第1話/通算21話 「結婚を決めた翌日、何をすればいいか分かりません」
第3部 再婚は恋愛より難しい
結婚することは、決まりました。
めでたし、めでたし。
……で、終わると思っていました。
「優。結婚したら、どこに住む?」
「……今の家では?」
「どっちの?」
「…………」
家をどうする。
家事をどう分ける。
お金をどうする。
親への挨拶は?
結婚式は?
名字は?
そして、再婚するなら避けて通れない。
元妻のことは、どうする?
恋人だったときは、「好き」で乗り越えられた。
でも結婚しようとすると、二人の人生そのものをすり合わせなければならない。
しかも優にとっては二度目。
喜咲にとっては初めて。
過去のある男と、これからを始めたい女。
二人が選んだのは、
「失敗しない結婚」ではありません。
失敗したときも、黙らずに話せる二人になること。
けれど、その答えにたどり着くまでには。
「結婚って、こんなに面倒なの?」
「……婚活より面倒かもしれません」
恋人から夫婦へ。
40代の二人の、やたら現実的で、ちょっと面倒で、それでも笑える再婚準備が始まります。
第3部「再婚は恋愛より難しい」
結婚を決めた二人に待っていたのは、
恋愛よりずっと厄介な「現実」でした。
『ねえ優。結婚したら、どこに住む?』
朝、目を覚まして最初に見たメッセージが、それだった。
優はベッドの上でスマートフォンを見つめた。
昨日、プロポーズした。
喜咲は「だから、結婚しましょう」と言ってくれた。
婚活は終わった。
めでたし、めでたし。
……のはずだった。
優は返信欄に打つ。
『俺の家でいいんじゃない?』
送信する直前、指が止まった。
昨日も名字の話で止まった。
小鳥遊か、東海林か。
どちらかが変える。当然だと思っていたことが、相手にとって当然とは限らない。
文章を消す。
『喜咲はどうしたい?』
三秒で既読。
五秒で返信。
『私の家でいいんじゃない?』
「やっぱり」
どうやらプロポーズはゴールではない。
スタート地点に置かれた、妙に豪華な号砲だったらしい。
結婚って、次に何するの?
その日の夜。
仕事を終えた優は、喜咲と駅前のカフェで待ち合わせた。
席に着くなり、喜咲が言う。
「で、次は?」
「……次?」
「結婚」
「はい」
「決めたよね?」
「昨日」
「じゃあ次、何するの?」
優は答えようとして、黙った。
「……何するんだろう」
「知らないの?」
「喜咲は?」
「知らない」
四十五歳と四十二歳。
仕事もしている。一人で生活もできる。
なのに、結婚を決めた翌日に何をすればいいのか、二人とも知らなかった。
「優、一回結婚してるよね?」
「はい」
「経験者でしょ」
「その言い方だと結婚のプロみたいだね」
「少なくとも私より経験値あるでしょ」
「離婚まで含めると」
「縁起悪い」
優は前の結婚を思い出そうとした。
婚姻届。
引っ越し。
両親への挨拶。
式の準備。
いろいろあったはずなのに、驚くほど覚えていない。
「前はどうしたの?」
「……流れで」
「一番参考にならない答えが来た」
「二十代だったから、勢いで」
「四十代に勢いがないみたいに言わないで」
「あります?」
「……ないね」
二人でうなずいた。
喜咲がスマートフォンを取り出す。
「調べよう」
「何を?」
「結婚するまでにやること」
数秒後。
喜咲の顔が曇った。
「優」
「何?」
「結婚、やめる?」
「早いよ」
まだプロポーズから二十四時間も経っていない。
結婚という巨大プロジェクト
「婚姻届、証人、両家への挨拶、新居、引っ越し、名字、結婚式、職場への報告……」
喜咲が画面をスクロールする。
「銀行、保険、クレジットカード、免許証」
「名字が変わる方はね」
二人の視線がぶつかった。
名字問題、再登場。
「家具もある。冷蔵庫二台どうする?」
「いらないね」
「洗濯機二台」
「コインランドリーでも始める?」
「ベッド」
「……」
「サイズ、どうする?」
「そこから?」
「優、寝相悪いし」
「喜咲も布団取るよ」
「取ってない」
「この前、全部持っていった」
「あれは優が端に寄りすぎたの」
結婚二日目。
早くも寝具の領土問題である。
優は鞄から手帳を出した。
「整理しよう」
「嫌な予感しかしない」
優は書く。
婚姻届。
名字。
住居。
両家への挨拶。
結婚式。
職場への報告。
引っ越し。
家具・家電。
「あと何かある?」
「優」
「何?」
「結婚って、術前検査じゃないからね」
ペンが止まった。
「分かってるよ」
「今の顔、完全に検査項目を漏れなく並べる医者だった」
「漏れたら困るでしょう」
「結婚相手にチェックリストで進捗管理されたくない」
「便利だよ?」
「進捗率とか言ったら帰るからね」
優は手帳を閉じた。
「ちなみに現状五%くらい」
「帰る」
「冗談です」
喜咲が立ちかけたので、本気で止めた。
最初の一つを決めよう
「でも、一個ずつ決めるしかないよね」
喜咲が座り直した。
優もうなずく。
昨日、二人は決めた。
最初から全部合う相手を探すのではなく、違ったら話す。
揉めたら相談する。
だったら、その一回目が今日なのだ。
「まず何から?」
「家じゃない?」
「やっぱり?」
「結婚したら、一緒に住むんでしょ」
「そうだね」
優は一瞬考えてから言った。
「俺の家という案もあります」
「急に会議になった」
「喜咲の家という案もあります」
「うん」
「条件を比較して」
「比較?」
危ない。
「……話し合おう」
「よろしい」
昨日、名字で地雷を踏んだばかりだ。
四十五歳でも人は学習する。
「私の家、駅近いよ」
「俺の方が職場には近い」
「スーパーは?」
「徒歩八分」
「私、三分」
「部屋は俺の方が広い」
「収納は?」
「……少ない」
「ほら」
「喜咲は荷物が多いんだよ」
「優が物を捨てすぎなの」
開始一分で、話し合いは順調に揉め始めた。
優は苦笑する。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
プロポーズよりずっと地味だ。
指輪も花束もない。
「駅から何分がいい?」
「スーパーは近い方がいい」
「日当たりは?」
「欲しい」
「通勤は?」
「お互い無理しない範囲」
そんな話をしているだけなのに、昨日より少しだけ「結婚」が現実になった気がした。
優は手帳に一行だけ書く。
『二人が帰りたくなる家』
喜咲が覗き込んだ。
「何それ」
「条件」
「駅徒歩何分とかじゃなくて?」
「それも大事だけど」
優は少し迷ってから続けた。
「どっちかの家に、もう一人が入るって考えなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「二人の家を探してもいい」
喜咲が黙った。
やがて、少し笑う。
「それ、いいね」
その顔を見て、優も笑った。
名字はまだ決まっていない。
婚姻届を出す日も決まっていない。
結婚式をするかどうかすら分からない。
それでも。
二人が帰る場所を、二人で選ぶ。
最初の一つとしては、悪くない気がした。
一致したのは、一つだけでした
「じゃあ次の休み、不動産屋行こう」
「うん。その前に希望条件を出そう」
喜咲がスマートフォンに入力し始める。
優も手帳に書く。
駅からの距離。
家賃。
広さ。
収納。
日当たり。
通勤時間。
「できた」
「俺も」
見せ合った。
沈黙。
喜咲の希望。
駅徒歩五分以内。
スーパー徒歩五分以内。
収納多め。
日当たり重視。
職場から少し離れていても静かな場所。
優の希望。
駅徒歩十分以内。
通勤三十分以内。
収納は最低限。
日当たりは普通でいい。
多少にぎやかでも利便性重視。
「……」
「……」
喜咲が優を見る。
「ほとんど合ってなくない?」
「そうだね」
「私たち、結婚するんだよね?」
「その予定です」
「家探しだけで離婚しそうなんだけど」
「まだ結婚してないよ」
「じゃあ破談?」
「悪化した」
喜咲が吹き出した。
優も笑う。
一致していたのは、たった一つ。
二人で暮らしたい。
それだけだった。
でも。
昨日までの二人なら、「条件が合わない」で終わっていたのかもしれない。
今は違う。
合わないから、話す。
決まらないから、一緒に探す。
優は喜咲の手を取った。
「とりあえず、見に行こう」
「うん」
「比較表は?」
「作ったら置いていく」
「俺を?」
「比較表を」
「よかった」
店を出る。
婚活は終わった。
けれど、二人で生きるための相談は始まったばかりだ。
そして翌週。
不動産屋のカウンターで希望条件を書き始めた二人は、さらに重大な事実に気づくことになる。
今の家を、どちらも手放したくない。
「……優」
「はい」
「新婚なのに」
喜咲が二枚の希望条件票を見比べた。
「別居婚から始まりそうなんだけど」
第3部 第1話(通算21話) 完
次回 第3部 第2話(通算22話)
「新婚なのに別居婚から始まりそうです」
優の家か。
喜咲の家か。
それとも「二人の家」か。
通勤、家賃、広さ、収納、生活圏。
希望条件を書けば書くほど、二人の暮らしは遠ざかっていく。
結婚を決めた二人が次に始めたのは、
新婚生活ではなく、不動産会議でした。
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