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第10話/通算20話) 名字、どっちにする?

前書き

第2部「付き合ったら婚活より面倒でした」




前書き








付き合ったら、昨日より他人行儀になった。








「喜咲さん、おはようございます」








「……なんで敬語なの?」








婚活アプリで出会った、四十二歳の東海林喜咲と、四十五歳の小鳥遊優。








条件を比べて。








喧嘩して。








嫉妬して。








一度は相手を手放そうとして。








それでも二人は、ようやく「好きな人」を選びました。








だから優は思っていました。








付き合ってしまえば、もう婚活より簡単だろう。








ところが。








呼び方ひとつで緊張する。








手をつなぐにも迷う。








連絡の頻度すら分からない。








そして、この先には。








初めての旅行。








初めて一緒に迎える夜。








生活習慣。








元妻。








子どものこと。








再婚。








婚活では、プロフィールを見れば分かることがありました。








年齢。








職業。








趣味。








結婚歴。








希望条件。








でも。








「この人と一緒に生きていけるか」は、プロフィールのどこにも書いていない。








好きだから、全部合うわけじゃない。








恋人になったから、不安が消えるわけでもない。








四十二歳と四十五歳。








二人には、それぞれ四十年以上生きてきた時間があります。








仕事もある。








過去もある。








譲れないものもある。








そして優には、一度結婚に失敗した記憶がある。








だから第2部で二人が探すのは、








「自分にぴったり合う相手」ではありません。








違ったときに、話せるか。








傷ついたときに、黙らずにいられるか。








面倒になったとき、それでも隣にいたいと思えるか。








恋人になった二人の、本当の答え合わせが始まります。








第2部、








「付き合ったら婚活より面倒でした」








婚活は終わった。








恋愛が始まった。








そして二人は、まだ知らない。








好きになるより、好きな人と生きていくほうが、ずっと難しい。

「結婚したら」


一拍。


「名字、どっちにする?」


優は完全に止まった。


プロポーズより難しい問題が、もう始まっていた。


プロポーズの返事が、まだなんですが


「……喜咲」


「はい」


「確認していい?」


「どうぞ」


「今、俺はプロポーズしたよね?」


「しましたね」


「それで、返事を聞いてないんだけど」


喜咲は少し考えた。


「そういえば」


「そういえば!?」


人生で一番勇気を使った数分間だった。


用意した言葉を全部忘れ、前の結婚の失敗まで話し、


『これから先のことを、ずっと喜咲と相談したい』


と伝えた。


その結果が、


「名字、どっちにする?」


である。


「普通、先に返事じゃない?」


「だって、相談したいって言ったじゃん」


「言ったけど」


「だから相談」


早い。


相談開始が早すぎる。


もしかすると結婚とは、プロポーズがゴールなのではない。


プロポーズした瞬間に始まる、長大な相談会なのではないか。


「それで?」


喜咲が聞く。


「どっちにする?」


「……小鳥遊?」


「私が?」


「一般的には」


喜咲の眉が動いた。


優はすぐ気づいた。


今の答えは、たぶん危ない。


私が小鳥遊になるの?


「一般的には、って何?」


「いや」


「一般的には?」


「統計的にという意味で」


「結婚直後の女に統計を持ち出すな」


怒られた。


「別に、喜咲が小鳥遊になってほしいって意味じゃないよ」


「じゃあ優が東海林になる?」


優は止まった。


小鳥遊優。


四十五年間、この名前で生きてきた。


それが、東海林優。


「……しょうじ、ゆう」


「声に出した」


「確認しただけ」


「どう?」


「悪くない」


「本当に?」


「ちょっと強そう」


「何が?」


分からない。


でも東海林優は、小鳥遊優より三割くらい格闘技が強そうな気がした。


「じゃあ東海林になる?」


「待って。仕事ではどうなる?」


「そこ?」


「そこ重要じゃない?」


医師として働いている以上、名前は仕事にも関係する。


職場、患者、書類、資格。


これまで積み重ねてきたものがある。


「私だって仕事あるよ」


「そうだよね」


「今まで東海林でやってきたし」


「俺も小鳥遊でやってきた」


二人で黙る。


どちらが変えても、どちらかに面倒が発生する。


「……結婚って、名字一個でこんなに面倒なの?」


「まだ名字しか話してないけどね」


「怖いこと言わないで」


条件が合わない


レストランを出たあと、二人は近くのカフェに移動した。


プロポーズの余韻は、名字と手続きの話でほぼ消えていた。


喜咲がスマートフォンを伏せる。


「ねえ、優」


「うん」


「昔の私だったら、こういうの嫌だったと思う」


「こういうの?」


「条件が合わないこと」


婚活をしていた頃。


喜咲は相手を見るたび、条件を確認していた。


年齢。


仕事。


年収。


住む場所。


結婚歴。


子ども。


生活。


価値観。


合わない項目が増えれば、次へ行く。


それが合理的だと思っていた。


「名字でも揉める。住む場所も分からない。子どものことも結論出てない」


喜咲は指を折った。


「生活の相性も悪い」


「そこは否定できない」


「いびきもうるさい」


「改善努力します」


「朝早すぎる」


「仕事だから」


「あと確認が多い」


「それは性格です」


「一番直らないやつじゃん」


二人で笑った。


でも喜咲は、ふっと真顔になった。


「昔なら、減点してた」


優は黙って聞いた。


「合わないって思ったら、この人じゃないって」


ずっと探していた。


最初から条件の合う人を。


面倒の起きない人を。


間違えない相手を。


「でも今は」


喜咲が優を見る。


「違うなら、話せばいいのかなって思う」


失敗しない結婚を探していた


「俺も」


優が言った。


「ずっと似たようなこと考えてた」


「優も?」


「俺の場合は、失敗しない結婚」


一度、結婚した。


そして離婚した。


美和との結婚で、優は大きな喧嘩をした記憶がほとんどない。


以前は、それを「大きな問題はなかった」と思っていた。


違った。


問題がなかったのではない。


言わなかったのだ。


嫌なことも。


寂しいことも。


我慢して、黙った。


だから次は、相性のいい人、価値観の合う人、問題の起きない人を選べばいいと思っていた。


「でも、そんな人いないんだよね」


「今さら?」


「今さらです」


喜咲が笑った。


「四十五年かかりました」


「長い」


本当に長かった。


「たぶん俺、失敗しない相手を探してた」


優は続けた。


「でも今は違う」


喜咲が黙って聞いている。


「失敗したときに、話せる相手がいい」


前の結婚ではできなかった。


でも喜咲は違う。


「結婚しないなら、何のために付き合ってるの?」


あの言葉は痛かった。


逃げたかった。


でも、言ってくれたから考えられた。


「失敗したら、一緒に考えたい」


「名字で揉めても?」


「もう揉めてるけど」


「家のことで揉めても?」


「ありそうだね」


「他にも?」


「……いっぱいありそう」


「今ちょっと不安になってきた」


「私も」


それでも、二人は笑った。


それ、私?


しばらくして、喜咲が聞いた。


「じゃあ」


「うん」


「優が言ってる『失敗したときに話せる相手』って」


少しだけ間を置く。


「それ、私?」


優は考えなかった。


「喜咲がいい」


喜咲が止まった。


「……それ」


「何?」


「さっきのプロポーズより、プロポーズっぽい」


「そう?」


「そうだよ」


「じゃあ、さっきのやり直す?」


「やらなくていい」


「でも返事まだ聞いてない」


「あ」


また忘れていた。


喜咲が笑う。


それから、今度はまっすぐ優を見た。


「優」


「はい」


「私も、優と一緒にいたい」


優の心臓が跳ねる。


「結婚しても、たぶんいっぱい喧嘩すると思う」


「うん」


「私、言いたいこと言うし」


「知ってる」


「そこは『そんなことない』って言うところじゃない?」


「でも事実だから」


「そういうところだからね」


「はい」


「でも、そのたびに相談しよう」


優も笑った。


「はい」


喜咲が息を吸う。


「だから、結婚しましょう」


やっと。


返事をもらった。


婚活は終わりました


店を出ると、夜の風が少し冷たかった。


二人で駅まで歩く。


手をつないだ。


付き合い始めた頃なら、この手をつなぐだけで「いいですか?」と確認していた。


今は自然につないでいる。


「ねえ、優」


「何?」


「婚活、終わったんだよね?」


「そうじゃない?」


「五年やったんだけど」


「長かったね」


「長かった」


条件を並べて。


会って。


断って。


断られて。


また探して。


ようやく終わった。


「婚活終わったら、楽になると思ってた」


「俺もです」


「でも、全然終わってないじゃん」


「……そうだね」


付き合ったら、話すことは増えた。


生活。


過去。


子ども。


結婚。


名字。


婚活をしていた頃より、ずっと面倒だった。


それでも、優はつないだ手を離さなかった。


「喜咲」


「何?」


「名字、今日決めなくてもいい?」


「いいよ」


「比較表作ってもいい?」


「それはやめて」


「なんで?」


「結婚相手をExcelで決めるな」


「Excelとは言ってない」


「作る気だったでしょ」


図星だった。


喜咲が笑う。


優も笑った。


最初から合う相手なんて、いなかった。


違うから、話す。


揉めるから、相談する。


分からないから、一緒に決める。


優が探していたのは、失敗しない結婚ではなかった。


失敗したときに、話せる相手だった。


そして翌朝。


喜咲からメッセージが届いた。


『ねえ優。結婚したら、どこに住む?』


優は画面を見つめた。


当然、自分の家だと思っていた。


返信しようとして、指が止まる。


……待て。


喜咲も同じことを考えているのではないか。


婚活は終わった。


でも。


二人で生きる面倒は、ここから始まる。


第10話(通算20話) 完


次回 第3部 第1話(通算21話)


「結婚を決めた翌日、何をすればいいか分かりません」


プロポーズ成功。


結婚も決まった。


これで、めでたしめでたし。


……には、ならなかった。


婚姻届、両家への挨拶、新居、名字、結婚式、職場への報告。


調べれば調べるほど、「結婚」という巨大プロジェクトが姿を現す。


そして喜咲が聞く。


「ねえ優。結婚したら、どこに住む?」


恋人なら、「好き」で済んだ。


夫婦になるには、話すことが多すぎる。


第3部「再婚は恋愛より難しい」開幕。



この物語の続き・ほかの作品は、note「momokun」と Momokun Official で公開しています。


note:momokun https://note.com/momokun1


Momokun Official https://momokun.jp/

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