖いよ」
五十対五十。
数字なら公平に見える。
でも生活は、そんなにきれいに割れない。
忙しい日もある。疲れている日もある。得意不得意もある。
「得意な方がやる、でどう?」
「それだけだと、得意な人がずっとやることにならない?」
確かに。
得意とは、永久担当という意味ではない。
俺は少し考えた。
「じゃあ、得意な方がやる。でも、それを当たり前にはしない」
「……うん」
「できないときは言う。忙しいときは代わる。相手がやってることを、最初からその人の仕事だと思わない」
喜咲がしばらく俺を見ていた。
「それ、いいかも」
「採用?」
「仮採用」
「まだ仮なんだ」
「一緒に暮らしてから直すの。最初から完璧なルールなんて作れないでしょう?」
その言葉に、俺は少し黙った。
俺はたぶん、失敗しない方法を探しすぎる。
結婚にも。生活にも。自分にも。
でも、最初から完璧じゃなくていい。
「揉めたら、また話せばいいか」
「そういうこと」
喜咲が笑った。
俺も笑った。
第1話の頃なら、条件が合わないことは減点だった。
今は違う。
合わないなら、話せばいい。
少なくとも、俺たちはそういう二人になった。
◇
「じゃあ仮担当ね」
喜咲がメモを開く。
「料理」
「忙しくない方」
「洗濯」
「私。畳むのは優」
「了解」
「掃除」
「俺」
「掃除機以外も掃除だからね」
「知ってます」
「ゴミ」
「俺」
「袋の交換も?」
「俺」
「補充も?」
「俺」
「分別も?」
「俺」
「収集日の確認も?」
「……俺」
ゴミ担当。
思ったより領土が広い。
「在庫管理」
「俺?」
「得意でしょう?」
「家庭に発注システムが欲しい」
「電子カルテみたいにしないで」
でも、悪くない。
朝起きる。コーヒーを淹れる。喜咲がいる。洗濯物がある。牛乳がなくなる。ゴミの日を忘れる。
たぶん、喧嘩もする。
その全部が、二人の生活になる。
「なんかさ」
「何?」
「結婚って、もっとロマンチックな話だと思ってた」
「四十五歳でそれ言う?」
「四十五歳だから言ってる」
「現実は?」
俺は家事リストを見る。
ゴミ袋。洗剤。牛乳。トイレットペーパー。
「消耗品が多い」
「夢がない」
でも。
「嫌じゃない」
喜咲が目を丸くした。
「こういう話を、喜咲とするの」
まだ存在しない新居のゴミ袋について、本気で話している。
面倒だ。
でも、一人だったら絶対にしない。
「私も嫌じゃないよ」
テーブルの上で、喜咲の指が俺の手に触れた。
俺はその手を握った。
結婚は、ずっと手をつないでいることじゃない。
たぶん。
ゴミ袋を誰が替えるかで揉めても、そのあと、もう一度手をつなげることなのだ。
「じゃあ、家事はこれで仮決定」
「はい」
「得意な方がやる」
「でも、当たり前にはしない」
二人でうなずいた。
完璧じゃない。
だから、たぶん続けられる。
喜咲がスマートフォンをバッグにしまいかけて、止まった。
「あ」
「何?」
「もう一個あった」
嫌な予感がする。
「家事?」
「違う」
「家具?」
「違う」
「ベッド?」
「今日は触らない」
「よかった」
喜咲は、にっこり笑った。
「じゃあ、お金は?」
俺は止まった。
第3部 第3話(通算23話) 完
次回 第3部 第4話(通算24話)
「夫婦の財布、見せられますか?」
家賃、生活費、収入、貯金。
四十代まで別々に生きてきた二人が、次に開くのは「財布」。
喜咲は意外なほどオープン。ところが優だけは、なぜか歯切れが悪い。
「借金あるの?」
「ありません」
「じゃあ何?」
夫婦になったら、お金はどこまで共有するのか。
そして優が離婚後も続けている「ある支出」とは。
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